揺れる瞳と、迫る影
片付けを終えたエレノアは、なんとか二人をリビングへ追い出し、ひとりキッチンに立った。
深呼吸。
落ち着け。
心が落ち着くハーブティーのお茶でもいれよう。
二人とも、きっとそれで……
棚に手を伸ばし、茶葉の瓶を掴もうとしたその瞬間。
――影がすっと近づいた。
「……っ?」
振り向くより早く、
エレノアは壁と逞しい腕に挟まれていた。
ノワールの長い腕が、逃げ道を塞ぐように
壁際で彼女を囲っている。
いつもの冷静な瞳が、
今はひどく近く、深く、彼女を覗き込んでいた。
「彼は――人ではないね?」
低く落ちたその声に、
エレノアの心臓が跳ね上がる。
(ど、どうして気づくの……!?)
返事ができず、
ただ目を泳がせるエレノアをじっと観察するように見つめ、
ノワールの声が、さらに静かに落ちた。
「……いえない?」
図星だと言っているような声音。
エレノアは喉がつまるようで、息さえ忘れた。
ノワールは一拍おいて、もっと深く踏み込む。
「君の師匠が関係しているかい?」
「……っ!!」
身体がびく、と跳ねる。
(やめて……これ以上は……!)
ノワールの瞳が細くなる。
その反応が、何より雄弁だった。
「最後に――身の危険は感じているか?」
「……いま、は……ない」
絞るように答えると、
ノワールはわずかに眉を寄せた。
「今は、か。……じゃあ、どうしたい?」
どうしたい?
そんなこと――
「わからない……」
それが、精一杯だった。
そのとき。
ガタッ。
リビングから椅子の倒れるような音。
驚いてそちらを見ると――
ルベルが立っていた。
真紅の瞳が、
ノワールとエレノアの“近さ”を見た瞬間、
怒りとも悲しみともつかない色に染まる。
(ち、違っ……!)
互いに手は触れていない。
けれど、状況だけ見れば
まるで……ノワールがエレノアを抱き寄せているようにすら見えた。
ルベルの気配が、ふっと低く揺らぎ――
ぞくりとするほど鋭い独占欲が滲む。
エレノアが慌てて身を引くより早く、
ノワールがすっと距離を開けた。
そして、
微笑とも冷笑ともつかない、
妙に優しい顔でルベルを一瞥する。
「……もう、あまり時間がないようだ」
雰囲気は柔らかいのに、言葉は怖いほど確信めいていた。
「エレノア。また魔道具や魔術具に関して――近々報告するよ」
意味深な言葉を残し、
ノワールは二人を一度に見てから、静かに背を向けた。
エレノアの胸には
説明のつかない不安と、
ルベルのざらついた気配が重く残ったまま――
息がうまく吸えなかった。




