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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅳ部
116/117

第116話 勇者の条件②

 その新しい刃は、まるで山間の清流できらめくような清浄な光を放っていた。この汚濁にまみれた闇の底で、それは実体化した希望そのもののように見えた。

 剣の握りを通じて、光の清らかさが体内に浸透してくるようだった。全身を責め苛む苦痛と脱力感が急速に洗い流されていく。渡辺裕紀(ひろき)は体を起こし、二本の足でしっかりと立ち上がった。


 ……ようやく剣を手に入れたな、勇者よ。


 心の中に声が響いた。深く響くその声にはどこかで聞き覚えがあった。そうだ、秋本の声に似ている。だが、それだけではなかった。もっと大勢の人間の声がひとつに重なり合い、言葉を形作っている。


 ……その通り、これは聖剣の声。歴代勇者たちの魂の残響だ。無論、先代勇者の秋本の声がもっとも鮮明だが、それ以前の数百人の勇者、そのすべての声が残されている。


 数百人だって。多すぎる。たしか秋本で97人目の勇者だったはずではなかったのか。


 ……すべての勇者が歴史に残されているわけではない。誰も知らない勇者、忘れ去られた勇者、意図的に記録から抹消された勇者もまた存在したのだ。だが、彼らのすべてが魔王と果敢に戦ってきた真実は消え去ることはない。すべての戦いの記憶はこの神授の聖剣に刻みつけられている。


 なぜ今まで黙っていた。そもそも神授の聖剣って何なんだ。


 ……魔王という圧倒的な脅威に翻弄されてきた人々の祈りと、絶望的な戦いに挑んだ勇敢なる者たちの魂の結晶、それが聖剣だ。君がこれまで手にしていたのは、残念ながら、無の剣セクタ・ナルガの形と機能を模倣した偽聖剣(フェイクソード)だった。模造品としては他に例がないほど精巧だったが、それでも偽物だ。ついに使用限界が訪れ、砕け散った。


 偽聖剣。つまり、自分は勇者ではなかったのか。突然知らされた事実に渡辺は愕然とした。じゃあ、今まで自分はいったい何のために戦ってきたんだ。


 ……取り乱すな、渡辺。君はこれまでの経験を通じ、真の勇者の資質を十分に証明してきた。真の勇者とは、自らが傷つくことを厭わず、魔王との戦いに身を投じる者だ。どんな悲惨な状況にあっても決して諦めず、前に進んで行く者のことだ。

 たとえ下水道清掃員や被矯正者、ローチマンに身をやつしても、君は決して人の道を踏み外すことだけはなかった。汚物にまみれて足掻きながら、大切な者を守るためずっと必死に戦ってきた。君は立派な勇者だ。

 聖剣は勇者の元にのみ現れる。この聖剣は偽聖剣の残骸を依代にしてこの世界に顕現したのだ。君の魂の特性に合わせた新たなる聖剣、浄化の(つるぎ)セクタ・クォリリアとなって。さあ、この剣を使い、魔王を滅ぼすのだ、勇者渡辺よ。



 浄化の剣か。渡辺は透き通った剣をあらためて見つめ、そして固く握り締めた。

 魔王が消えた天井の大穴を見上げる。頭上の闇の中で巨体がうごめいている気配があった。魔王はまだ地上には達していない。


 渡辺は浄化の剣を頭上に差し上げ、清らかな光で不浄の闇がわだかまる穴の中を照らし出した。

 魔王が吐き出した触手/線虫の群れは岩を溶解させ、滑らかな内壁をもつ高さ数十メートルの縦穴を作り出していた。

 その先には闇が凝固したかのような、黒く禍々しい魔王の姿があった。光に照らされたその姿は信じられないほど醜悪で、人の生理的嫌悪感を最大限にかき立てるものだった。もつれ合った剛毛と棘だらけのどす黒い体、ごちゃごちゃと生えた無数の付属肢と長い触覚。でっぷりと肥大化した腹部。ヒクヒク動く肉色の触手。具体的な形態こそ異なるものの、そこから受ける印象はゴキブリに似ていた。ただ、その百万倍はおぞましかった。腐敗、汚濁、悪意、憎悪、異常性。これらの概念をひとつに混ぜ合わせ、血肉を与えたらこのような姿になるだろうか。見ているだけで目玉が腐っていくようだ。これまで暗くてはっきり見えなかったはの不幸中の幸いだったと言う他ない。


 魔王は岩を溶かしながら一心不乱に地上へと向かっていた。

 いったい何をそんなに急いでいるのか。渡辺はいぶかしく思いながら魔王をさらに観察した。そして恐るべきことに気付いた。

 魔王の腹部の末端で何か白く小さいものがうごめいている。短い脚を持った、ダニのような生物だ。それは尾端に開いた穴から産み落とされると、魔王の背中によじ登っていった。魔王の背中はすでに同様の生物でびっしりと覆われていた。


 まさか、これは魔王群の幼体か。

 魔王群とは魔王の分身であり、その手足となって活動する怪物たちだ。変異を繰り返し、様々な姿に進化しながらどんどん自己増殖していく。前魔王ユスフルギュスの時も、魔王そのものに殺傷された者よりも、魔王群の怪物の犠牲になった者のほうが圧倒的に多かった。こいつは魔王群を地上にばらまくつもりなのだ。もしあれが地上に解き放たれたら大変なことになる。


