熱に触れる夜
エレノアの寝息は浅く、規則正しく揺れていた。
微熱のせいで頬は赤く、髪が額に張り付いている。
ルベルはそのすぐ横、
ベッドの縁に座ったまま動かなかった。
ただ黙って、
エレノアの呼吸をひとつ漏らすたびに肩を上下させる姿を見守る。
けれど、
その目はあまりにも静かで——深かった。
(……弱っているエレノア……
こんなに無防備で……俺だけが見ている)
ゆっくりと握られた指先を確かめるように撫でる。
熱のせいで、手はあたたかい。柔らかい。
(こんな姿……俺の他には見せないでほしい)
エレノアの汗ばんだ額に、
そっと冷たい布をのせて交換する。
彼女の肌に触れられるのは今だけだ。
“許可の外”でも、体調のためなら触れられる。
(……甘い)
この距離、この温度、この匂い。
すべてがルベルの心の奥にある黒い衝動を刺激する。
触れたら壊れてしまいそうなのに、
触れずにはいられない。
布を替えるたび、
指先がほんの一瞬、彼女の頬に触れる。
その度にルベルの胸がひどく波打った。
「……エレノア」
小さく呼べば、
寝ているエレノアがわずかに眉を寄せる。
「……ル……ベル……?」
目を薄く開け、こちらを見る。
焦点は定まっていないのに、
その声はルベルを捉えて離さなかった。
「ここにいるよ」
優しく返すと、
エレノアは子どものようにシーツを握りしめた。
「……どこか、行かない?」
「行かないよ。……行けるわけない」
声は驚くほど低く、甘く、溶けるようだった。
自分でも制御できないほどに。
エレノアはほっとしたように目を閉じる。
その仕草が、
胸の奥に沈んでいた独占欲をさらに煽る。
(エレノアが弱っている時……
他の誰にも触れさせない)
看病という名の、静かな占有だった。
熱はまだ完全には引かない。
エレノアが寝返りを打つたび、ルベルは身を乗り出す。
冷たい布を替える。
水を飲ませる。
額に触れて熱を確かめる。
動作はどれも優しいのに、
目だけはどこか危うい。
(……ずっとこうしていたい)
彼は理解していた。
“これは看病じゃない”と。
これは——
弱ったエレノアに触れられる唯一の夜
彼女のそばにいられる理由がある唯一の時間
そしてそれを誰にも邪魔されたくなかった。
「……苦しかったら言って。ずっと見てるから」
布団の端を整えながら囁く声は、
安らぎよりも執着の色を深く帯びていた。
エレノアの熱が上がったり下がったりするたび、
ルベルの胸はぎゅっと締めつけられる。
(……俺がいなきゃ、ダメだ)
その考えが、
静かに、確かな形で心の中に根を下ろしていく。
エレノアの指先が布の上で動いた。
うわ言のように小さな声が漏れる。
「……ルベル……そばに……」
その一言で、
ルベルの瞳の奥の赤が揺らめいた。
(……大丈夫。
そばにいる。ずっと。
許される限り……いや、許されなくても)
彼の手がエレノアの手を包み込む。
熱の夜は静かに続き、
その中で——
ルベルの“境界線”がわずかに崩れ始めていた。




