第117話 エピローグ
魔王を倒してから一年と3ヶ月後。
俺は夜警本部での定例会合に出席していた。
テーマはもちろん、都市地下における準魔王群体の活動状況についてだ。
本来の意味で魔王ではなかったことが明らかとなった変異型スライム群体は、今日では準魔王群体という正式名称が与えられていた。魔王ではないが、魔王に準ずる能力を秘めたスライムの群体という意味だ。
準魔王群体については、今でも継続的に調査と駆除活動が行われていた。
夜警の分析チームが週に一度、市内各地の地下から採取したスライムの細胞を調べ、魔王共生体の有無を調べ続けていた。一年前はほぼ100%のスライムに魔王共生体の存在が確認されたが、その割合は減少を続け、今では1割程度にまで減っていた。
それも俺と下水道清掃員たちの活躍のおかげだった。
魔王を倒し、すっかり英雄扱いとなった俺だったが、その後も下水道清掃には参加し続けた。
浄化の剣はスライム駆除作業にも絶大な効果を発揮した。聖剣を迸る聖水の姿に変えると、下水道にひしめく大量のスライムを一掃することができた。さらに、一度駆除した後では、魔王共生体を持つスライムは二度と復活しなかった。作業は一気に捗った。
だが、その一方でハルビア博士から気になる報告があった。
港を浚渫していた船が回収したヘドロの中からスライムが発見された。驚いたことに、それらは魚やカニやゴカイなど様々な海の生物に変身して船の作業員に襲いかかってきたらしい。夜警が追跡調査を行ったところ、付近の海底に大量のスライムが見つかった。分析の結果、それらのスライムすべてから魔王共生体が検出された。
ハルビアが言った。
「おそらく、アキモト氏の情報抹消魔術の影響を受ける前に、下水道の群体から分離したものだろう。合流式下水道では、大雨が降ると一気に大量の雨水が流れ込み、下水処理場の能力を超えた分はほとんどそのまま河川へと放流される。それとともに変異スライムが海に流出した可能性が高い。さらにスライムは下水道だけでなく雨水排水路にも生息していた。雨が降るたび、どれだけの変異スライムが海域に押し流されてきたか、知るすべはないね」
「奴らは海底で新たな群体を作っているのでしょうか。新たな魔王の母体となる可能性は?」
シャモス隊長が言った。彼女は一連の魔王やスライムとの戦いの功績を認められ、夜警の隊長に昇格していた。
「まだ、なんとも言えんね。海底に堆積したヘドロを餌にして増えている可能性はある。しかし、だ。下水道と違って、海は厳しい生存競争の場だ。肉食魚や海の魔物もいる。ろくな天敵もおらず、栄養分も豊富で暖かい下水道ほどやつらの生育に適した環境ではないと思うよ。ま、可能性は半々といったところかな。これも継続案件だね」
続いて話題は「顔を変える男」へと移っていった。
以前から市内各地で、自由に顔を変える不審な人物の目撃が相次いでいた。単なる変装魔術の誤認が大半だと思われるが、中には数件、使徒の生き残りではないかと思われる目撃談があった。これについては夜警と治安維持局、それに聖教会の騎士たちが追跡を行い、一度は不審な存在を追い詰めたが、あと一歩の所で取り逃がしていた。
準魔王の崩壊から二年近くが経った今でも生き延びている使徒は相当に慎重で狡猾だった。おそらく、あの男、ギレビアリウスの分身の最後の一体だろう。決して他のスライムには近づかず、普通の人間のふりをして街に紛れて生きている。奴の狙いは間違いなく準魔王群体の機能回復だ。
「……彼は今でも忘却魔術を消し去る方法を探し続けているはず。けっして油断してはならないわ」
秋本紗英が言った。
俺が魔王を倒したのとほぼ同じ頃、彼女は病院のベッドで意識を取り戻した。
それはまさに奇跡だった。準魔王群体に保存されたすべての情報を抹消する魔術で、彼女自身の自我も完全に消滅してしまったと考えられていたからだ。
紗英さんは夢の中で秋本と会ったという。秋本が無の世界から自分を救い出してくれたのだと、のちに彼女は語った。その直前、俺が配管の奥で秋本の声を心の中で聞いたのと考え合わせると、あの時、本当に秋本の魂がこの世界に戻り、俺たち二人を救ってくれたのかもしれない。
あの秋本の声の導きがなかったら、俺はあのまま配管の奥で怯えながら死んでいたに違いない。そして誕生した新たな魔王にこの都市は蹂躙されていただろう。秋本には感謝してもしきれなかった。
次回は一ヶ月後に開くことを決めて、今回の魔王関連対策会合は終わった。
俺は夜警本部を出た。
木陰で日傘を差し、俺を待っている人がいた。
「遅かったわね」ガエビリスが言った。
「ごめん、待たせたね。帰ろうか」
