港町の古い屋敷
観測陣は、淡く反応していた。
強くもなく、弱くもない。
ただ確かに――そこに“線”があると示す光。
エレノアは、息を殺したまま、その揺らぎを見つめていた。
(……ある……)
はっきりと、残っている。
魂核の“痕”。
完全に断たれたものではない、微細な接続。
けれど――
それ以上、何も起こさない。
起こしてはいけない。
エレノアは、師匠のメモを思い出す。
「会いたい、という感情に惑うな。
感情は最も強力な触媒であり、
同時に最も視野を狭める毒だ。
確実性を見失うな」
「……わかってます」
震える声で、そう答える。
胸の奥では、
はやく会いたい
はやく――
という衝動が、爪を立てて暴れている。
それでも。
エレノアは観測陣の光を、ゆっくりと閉じた。
魔力を引き、
線を畳み、
痕跡だけを心に刻む。
(……今は、ここまで……)
今ここで踏み込めば、
それは“希望”ではなく“暴走”になる。
観測だけ。
確認だけ。
それが、
ルベルを取り戻すための、最初の誠実さだと信じて。
ランプを消し、
資料を丁寧にしまい込む。
そして、決めた。
――逃げる。
翌朝。
夜明け前の薄い空気の中、
エレノアは王都の外れで馬車に乗り込んだ。
目的地は告げない。
名も残さない。
馬車が動き出し、
人通りの多い通りを横切った、その時。
人混みの向こうで、
ふと足を止めた男がいた。
ノワールだった。
「……エレノア?」
一瞬だけ、
確かに“見た気がした”。
だが次の瞬間、
馬車は角を曲がり、
視界は遮られる。
(……いるはずがないか……)
ノワールは小さく息を吐き、
その違和感を理性で押し込めた。
――
馬車は王都を離れ、
いくつもの街道を乗り継ぎ、
やがて潮の香りが濃くなる場所へ辿り着いた。
海が一望できる、港町。
白い波が砕け、
空は広く、
魔力の流れも王都よりずっと粗い。
エレノアはこの港町に決めた。
港町の仲介屋に幾つか勧められた屋敷の中から
(…できるだけ…街から離れた場所で…)
街外れにある屋敷を選んで購入した。
――
港町から森の小道を抜け
崩れかけた石塀の向こうに、
古い屋敷があった。
かつて魔術師が住んでいたという、
人目を避けるような場所へ。
「……ここなら……」
エレノアは、屋敷の鍵で
ゆっくりと扉を開けた。
潮風が吹き抜け、
埃の匂いと、
微かな“魔術の残り香”。
完璧ではない。
けれど――
ノワールの手は、
ここには届かない。
エレノアは、
胸の奥に手を当て、小さく呟く。
「……待ってて…ルベル…」




