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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅳ部
115/117

第115話 勇者の条件①

 俺は狭い配管の中の隠れ家から、魔王の待ち受ける外に出ることを決意した。

 だが、身動きが取れない。まさか、恐怖に駆られるあまり、奥まで入り込みすぎて配管に詰まってしまったのか。こみ上げてきたパニックを必死に押し殺し、もがいていると、配管に溜まったぬるぬるとした汚泥が潤滑剤となり、少しずつ体が滑りはじめた。配管の壁に両手を突っ張り、足から先に体を外へと押し出していった。


 何ヶ所かの曲がり角をへて、ようやく外に脱け出せた。幸い、抜け出す途中で足首を捕まれて引きずり出されるような事態にはならなかった。再び汚水の中に身を沈め、身を隠しながら周囲の様子をうかがった。


 魔王はすぐそこにいた。

 だが、こちらに背を向けている。千載一遇の機会だった。奴に気付かれぬよう慎重にここから離れ、地上に助けを求めるのだ。あいにく倉本と佐々木は南方大陸に旅立ち不在だが、夜警や軍や聖教会に助けを求めればいい。彼らが総力を結集すれば何とかなるだろう。


 だけど、もし俺が道に迷い、地上にたどり着くのが遅れたらどうなる。実際、俺は今、自分がどこにいるのか全くわからなかった。俺が地下で迷っている間に魔王の方が先に地上に出てしまうかもしれない。それでは魔王の存在を地上に警告することができない。魔王誕生に気付くことなく、地上で安穏と暮らしてる人々の元に、ある日突然魔王が出現することになるのだ。凄まじい被害が発生するだろう。もしかしたら、ガエビリスの身にも危険が及ぶかも知れない。


 だめだ、このまま逃げるわけにはいかない。

 踏みとどまって、俺自身がここで魔王を仕留めるしかない。だが、そんなことが本当に可能なのか。いくら魔術が使えるようになったからと言って、たった一人で、聖剣もないのに魔王に勝てるのか。いや、それでも俺がやるしかないのだ。

 幸い、魔王はまだ誕生直後で弱いはずだ。成長しきって完全体になってしまったら、今度こそ本当に勝ち目がなくなる。それに、奴は俺の姿を見失っている。今しかない。チャンスは一度きり。出しうる限り最大限の力で奴を叩く。


 今の自分に出せる最大の攻撃は一体何だ。俺は考えた。何年も前に暗記しまくった呪文の数々を記憶の底から必死に呼び戻す。

 そしてある呪文を思い出した。これならひょっとしていけるかもしれない。初級魔術一つ使えないくせに、無謀にもこんな高度な呪文まで覚えようとしていたのには我ながら呆れるが、まさか実際にそれが役に立つ日が訪れようとは。

 配管の闇の中でつかんだ、魔力の流れを制御する感覚はまだ失われていなかった。もう大丈夫だ、俺はこれからも魔術を使える。あの時一度限りのまぐれなんかじゃない。俺は精神を集中し、周囲からありったけの魔力エネルギーの流れを呼び込み、自分という貯水池に溜め込んでいった。予想以上にきつい。蓄積していく大量の魔力で全身がぶるぶると痙攣をはじめた。脳が熱い。神経が焼き切れてしまいそうだ。やがて、もはや貯留量の限界だと感じられる瞬間が訪れた。


 俺は震える左腕を右手でしっかり握り締めて固定し、魔王に狙いを定めた。魔王はまだ背を向けている。

 俺は大声で魔王に呼びかけた。

「おい、どこ見てやがる。俺はこっちだぞ」

 魔王が悠然と振り返る。心臓の赤い輝きが目に入った。

 今だ。俺は一つの呪文を唱えた。


 まばゆい閃光を放ち、左の手の平から光の柱が一直線に魔王に向けて飛んだ。「光の槍」だ。発射の瞬間、凄まじい熱と激痛が左腕全体を刺し貫き、一瞬、術の負荷に耐えられず左腕が爆発したのかと思った。だが腕は無事だった。

 光の槍は赤く脈動する魔王の心臓を逸れ、斜め上の胸郭に穴を穿っていた。魔王の心臓を光の槍で貫き、一撃で仕留める作戦には失敗した。だが、かなりのダメージは与えられたようだ。光の槍は魔王の体を貫通せず、体内で拡散し、まるで散弾銃のように内部を滅茶苦茶に破壊していた。俺の魔術が未熟だったために光の槍が最後まで収束性を保てずに散乱し、結果的にかえって破壊力が増したようだった。魔王は胸に開いた大穴からどろどろとした粘液を大量に噴きこぼしていた。


 だが、魔王はそれでも俺に襲いかかってきた。もう一撃、光の槍を放つため、再び自分の中に魔力を寄せる。だが、周囲を流れる魔力エネルギーは枯れ果てていた。ほんの小川程度の、ちょろちょろと流れる細流がかろうじて残っているだけだ。さっきの一撃で周囲一帯の魔力を使い果たしてしまったのだ。これでは光の槍が撃てない。その事に気付いた時、魔王はすでに眼前に迫っていた。大鎌のような鉤爪が俺に向かって振り下ろされた。鉤爪は俺の目と鼻の先をかすめて通過した。危うく袈裟斬りにされるところだった。