俺たちは歩き出した。表通りを外れ、雑然とした感じの裏通りに入っていく。さらに建物の間の狭い路地に分け入った。一匹のドブネズミが慌てて逃げていく。日の光が届かないその暗い片隅に、地下への入り口があった。俺たち二人はその中に潜り込んだ。
準魔王群体が取り除かれ、地下の街は以前の姿を取り戻していた。
だが、かつてそこに住んでいた大勢の人々が戻ることはなかった。
彼らはギレビアリウスが引き起こした混乱の犠牲になって死んだのだ。
がらんとして寂しい場所になったそこに、俺とガエビリスは一緒に住んでいた。
そしてもう一人も。
「…ただいま、姉さん、ワタナベさん…」
俺の手に細い触覚が触れ、振動で言葉を伝えた。ガエビリスの弟、ローチマンのリゲリータだった。
ある日、下水道のスライムを駆除していて、俺は彼と再会を果たした。リゲリータはギレビアリウスの反乱と、それに続く準魔王群体の地下支配という厳しい時代を果敢に生き延びていた。
俺は彼を置き去りにして都市から逃げたことを詫びた。だがリゲリータは「…大丈夫ですよ、ぼくは生命力と生存能力には自信がありますから。なんせゴキブリですからね…」そう言って笑って許してくれた。
地下の街に居を移して、もう数ヶ月になる。
魔王を倒した後しばらくの間、俺はすっかり英雄扱いだった。名声に釣られ、こんな俺にさえ言い寄ってくる女がたくさん現れたのには驚いた。一時はすっかりのぼせ上がり、自分を見失っていた時期もあった。だが、人々の熱狂はすぐに冷めた。
そして、俺の過去が掘り起こされた。水龍暴走事件だけでなく、その何年も昔、下水道清掃員という懲罰的労働刑に就かされるに至ったくだらない罪も。俺は魔術を使えるようになりたいと思うあまり、魔力を飛躍的に高めると言われる違法薬物に手を出してしまったことがあったのだ。逮捕された俺は、社会階層を降格され、下水道清掃で罪を償うことを命じられた。
一転して、バッシングが始まった。犯罪者のドブさらい勇者と陰口を叩かれた。
そこでガエビリスの勧めで、俺たちは再び地下に住むことにしたのだ。結局バッシングも長くは続かなかったが、その頃には再び地上に住みたいとは思わなくなっていた。暗くて静かで、いつもひんやりと涼しい地下の方が落ち着くのだ。
ガエビリスには明確な目的があった。
それは地下の街の再興だった。
この都市は様々な事件に遭遇したが、地上の階級社会と、非人道的な精神矯正措置はまだ健在だった。哀れな被矯正者は行き場もなく街を徘徊していた。ガエビリスは都市を歩いてそんな人々を探し出し、少しずつ地下の街へと案内していた。まだ人数は少ないが、何人かがここに住み始めていた。
最近、その中に一人、新しいメンバーが加わった。
ボロボロの黒い帽子を被った髭面の男だった。ヨブズと名乗るその男の帽子を見た時、俺はハッとした。まさかこの男は……。いや、そんなはずがない。だらしない顔付きも、でっぷり太った体型も、のんきな性格も、あまりに彼と違いすぎる。これが野村のはずがない。きっとどこかでこの黒いチューリップハットを拾っただけだ。だが、ヨブズと話していると、以前からの知り合いだという気がしてならなかった。
「ねえ、ワタナベさん」
「なんだい、ガエビリス」
「さっきの話だと、準魔王群体のスライムはもう残り少ないみたいね」
「まあ、この都市の下水道に棲んでいる奴らに関しては、あとちょっとで撲滅できそうだな」
「もし、すべての変異スライムを駆除したら、その後はどうするの?」
「え?そうだな……」突然の質問に、俺は考え込んでしまった。
たしかに、共生体を持たない普通のスライムなら俺じゃなくても駆除できるわけだし、昔の罪に対する社会奉仕労働の責務は魔王を倒した功績によりすでに取り消されている。もうすぐ、俺が下水道清掃員を続ける理由はなくなるのだ。
これを機に、他の仕事に転職することを考えてみた。
倉本や佐々木のような冒険者になるか。
いや、俺は断じてそんなワイルドな人間じゃない。
勉強して資格を取って、弁護士になるか。それとも紗英さんのように魔術師になるか。
どちらもピンと来ない。
俺がこの異世界に来てからしていた事と言えば、下水道清掃がほとんどだった。
やっぱり俺には、これしかないのか。
壁に立てかけられたスコップに目をやる。
少なくとも、他にやりたいと思うことができるまで、もうしばらく続けるのも悪くないかもな。
俺はそう思った。
終
ついに完結しました。まさか二年以上書き続けることになるとは思いもしませんでした。最初は、以前書いた「アンダーグラウンド異世界下水清掃員」を圧縮して短編化しようと軽い気分で手をつけはじめたのですが、気がつけば長期連載に。下水道というテーマで思いつける限りのネタを投入していったらこんなに長くなってしまいました。この作品にお付き合いいただいた読者の皆様、ありがとうございました。




