白と赤の封印
研究室の空気が、
一瞬にして凍りついた。
静かだったはずの空間に、
微細な魔力の波が走る。
その中心で――
ノワールは何も言わず、
ためらいもなく、エレノアの腕を取った。
「……え?」
問いかける間も与えられない。
ひやり、とした金属の感触。
次の瞬間、淡い光を帯びた腕輪が、
エレノアの手首にはめられていた。
刻まれた術式が、脈打つように光る。
「……ノワール……?」
言葉にならない不安が、喉を締めつける。
その背後で、
ルベルの魔力が――鋭く跳ねた。
空気が、獣の気配を孕む。
赤い瞳が、瞬時にノワールを捉える。
一歩踏み出しかけた、その刹那。
ノワールは静かに、告げた。
「それは――
俺やエレノアが身につけていた腕輪と同型だ」
低く、冷たい声。
「……その腕輪に危害を加えれば、
エレノアの命が奪われる」
……え?
理解が、追いつかない。
「……これは、エレノアの為だ」
その言葉が落ちた瞬間――
研究室の床が、光を帯びた。
円陣が展開する。
幾重にも重なった封印術式が、
床から、壁から、天井から、
まるで生き物のように立ち上がる。
空間が、軋む。
「……っ!」
ルベルの魂核が、強く共鳴した。
胸の奥が灼けるように熱くなり、
召喚された夜と同じ感覚が、
否応なく蘇る。
彼は、エレノアを見た。
ただ、彼女だけを。
「……そんな……違う……違う……違うの……!」
エレノアの声が、震えながら響く。
「ルベル!!
私は……こんなの、望んでなかった!!」
腕輪が光り、
彼女の魔力が拘束されていく。
「今ここで封印しなければ――」
ノワールの声は、
感情を削ぎ落とした刃のようだった。
「エレノアは、魔術師協会に断罪される。
命が消える」
一拍、置いて。
「……約束したんだ。
師匠から――
“あの子を気に掛けてやれ”と」
視線が、エレノアに向けられる。
「エレノアを、死なせるわけにはいかない」
「待って……!」
エレノアが、必死に手を伸ばす。
「お願い……ノワール……!!
違う……こんなの……!!
お願い……お願いします……!」
その叫びに、
術式は一瞬たりとも揺らがない。
次の瞬間。
空間が、歪んだ。
ルベルが召喚された時と同じ――
いや、それ以上の魔力の奔流。
白い光が、天から降り注ぐ。
そこへ、赤い魔力が絡みつき、
激しく、激しく、渦を巻く。
白と赤が、混じり合い、
研究室全体を飲み込む。
「……エレノア」
ルベルの声は、
不思議なほど穏やかだった。
嵐の中心で、
ただ一人に向けられる声。
「……愛している」
「いや……いや……!!」
エレノアの叫びが、
光の中にかき消されそうになる。
「ルベル……!!
やめて……!!
お願い……やめてぇぇ――!!」
ノワールが、最後の術式を展開する。
重ねられた封印陣が、
完全に噛み合った瞬間。
ルベルの輪郭が、
ゆっくりと、崩れ始めた。
光の粒子へ。
指先から。
髪から。
赤い瞳の光さえも、
細かな粒となって宙へ溶けていく。
エレノアへ伸ばされていた手が、
最後に、わずかに揺れ――
消えた。
コトン……。
小さな音。
床の中心に、
静かに落ちたのは――
封印された魂核。
完全な静寂。
術式の光が消え、
研究室には、
壊れた呼吸音だけが残った。
「……ぁ……」
エレノアの喉から、
引き裂かれたような声が漏れる。
涙も、叫びも、
もう形にならない。
ノワールは、
魂核を見下ろしながら、
一切の感情を表に出さなかった。
冷たく。
静かに。
――それが、
守ると決めた者の顔だった。




