書に挟まれた手紙
ノワール邸は、王都でも指折りの静けさを持つ屋敷だった。
高い天井。
磨かれた床。
控えめに灯された魔導灯の光。
どこもかしこも整いすぎていて、
息をひそめるような空気が漂っている。
(……落ち着かない)
エレノアはティーカップを両手で包みながら、
自分の鼓動だけがやけに大きく感じられるのを誤魔化していた。
夕食後のティータイム。
形式的には穏やかな時間のはずなのに、
同じ屋根の下にいる三人の気配は、どこか噛み合っていない。
「エレノア」
ノワールが、思い出したように口を開く。
「前に頼まれていた“召喚獣に関する書”を、
渡し忘れていたね。後で、ゆっくり読むといい」
差し出されたのは、古い装丁の本。
魔力の痕跡が静かに眠っている。
「ノワール、覚えてくれていたんですね……!
ありがとうございます」
思わず、声が明るくなる。
本当に、助けになりそうな内容だ。
そう思った瞬間――
隣で、空気が一瞬だけ張りつめた。
(……?)
視線を向ける前に、
ノワールは立ち上がり、穏やかな口調で続ける。
「今日は移動で疲れただろう?
俺もお先に失礼するよ」
「魔術師協会へは……そうだな。
明後日でどうかな?」
その言葉に、
ルベルの気配がわずかに揺れた。
(……明日じゃなくて……明後日?)
エレノアはそれに気づきながらも、
にこりと微笑む。
「ノワールの都合が良い時でかまいません」
「そう言ってもらえると助かる」
ノワールは満足そうに頷き、
踵を返す――直前。
ふっと、
その視線がルベルに向けられた。
冷たい。
感情を削ぎ落とした、観察者の目。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
――互いに何かを測るような視線が交錯し、
ノワールは何事もなかったかのように、
静かな足取りで部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、
やけに重く響く。
(……今の、なに……?)
エレノアは胸に残った違和感を振り払い、
用意された客室へ向かった。
与えられた部屋は、
過不足なく整えられた、落ち着いた空間。
暖炉の余熱。
厚手のカーテン。
机の上に置かれたランプ。
エレノアは椅子に腰を下ろし、
さっそく召喚獣の書を開こうとした。
――そのとき。
ぱらり、と。
紙片が一枚、
書の間から床へ落ちた。
「……?」
拾い上げる。
封筒ではない。
折り畳まれた、一枚の手紙。
エレノアは、
嫌な予感を覚えながら開いた。
エレノア。
君が隠している“禁術”に関して、話がある。
誰にも知らせず、ひとりで書斎へ来てほしい。
下には、簡素な文字で描かれた
小さな地図。
書斎の位置が、
はっきりと示されていた。
指先が、冷える。
(……禁術……?
私が……隠している……?)
思い浮かぶのは、
ひとつしかない。
ルベル。
扉の向こうで、
彼が静かに待っている気配を感じながら――
エレノアは、
その手紙を握りしめた。




