喪失と静寂
魔術師協会の手続きは、
あまりにも淡々と終わった。
本人確認。
書類の読み上げ。
名前と魔力の署名。
一つひとつが、
まるで他人事のように進んでいく。
ノワールが何か言っていた。
説明なのか、気遣いなのか、
あるいは――正当化だったのか。
けれど、エレノアの耳にはほとんど届かなかった。
音は聞こえるのに、
意味が頭に落ちてこない。
心が、どこか遠くへ置き去りにされたままだった。
「……村へ。帰ります」
自分の声が、驚くほど静かだった。
ノワールは一瞬、言葉を失い、
それからいつもの調子で答える。
「送ろう」
「いえ。必要ありません」
拒絶は、柔らかく、しかし明確だった。
「……そうか」
それ以上、彼は何も言わなかった。
それが、
この数日間で交わした最後の会話だった。
馬車は、黙って揺れ続けた。
車輪の音。
蹄の規則正しい響き。
それらすべてが、
ひどく現実的で――残酷だった。
王都の景色が遠ざかり、
見慣れた道が戻ってくる。
辿り着いたのは、
確かに“自分の家”だった。
鍵を回し、
玄関の扉を開ける。
……ただそれだけの動作が、
胸を抉った。
「……っ」
中に足を踏み入れた瞬間、
空気が、記憶を突きつけてくる。
ルベルのために繕い始めたローブ。
まだ途中の糸。
折り畳まれた布。
床に置かれたままの、
彼のために用意した時間。
エレノアは、
旅行鞄を手から落とした。
鈍い音が、
静かな家に響く。
次の瞬間、
両手で顔を覆い、
その場に崩れ落ちた。
「……っ……」
息が、上手く吸えない。
この家は――
こんなにも、広かっただろうか。
壁が遠い。
天井が高い。
空気が、冷たい。
それなのに。
漂う香り。
残る魔力の名残。
まだ、いるような気配。
――ルベルが。
そこに、いないはずなのに。
「……私が……」
声が、震える。
「あの時……私が……」
ノワールの手紙を、
一人で抱え込んだこと。
ルベルに相談しなかったこと。
「……私が……」
後悔が、
遅すぎる波のように押し寄せる。
「……ルベル……」
名を呼ぶ。
返事はない。
それでも、
何度も、何度も。
「ルベル……ルベル……
ルベル……ルベル……」
喉が裂けそうになるまで。
「ああ……」
声が、崩れた。
「……うぁあああ……」
泣き声が、
家中に響く。
それは、
師匠が天に召された日の涙に似ていた。
――いや。
あの日よりも、
ずっと、ずっと深い。
未来ごと失ったような、
取り返しのつかない喪失。
胸が、押し潰される。
呼吸が、できない。
エレノアは、
冷たい床に額をつけたまま、
声を殺して泣き続けた。
彼を失った現実を、
この家だけが――
無慈悲に、教えていた。




