応えるような温度
港町の朝は、王都よりもずっと早い。
潮の香りを含んだ風が、古い屋敷の窓を軽く叩き、
白い光が床に細く差し込む。
エレノアは、夜明けと同時に目を覚ました。
(……大丈夫)
胸に手を当てる。
あの、痛むほどの空白はない。
代わりに――
微かだけれど、確かに“ある”感覚が残っている。
昨夜、再び観測陣を展開した。
決して呼ばない。
決して触れない。
ただ、見るだけ。
それなのに。
「……揺れが……違う……」
床に描いた簡易陣の中心で、
淡い光が、前よりも落ち着いて脈打っていた。
暴れない。
拒まない。
逃げもしない。
まるで――
そこに“居続ける”ことを選んでいるような反応。
(……残滓が……安定してる……?)
エレノアは息を整え、
魔力の流れを極限まで抑えながら、
再度、観測を行った。
魂核の直接的な反応ではない。
けれど、完全な虚無でもない。
“繋がりの痕跡”が、
時間とともに、自己を保ち始めている。
「……ルベル……」
名前を呼びかけそうになって、
エレノアは唇を噛んだ。
(……だめ……呼ばない……)
呼べば、答えが返ってくる可能性がある。
それは“希望”ではなく、“破壊”への近道だ。
師匠の言葉が、再び胸に浮かぶ。
「魂を無理に戻せば歪む。
だが、歪まずに残った絆は――
必ず、行き先を示す」
エレノアは、観測結果を一つ一つ記録していく。
・魂核の完全消失は確認されない
・契約者側の魂に、共鳴痕が残存
・時間経過による減衰は、ほぼ停止
・外的刺激なしで、安定傾向
ペンを持つ手が、わずかに震えた。
(……“戻せる”かどうかじゃない……)
大切なのは、
“壊さずに進めるか”。
創るのではない。
呼び戻すのでもない。
――辿り直す。
エレノアは、そっと陣を消した。
今は、これでいい。
焦らない。
欲しがらない。
独りよがりにならない。
それが、
ルベルを想う者としての最低条件だと、
はっきりわかっていた。
窓の外では、
港がゆっくりと目を覚まし始めている。
船の帆が揺れ、
人々の声が遠くで混じり合う。
エレノアは、小さく微笑んだ。
「……大丈夫……ちゃんと……進んでる……」
胸の奥で、
ほんの一瞬――
**“応えるような温度”**が、
確かに揺れた。
それは錯覚かもしれない。
けれど。
今までの絶望とは、
明らかに違う感触だった。




