線をなぞる準備
馬車を降りたのは、王都の外れだった。
人の気配が薄く、
魔力の流れも穏やかで、
それでいて“消えた者を呼ぶ”には十分すぎるほど静かな場所。
エレノアは小さな宿に身を落ち着けると、
すぐにマジックバッグを開いた。
取り出すのは、
師匠の研究資料、魔術書、走り書きの束。
机の上に並べるだけで、
胸がざわつく。
(……これ、全部……
“踏み込むため”の道具だ……)
窓を閉め、
簡易結界を張る。
誰にも邪魔されないように。
誰にも“見られない”ように。
灯りを落とし、
ランプだけを残した室内で、
エレノアは師匠のメモをもう一度開いた。
視線は、
例の補記へ。
魂核が封印された場合でも、
契約者の魂に刻まれた“接続痕”は消えない。
「……接続痕……」
呟いた瞬間、
胸の奥が、わずかに熱を持った。
それは錯覚ではない。
(……やっぱり……ある)
ルベルが傍にいた頃と、
同じ場所。
魔力が揺れた時、
彼の気配を感じていた“深部”。
そこに、
何かが残っている。
エレノアは、
師匠のメモを読み進める。
第一段階:
“残滓”の確認。
契約者自身が、己の魂の輪郭を正確に把握せよ。
外部触媒は不要。
必要なのは――記憶と、感情。
記憶。
感情。
エレノアは、
ゆっくりと椅子に腰を下ろし、
目を閉じた。
深呼吸。
(……思い出すだけでいい……)
初めて名前を呼ばれた時。
指先に触れた温度。
守るように、抑えるように、
それでも離れなかった気配。
夜、
ランプの灯りの下で、
彼の胸に顔を埋めたこと。
そして――
封印の瞬間。
光の中で、
最後に確かに聞いた声。
『……愛している』
その言葉を思い出した瞬間。
胸の奥が、
はっきりと“脈打った”。
「……っ」
思わず息を詰める。
魔力が、
内側から浮かび上がってくる。
(……ある……)
確信。
これは妄想じゃない。
未練でも、錯覚でもない。
“線”が、
まだ繋がっている。
師匠のメモの続きを、
エレノアは震える指でなぞる。
残滓が確認できた場合、
それは“呼び水”となる。
だが注意せよ。
この段階で失敗すれば、
契約者の魂そのものが摩耗する。
喉が鳴る。
(……それでも……)
エレノアは、
両手を胸元へ当てた。
「……ルベル……」
名前を呼ぶだけで、
魔力が反応する。
以前よりも、
静かで、
深くて、
執拗な反応。
(……大丈夫……)
これは、
まだ“準備”だ。
創るわけじゃない。
呼び戻すわけでもない。
ただ――
確かめるだけ。
師匠が残した“線”を、
自分の魂の内側で、
なぞるだけ。
エレノアは、
ランプの火を少し落とし、
床に簡易魔法陣を描き始めた。
召喚陣ではない。
封印陣でもない。
――観測陣。
魂の輪郭を可視化するための、
最も安全な方法。
それでも。
描き終えた瞬間、
エレノアの背筋を、
冷たいものが走った。
(……もう……戻れないところまで……
来てるのかもしれない……)
けれど、
ペンを置く手は止まらなかった。




