鍵をかける家、導く文字
王都で手に入れたマジックバッグは、
見た目よりもずっと多くを飲み込む。
エレノアは床に膝をつき、
一つひとつ確かめるように荷を詰めていった。
師匠の研究資料。
書き込みだらけの魔術書。
魂核理論の断片が記された古い羊皮紙。
――失くせないもの。
生活用品は、必要最低限だけ。
着替えも、薬草も、道具も。
“今までの暮らし”を再現するためのものではない。
これは、逃避ではなく再出発だから。
行き先は、誰にも告げない。
ノワールにも。
村の誰にも。
ただ――
商店のご夫婦にだけは、
「しばらく王都へ行く」と伝えた。
それが、嘘だということを
エレノアは自覚していた。
(……ごめんなさい)
胸の奥で小さく詫びながら、
最後の確認をする。
「……忘れ物……ない、わね」
立ち上がり、家の中を見回す。
家具の配置は、
ルベルがいた頃のまま。
椅子の位置。
棚の並び。
窓際に置かれた小さな鉢。
まるで――
彼が、少し席を外しているだけのようだった。
喉の奥が、きゅっと詰まる。
けれど、立ち止まらない。
エレノアは玄関へ向かい、
外へ出て、振り返らずに扉を閉めた。
カチリ、と鍵をかける音。
その上から、静かに詠唱する。
「――封印、指定空間。
干渉遮断、魔力反応抑制」
淡い光が家全体を包み、
次第に溶けるように消えていく。
この家は、眠る。
思い出ごと、
大切に、凍結される。
エレノアはマジックバッグを肩にかけ、
村道を抜け、馬車に乗り込んだ。
揺れる車内で、
一冊の書を開く。
師匠が遺した魔術書。
その余白には、
細かく、びっしりと
追記されたメモが残されている。
――注意点。
――失敗例。
――成功に近づいた痕跡。
(……こんなに……)
指でなぞるたび、
師匠の思考が伝わってくるようだった。
まるで今も、
隣で教えてくれているみたいに。
(……導いてください)
馬車は、王都へ。
そこから先は、
別の国か、
別の村か。
まだ決めていない。
けれど一つだけ、確かなことがある。
この文字たちが、
私を導いてくれる。
そして――
必ず、辿り着く。
ルベルの“在処”へ。




