春、独り言の行き先
二度、冬を越えた。
白く積もった雪は溶け、
枝だけだった木々は若葉を茂らせ、
村の外れでは、名も知らぬ花が一斉に咲き始めている。
春だった。
時間だけは、何事もなかったかのように
淡々と前へ進んでいく。
ノワールは、あれから何度かエレノア邸を訪れた。
用件は決まって、
「様子伺い」と
「必要なものはないか」という問い。
けれど――
彼を家の中に招き入れたことは、一度もない。
扉の向こうに立つ気配を感じるたび、
エレノアは無意識に胸元へ手を当てた。
ここには、まだ――
ルベルの気配が残っている。
それを、消したくなかった。
⸻
調合釜の中で、薬液が静かに渦を巻く。
エレノアは木べらを動かしながら、
自然と口を開いていた。
「……いい感じに出来たと思いませんか? ルベル」
返事がないことは、わかっている。
それでも。
「……前より、香りが丸くなった気がします」
独り言は、
以前よりずっと増えた。
小瓶に液体を詰め、
栓をして、並べる。
背伸びをして棚に手を伸ばし、
一つ、また一つと片付けていく。
「そうだ……あとで、ハーブティーも入れましょう」
カップを二つ。
何度も、何度も、
無意識に“二人分”。
ローブに刺したままの刺繍糸を手に取り、
続きを縫う。
針を運ぶ指先は迷いがなく、
技術だけは確実に、研ぎ澄まされていた。
夕陽が窓から差し込み、
室内を橙色に染める。
顔を上げ、
一人分の夕食を作り、
一人分を食べる。
湯に身を沈め、
階段を上り――
エレノアが向かったのは、
自分の部屋ではなかった。
ルベルの部屋。
ベッドに横になり、
天井を見つめる。
思い出が、
勝手に溢れてくる。
声。
視線。
触れそうで触れなかった距離。
胸の奥が、きゅっと縮む。
そのとき、
ふいに、師匠の言葉が浮かんだ。
――
『人は独りでも生きていける。
だが、共に歩む者に出逢えたら、
彩りはさらに豊かになるだろう?
私が、エレノアと出逢えたようにね』
――
「……」
エレノアは、
ガバッと上体を起こした。
呼吸が、少し早い。
……ある。
師匠が遺してくれた研究資料。
魔術書。
魂核理論の断片。
全部、ある。
「……私が……」
喉が鳴る。
「私が……いちから、創れない……?」
自分で言って、
その無謀さはわかっていた。
創られた魂核が、
ルベルと“同じ存在”になるとは限らない。
人格も、記憶も、
核の在り方も、違うかもしれない。
――それでも。
試してみなければ、
何も始まらない。
「……」
拳を、ぎゅっと握る。
「……まずは……引っ越さなきゃ」
ノワールの手が届かない場所へ。
誰にも見られず、
誰にも奪われない場所で。
春の夜は、静かだった。
けれど、
エレノアの胸の奥では――
もう一度、
運命をひっくり返そうとする決意が、
確かに芽吹いていた。




