夜の揺らぎと不吉な兆し
夜更け。
客間の机に広げた魔具の資料を閉じ、
ふっと息を吐いた。
「……明日で大方の整理は終わりか」
エレノアの家に来てから、
思った以上に仕事が捗った。
だが、もう一つ。
どうしても気になるものがある。
――封印された核。
「……やはり、ただの核ではないな」
表面に施された術式は極めて複雑で、
封印層の重ね方も異質だ。
これは誰の仕事だ?
師匠でも、あの村の術者でもない。
(明日、整理が終わったら……
この核をもう一度詳しく調べて
エレノアの元を訪ね直す必要がある)
そう考えて席を立とうとした、その瞬間。
――ざ、り……。
空気が揺れた。
「……?」
部屋の灯が静かに揺らぐ。
魔術師としての感覚が、わずかな乱れを拾う。
(魔力の空気が……荒れた?)
こんな静かな夜に、外乱は考えにくい。
自然現象でもない。
この家の中だ。
(小さな揺らぎだが……
性質が……妙に“獣性”を帯びている)
獣?
いや、違う。
もっと純粋で、もっと濃い。
魔物とも違う。
意図せず漏れた“本能”のような魔力。
(……まさか)
視線が自然と廊下のほうへ向いた。
そこは――エレノアの部屋のある方角。
「……彼女の周囲で何か?」
足が、無意識に数歩進んでいた。
だがすぐに止まる。
エレノアは繊細な女だ。
不用意に踏み込んで驚かせたくない。
それに……あの揺らぎは、
“敵意”ではなかった。
むしろ――
(……執着?
いや、まさかな)
首を振る。
そんなはずはない。
人の家に泊まっている召喚獣でもない男が、
あんな魔力を撒き散らすはず――
――男?
(ルベル……)
エレノアの隣にいた青年が脳裏をかすめる。
だが、あれはただの“人”にしか見えなかった。
魔力の扱いも粗く、
典型的な田舎の若い男のはずだ。
だが――
エレノアがあれほど懐かれている理由は?
あの視線は?
あの距離の近さは?
そして先ほどの揺らぎ。
(……あの男。
少し、注意しておいたほうがいいかもしれない)
込み上げる不安とも煩わしさとも言えない感情を、
呑み込むように喉を鳴らす。
夜は静けさを取り戻した。
ただ、胸の感覚だけが微かにざわついたままだ。
「……明日、核を調べたあとで
もう一度、エレノアに会いに来よう」
必要がある。
魔術的にも、個人的にも。
そう結論づけて、
ノワールはランプを静かに消した。




