揺れる馬車
馬車が走り出すと同時に、
その中には――
目に見えない重さが満ちた。
車輪が森道を離れ、石道へ入る。
がたん、と小さく揺れるたび、
エレノアの心臓も一緒に跳ねた。
(……なに、この空気……!!)
向かいに座るノワール。
隣に座るルベル。
距離としては、ただそれだけ。
けれど、体感的には――
三人それぞれが、まったく別の場所にいる。
沈黙が続くのに耐えきれず、
エレノアが先に口を開いた。
「あ、あの……王都って……」
声が裏返る。
「えっと……最後に行ったの、師匠が生きてた頃で……」
ノワールがすぐに反応した。
「そうだったね。
今は随分変わったよ。
魔術師協会の新棟も完成したし、
資料閲覧室も拡張された」
穏やかで、理知的で、安心する声。
「君の残した魔道具の鑑定額も、
正式に登録されている。
手続きは少し煩雑だが……心配はいらない」
「そ、そうなんですね……」
エレノアがほっと息を吐いた、その瞬間。
――肩に、温度。
「エレノア」
低く、甘い囁きが耳元に落ちる。
「揺れるな。
……こっち、寄って」
囁きは音量こそ小さいのに、
距離が近すぎて、心臓に直接触れる。
「る、ルベル……っ!」
声を抑えたつもりでも、
十分に動揺は伝わった。
ルベルは、許可を待つように一瞬だけ止まり、
それからそっと――
エレノアの指先に、自分の指を重ねる。
触れるか触れないか、ぎりぎり。
「……大丈夫。
俺、ここにいる」
その言葉は、守りのようで、
同時に“逃がさない”宣言にも聞こえた。
(ち、近い……近いよ……!)
エレノアの魔力が、ふわりと揺れる。
それを、
向かい側のノワールが見逃すはずもなかった。
「王都では、
君の好きそうな薬草店も増えた」
視線はエレノアに向けたまま。
だが、言葉は明確に“割り込む”形。
「特に南通りの老舗は、
君の師匠とも取引があった」
「え……!
そ、そうなんですか……?」
話題を振られ、
エレノアは思わず前のめりになる。
その瞬間、
ルベルの指が、わずかに強く絡んだ。
「……王都は、人が多い」
囁きは、今度は少し低く。
「俺から、離れるな」
「えっ……」
「協会でも、街でも。
……俺のそば」
それは、頼みというより――
条件提示だった。
ノワールは、静かに息を吐く。
「王都は安全だよ、ルベル。
少なくとも、無秩序な場所ではない」
視線が一瞬、ルベルへ向く。
「……規則と管理がある」
その言葉に含まれた意味を、
ルベルは正確に理解した。
紅い瞳が、ゆっくり細くなる。
(……檻の話か)
馬車の中。
会話は噛み合っているようで、
まったく交わらない。
おすすめの店の話の裏で、
縄張りの線が引かれ。
甘い囁きの裏で、
“離れたら壊れる”感情が息をしている。
(……王都、着く前に……私の心が先に潰れそう……)
エレノアは、
ぎこちなく笑いながら、窓の外へ視線を逃がした。
馬車は進む。
三人を乗せたまま、
それぞれ違う決意を抱えて。




