冷たい静寂
本棚に並ぶ古い背表紙。
結界の刻まれた机。
揺れない燭台の炎。
そのすべてが、
ここが「話し合いの場所」ではなく
**“判断の場”**であることを静かに主張している。
ノワールは机の奥に立ち、
指先で一枚の図面を押さえていた。
「……エレノア」
呼びかけは穏やかだ。
だが、その声に感情はない。
「君が隠している禁術に関して、
私はすでに“次の段階”まで想定している」
図面に走るのは、複雑な魔陣。
幾重にも重なった円環。
中心には――
(……封印核……)
見ただけで、喉がきゅっと締まった。
「待って」
エレノアは、反射的に一歩前へ出た。
「それ以上、聞きたくない」
ノワールの手が止まる。
「聞かなければ、現実は消えない」
「それでも!」
声が、思ったより強く響いた。
「それを“計画”として聞いてしまったら……
私、きっと……否定できなくなる」
ノワールは静かに彼女を見下ろした。
「封印は、最善だ。
ルベルは消えない。
だが“動けなくなる”」
「……生きてる、って言えるんですか」
震える声で、エレノアは言った。
「そばにいられない。
触れられない。
声も……届かないかもしれない。
それを“守る”って言うんですか?」
ノワールの瞳が、わずかに細まる。
「感情論だ」
「覚悟です」
即答だった。
「私は……知ってます。
ルベルが何者か。
危険だってことも。
それでも――」
胸に手を当てる。
「私が選んだ。
私が一緒にいると決めた」
ノワールの声が、低く落ちた。
「……エレノア。
このままでは、君は断罪される」
その言葉は、刃のように正確だった。
「禁術の保持。
未報告の人工魂核。
関与の疑い。
君の“知らなかった”は、理由にならない」
一歩、距離が詰まる。
「私は君を守りたい。
だからこそ、ルベルを――」
「やめてください!」
叫びに近かった。
エレノアは、ぎゅっと拳を握りしめる。
「ノワール……
お願いです。
私たちを……そっとしておいてくれませんか?」
それは、理屈ではなかった。
魔術師としても、正しくない。
ただの――懇願。
「見逃して、とは言いません。
でも……
“今すぐ奪う”選択だけは、しないでください」
沈黙。
書斎の時計が、静かに一つ刻む。
ノワールは目を伏せ、
深く、長い息を吐いた。
「……君は、自分がどれだけ無防備か分かっていない」
それは叱責ではなく、
ほとんど疲労に近い声音だった。
「今日は、ここまでだ」
顔を上げ、静かに告げる。
「君が落ち着いたら……
また、話そう」
拒絶ではない。
だが、譲歩でもない。
“保留”。
それが一番、残酷な選択だった。
エレノアは何も言えず、
ただ小さく頷いた。
書斎を出る背中に、
ノワールの視線が静かに残る。
(……まだ、間に合うと……思っているのか)
その問いは、誰にも届かない。
扉が閉まったあと、
書斎には再び、冷たい静寂だけが残った。




