禁忌の補足、残された線
馬車の揺れが、一定のリズムで続いている。
その単調さに身を委ねながら、
エレノアは膝の上で師匠の魔術書を開いていた。
何度も読んだはずの頁。
角が擦り切れ、指の跡が残るほどに。
――なのに。
「……?」
ふと、視線が引っかかった。
章の見出し。
古いインクで記された一文。
天に召された者へ血肉を付与し、この世へ呼び戻す術。
古代より封じられ、触れてはならない領域。
かつては、
「禁忌だ」としか受け取らなかった一文。
けれど今は、
胸の奥がざわりと反応する。
(……この章……こんなに、書き込みが……)
余白。
そこに、
以前は“見えなかった”はずの文字があった。
極細の筆致。
他の書き込みよりも、さらに慎重な線。
師匠の文字だ。
――いや。
正確には、“後から足された”痕跡。
エレノアは息を殺し、
指先でなぞる。
補記:
契約者と召喚獣は、召喚の成立と同時に
魂核の一部を相互に共有する。
喉が、ひくりと鳴った。
完全な断絶は稀。
特に、長期契約・深度の高い共鳴を伴った場合、
契約者側の魂に“残滓”が留まる可能性あり。
(……残滓……)
胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
さらに続く、走り書き。
魂核が封印された場合でも、
契約者の魂に刻まれた“接続痕”は消えない。
ただし――
そこで一度、線が途切れている。
インクが掠れ、
筆を止めた痕。
そして、最後に添えられた一文。
これを利用する行為は、
厳密には“召喚”ではない。
エレノアは、
その場で動けなくなった。
召喚ではない。
では、何なのか。
心臓が、どくん、と強く脈打つ。
(……私……)
視線が、無意識に自分の胸元へ落ちる。
魂の奥。
ルベルと繋がっていた場所。
別れたあとも、
完全には冷えなかった場所。
「……まさか……」
唇が、震える。
(ルベルの魂核が……
私の魂に……残っている可能性がある……?)
思い出す。
触れた手。
揺れた魔力。
別れ際、強く焼き付いた感情。
そして――
封印の瞬間、
光の中で確かに聞いた、あの声。
『……エレノア。愛している』
あれは、
消える前の残響なんかじゃない。
魂が、呼んだ。
(……だから……)
ノワールの封印は、
“完全”ではなかった。
少なくとも――
私の中では。
師匠は、
この可能性に気づいていた。
だから、
この補記を書き残した。
エレノアは、
本を胸に抱きしめる。
恐怖と、希望と、罪悪感が
一度に押し寄せてくる。
わかっている。
これは、
禁忌だ。
ルベルと同じ存在を
創れる保証なんて、どこにもない。
それでも――
(……試してみなきゃ……わからない)
馬車は、
王都へ向かって進み続ける。
だがエレノアの意識は、
すでに“次の段階”へと踏み込んでいた。
魂に残された線を、
もう一度、辿るために。