 魔王は鉤爪と触手を振り回して俺を追ってくる。

 やはり一撃で仕留められなかったのが痛かった。一転して俺は再び窮地に陥っていた。何とか事態を打開する手段はないものか。やはり聖剣が、少なくとも何か武器になるものが必要だ。ここまで流されてくるうちに失った聖剣を取り戻す手段はないか。今頃、どこかの下水の底に沈んでいるに違いない聖剣を再び手に入れられなければ、俺に勝ち目はない。だが、暗い水の底に沈んだ聖剣をどうすれば見つけ出せるというのか。金属探知機でもなければ……。そうか。聖剣の刃は未知の素材でできているが、少なくとも鞘や剣の握りは金属製だ。金属であれば、もしかしたら磁力魔術で引き寄せることができるかもしれない。魔力は光の槍ほど必要としない。魔力がほとんど枯渇した今でも何とか使えそうだ。試す価値はある。


 俺は磁力魔術を発動した。

 何も起きない。少しずつ磁力を強めていくと、下水の底に沈んでいた様々な金属製のガラクタが浮上してきた。針金、釘、鍋、注射針……空中に浮かび上がった雑多なガラクタは互いに磁力で引き寄せ合って一つの塊を形成した。だが、その中にまだ聖剣はない。限界まで磁力を上げた。鉄パイプ、自転車の車輪、錆びたナイフ、一気に膨大な数の鉄屑が塊に加わった。こんなに大量の鉄屑が下水道に沈んでいたとは誤算だった。もしこの中に聖剣が紛れ込んでいても見つけるのは困難だ。

 だが、この鉄屑は武器になる。俺は巨大に膨れ上がったガラクタの塊を迫り来る魔王に向けて磁力で押しやった。加速された塊は魔王に激突し、盛大に飛び散った。魔王が絶叫を上げた。その複眼に無数の釘やナイフや鉄屑が突き刺さっていた。一時しのぎにはなったか。


 その隙に俺は聖剣を探し続けた。

 磁力で空中まで引き上げなくとも、弱い磁界で水中を探ることで、沈んだ金属を探り当てられることがわかった。盗まれた財宝と思われる金貨や貴金属などの、磁力には反応しない金属の位置もはっきりと感じられた。走査する範囲を広げながら上流へと遡っていくと、少し離れたところに、長さ1メートルほどの特徴的な形状をした物体が沈んでいるのを探知した。剣に違いない。聖剣かどうかはわからない。俺は磁力を強め、それを手元に引き寄せた。

 果たして、それは神授の聖剣、セクタ・ナルガだった。汚水の中から姿を現した漆黒の刃は俺の手の中に収まった。同時に、魔王が俺に追いついた。俺は振り向きざまに、聖剣の刃を伸ばして魔王に斬りつけた。



 すべての物体を切断するはずの漆黒の刃は、まるで脆いプラスチック片のように粉々に砕け散った。


 次の瞬間、魔王の鉤爪が俺を引き裂いた。

 そんな馬鹿な。いったい何が起きたのか、俺は自分に起きた事態が信じられなかった。以前聞いたハルビアの言葉が耳に蘇った。偽聖剣(フェイクソード)。神授の聖剣を模倣して作られた偽物。たまたまこの場所に偽聖剣が沈んでいたのか。それとも、そもそもの初めから、教団の廃墟で俺が手に入れたのは本物の聖剣ではなかったのか。ということは、俺は勇者ではなかったのか。

 

 魔王は俺をボロ屑のように投げ捨てると、耳障りな金切り声をあげた。明らかにその声は俺を嘲り笑っていた。

 魔王は俺に背を向け、天井を見上げた。上を向いたその顔がまるで上下に裂けるように大きく口を開いた。何列にも並ぶ鋭い歯列がむき出しになる。その喉の奥から、おびただしい数の肉色の触手の塊が吐き出され、天井一面に吹きつけられた。ミミズの群れのような大量の触手はまたたくまに天井を浸食し、岩盤を溶かして大穴を開けた。魔王は上に腕を伸ばすと、天井に開いた穴の縁に爪を引っかけて体をもちあげ、穴の中を登っていった。


 あいつを地上に行かせるわけにはいかない。何としても止めなければ。

 だが、その前に傷の手当てが必要だ。俺は意識を失いそうになりながらも、何とか治癒魔術を発動した。傷は深かった。胴体をえぐった傷は一部で肋骨にまで達し、下腹からは腸が少しはみ出していた。もし治癒魔術が使えなかったら、出血多量でとっくに死んでいたに違いない。だが、傷の治りは遅かった。いまだ完全に塞がりきらない傷口からは血が流れ出続けていた。胸から流れ出た血は腕を伝い、剣の柄を握ったままの手を濡らし、そして刃を失った剣を血に染めた……。


 俺は何とか立ち上がろうとした。しかし、血液を失いすぎたようだ。

 視野が周辺部からどんどん暗くなり、意識が遠のいていく。

 俺は狂おしい思いで、魔王が消えた天井の穴を見上げた。こんなところで寝ている場合じゃないのに、体が言うことを聞かない。

 その時、俺の目は狭まった視界のすぐ外側で、かすかな光を瞬くのを捉えた。青い透き通った光だ。それが下の方、俺の手の辺りで瞬いている。俺は天井の穴から視線を引き剥がし、自分の手を見た。


 光の源は剣だった。これまで漆黒の刃があったところに、新たな刃が生じていた。しかしその姿はこれまでと全く異なっていた。水のように透き通った、ガラスのような繊細な刃だった。いったい、何が起きているんだ。

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