 その前に、何としても、一匹残らず駆除する。

 渡辺は浄化の剣を頭上高くに振り上げた。次の瞬間、透き通った刃は剣としての形を失い、清らかな聖水の奔流となって迸った。飛沫を上げる高圧の水流は魔王に降りかかり、その背中に蝟集する幼体を一瞬にして洗い流した。しかも、それだけではなかった。渦巻く水は飲み込んだ魔王群の幼体をたちまち溶かし、跡形もなく消滅させた。

 浄化の剣にはその名の通り、すべての穢れを浄化する力を秘めている。聖水の姿になった時、その能力は最大限に発揮される。高圧の超微細気泡の力で洗い落とした汚れを瞬時に浄化するのだ。

 魔王群の幼体を消し去った聖水は渡辺のもとに舞い戻り、再び剣の姿を取った。



 その時、頭上から光が差した。魔王がついに地上への出口を開いたのだ。逆行の中で、醜悪な魔王が外へとよろめきながら転がり出ていくのが見えた。

 浄化の剣の攻撃で、幼体だけでなく魔王本体も少なからずダメージを受けたようだ。だが、このまま行かせてなるものか。俺は浮揚の魔術を発動し、魔王が開けた縦穴の中を垂直に上昇していった。



 地上に出ると、そこは意外な場所だった。

 市内でも有数の大通りは、夕方を迎えて混雑していた。渡辺が出たのは、大勢の人や車が行き交う道のど真ん中だった。探すまでもなく魔王はすぐに見つかった。魔王は大混乱を引き起こしながら、こちらに背を向け、大通りの真ん中を大股に疾走していた。突進する魔王を避けようとした車同士がぶつかり合い、至る所で事故が発生した。不運にも魔王の進路上にいたため、何人もの通行人が踏み潰され、蹴散らされた。悲鳴を上げながら逃げ惑う人々の流れに逆らいながら、俺は魔王の後を追って走った。


 魔王が立ち止まった。夕日を背にしてこちらを向き、巨体をまっすぐにそそり立たせる。その口が大きく裂け、喉元が膨らんだ。まずい、この人混みの中であのすべてを溶かす線虫を吐くつもりだ。俺は浄化の剣を聖水の姿に変え、急いで魔王に飛ばした。だが間に合わなかった。線虫を含んだ魔王の吐瀉物が、逃げ遅れた人々の頭上に降り注いだ。線虫の群れは人々の皮膚に瞬時に潜り込み、体内を浸食しはじめた。目を覆いたくなるような地獄絵図が繰り広げられるかと思われたその時、浄化の聖水が吐瀉物を浴びた人々を包み込んだ。優しく渦巻く聖水は、おぞましい線虫を分解し、浸食されかけた人々を元の姿に戻した。


 魔王は怒りの咆哮をあげた。

 両腕の鉤爪を振りかぶり、渡辺めがけて一直線に突っ込んでくる。


 人々を癒やした聖水は瞬時に剣の姿に戻った。

 渡辺は浄化の剣を構えた。怒号をあげて迫り来る魔王を目前にして、渡辺の心はかつてなく平静だった。狙うのはあの心臓だ。

 今だ。渡辺は魔術で強化した脚力で地を蹴って跳躍した。振り下ろされた鉤爪をかいくぐり、脈動する赤い心臓に浄化の剣を深々と突き立てた。


 心臓は熟しすぎた果実のように破裂し、強烈な悪臭を放つタールのようなどす黒く粘っこい血液を大量に飛び散らせた。だが渡辺は剣を抜かず、さらに魔王の体内奥深くへと刃を押し込んだ。そして、剣を聖水の姿に変えた。聖水は魔王の循環系を巡り、体内から分解していく。都市全体から様々な汚濁を集めて作り出された魔王を完全に浄化するのは、聖剣の力をもってしても時間がかかった。だが、やがて内側から浄化し尽くされた魔王は崩壊し、あとに白い塵の山だけを残した。



 勝った。

 渡辺は地面に膝を突き、大きく息をついた。とうとう、魔王を倒した。まだ自分でも実感が湧かない。浄化の剣を握る手が細かく震えていた。


 声が聞こえた。それは歓声だった。

 はじめは控えめだったその声は、少しずつ大きくなり、周囲は割れんばかりの大歓声に包み込まれた。渡辺と魔王との戦いを見ていた人々は口々に言った。

「勇者だ」「勇者が勝ったぞ」

「勇者が魔王を滅ぼしたぞ」


 一人の市民が進み出て、渡辺に手を貸して立ち上がらせた。若い男だ。

「勇者様、あなたの勇敢なる戦い、拝見させていただきました。もしよろしければ、お名前を教えていただけないでしょうか」

「えっと……。渡辺、渡辺裕紀だ」

「勇者ワタナベ様、我ら市民を魔王の手よりお救いいただき、感謝します」

「みんな、勇者ワタナベに拍手を!」


 渡辺は戸惑いを覚えながらも、おずおずと手を上げて市民たちの歓呼に応えた。

 なんだかまるで現実感がない。まるで夢の中のように足下がふわふわする。だけど、俺はやり遂げたのだ。

 市民たちの拍手喝采は、大通りからその周辺へと伝わり、やがて夕暮れの迫る都市全体にとどろき渡った。

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