106 恐怖
女は、ギィ……ギィ……と不気味な足音を立てながら近づいてくる。
砕けたガラスが足元でピキ、パキ……と割れ続け、
そのたびに店の空気がピンと張りつめる。
明かりがまたバチッ!と瞬き、
女の影が壁に大きく伸びて、私たちを包み込むように揺れた。
「……シュウくん……いこ……」
その声は、耳元で囁かれたように感じるほど近い。
でも、女はまだ五メートル先――
声が空間をねじ曲げているかのようだった。
私は震える脚をなんとか前に出し、
胸の奥で何かが「逃げろ」と叫んでいるのを必死で押さえ込んだ。
――いやだ。
――シュウを渡したくない。
私は息を大きく吸い込んで、一歩前に出た。
「……か、帰ってください!!」
声が震えていた。
喉の奥がひきつり、言葉がうまく出てこない。
それでも、必死に続けた。
「あなたは……もうこの世の人じゃない!
だから……自分の場所に帰って……
これ以上、シュウに……関わらないで!!」
言い終えた瞬間。
バチンッッ!!
店の電気が一斉に消えた。
真っ暗。
次の瞬間――
ヒュゥゥゥ……ッ
背後から冷たい風が通り抜け、髪がざわりと立ち上がる。
「ひっ――!」
思わず悲鳴が漏れた。
暗闇の中、女の“形”だけがぼんやりと浮かび上がっていく。
白い顔。
裂けたような笑み。
闇の底で光る、赤黒い目。
その目がまっすぐ、私だけを見ていた。
ギ……ギギギ……
女の首が不自然な角度へとゆっくり傾く。
そして。
「……あなたが……
邪魔をするのねぇ……?」
低く、くぐもった声が暗闇に響き、
店全体がその声に震えた。
足元の破片がカタカタ……と揺れ始める。
鼓動が耳のすぐ横でドクッ、ドクッと鳴り、
頭がクラクラしてくる。
後ろからシュウの弱々しい声が聞こえた。
「ひな……に、逃げ……」
言い終わる前に、
女の影がスッッ……と私の目の前まで迫った。
息が止まりそうになる。
闇の中、女の口元がゆっくりと開いた。
「……返して……」
その一言で、空気が凍った。
私の脚は震え続けていたけれど――
それでも、決して下がらなかった。
“ここで退いたら、シュウは終わる”
本能がそう叫んでいた。




