観測の果てに揺れるもの
港町の屋敷に、朝の光が満ちていく。
古い硝子窓を通した陽射しはやわらかく、
床に描かれた魔方陣の線を淡く照らしていた。
エレノアは、いつもより慎重に魔力を落とす。
(……観測だけ……今日も、それだけ)
昨日と同じ陣。
同じ配置。
同じ距離。
条件を一切変えない――
それが“異変”を正確に捉える唯一の方法。
静かに、魔力を流す。
陣が淡く起動し、
空気がわずかに張り詰める。
――そして。
「……っ」
エレノアは、思わず息を止めた。
中心部の揺らぎが、
昨日より“整っている”。
不規則だった波形が、
一定の周期を刻んでいる。
(……安定、してる……?)
しかもそれは、
外から抑え込んだ結果ではない。
内側から、均衡を保っている。
まるで――
自分で“形を選んでいる”ような。
「そんな……」
エレノアは無意識に一歩近づき、
はっとして足を止めた。
(……だめ……距離は、ここまで……)
観測陣は反応する。
けれど、暴走しない。
それどころか――
中心に浮かぶ淡い光が、
ほんの一瞬だけ、“こちらへ傾いた”。
錯覚。
そう思おうとしても、
魔術師としての感覚が否定する。
(……今……私を……“認識した”……?)
喉が鳴る。
これは、魂核そのものではない。
だが、魂核に“触れていた何か”。
――ルベルと繋がっていた、エレノア自身の魂の一部。
師匠のメモが、脳裏に浮かぶ。
「契約者と召喚獣は、魂核が繋がる」
繋がる、ではない。
繋がっていた。
そして、その痕跡は――
切れていなかった。
(……残ってる……)
それは希望と同時に、
底知れない恐怖を伴っていた。
もし、この揺らぎが
“意思”を持ち始めているのだとしたら。
もし――
こちらを“探している”のだとしたら。
エレノアの胸が、きゅっと締めつけられる。
(……だめ……まだ……)
呼びたい。
確かめたい。
名前を、呼びたい。
けれど、それは禁忌だ。
観測者であることをやめた瞬間、
この均衡は壊れる。
エレノアは、震える指で記録を書き加えた。
・波形、自己補正を確認
・外部刺激なしで指向性あり
・契約者側への反応、微弱だが明確
・呼応の兆候――あり
最後の一行を書いたところで、
ペンが止まった。
(……呼応……)
その言葉は、
あまりにも――近い。
魔方陣の中心で、
淡い光が、再び静かに脈打つ。
まるで、
――「見ている」
――「待っている」
そんな錯覚を抱かせるほどに。
エレノアは、そっと目を伏せた。
「……焦らない……」
自分に言い聞かせるように。
「……絶対に……壊さない……」
その誓いに応えるかのように、
揺らぎは再び、穏やかな周期へ戻っていった。
――だが。
この日を境に、
観測は“一方通行”ではなくなった。
見ているのは、
エレノアだけではない。




