牙を隠す理由なんて、本当はない
ルベル視点
エレノアが部屋に消えて、扉が閉まった。
その瞬間から胸の奥がずきずきと痛み出した。
(……一緒に、寝たかった)
ただ隣で眠るだけ。
ただ温もりを感じたかっただけ。
それだけなのに――
なぜ、あんなに拒まれたような気がしたのか。
(寂しい……)
自分で自分の胸元を押さえる。
そこが痛むなんて、知らない感覚だった。
“主人”を求める衝動ではない。
もっと、別の――
喉の奥で鳴りそうになる、本能の声。
「…………ッ」
階段の下へ降りていくノワールの背中が目に入る。
その瞬間、本能が裂けた。
牙を立てたくなるほどの衝動。
噛みつき、排除し、
エレノアの世界から追い出したい――
そんな危険な欲が喉の奥で渦を巻いた。
(なんで……お前が、エレノアの名前を呼ぶんだ)
ねっとりと胸にまとわりつく黒い感情。
抑えないと、姿形が変わりかねない。
でも――
ノワールの落ち着いた声が
まだ耳に残っている。
“エレノアには昔から乱暴に触れたことなどない”
それが妙に気に障った。
(だったらなんで……エレノアはあんなに慌てたんだよ)
俺の前で見せる顔と違う。
どっちが“本物”なのか、不安になる。
不安なんて、感じたことがないのに。
エレノアの部屋の扉を見つめる。
(……一緒に寝たこと、ないくせに)
夜はいつも、
気配だけ近くにあれば良かった。
それで満たされていたはずだった。
なのに今夜は――
扉の向こうに行きたくて、
胸が焦げるように痛い。
(寂しい……)
自分で思って、驚く。
召喚獣に、寂しいなんて感情はないはずだ。
ただ主を守り、そばにいるだけで満たされる。
けれど今は、
“そばにいる”だけじゃ足りない。
もっと近く。
触れたい。
名前を呼ばれたい。
眠る息の音を聞きたい。
(全部……俺だけのものがいい)
その瞬間、
背中に走るような違和感を覚えた。
階段の下、
ノワールの気配がまだ残っている気がした。
あいつの視線。
あれは“同族”のものではない。
でも――
獲物を狙う獣の目によく似ていた。
「…………」
喉の奥が低く震えた。
今、あいつに飛びかかりたい。
奪い取りたい。
“エレノアに触れる資格はない”と告げたい。
けど――
(エレノアが悲しむ)
その一言で、衝動が首根っこを押さえ込まれる。
静かに息を吐き、
自分の中の暴れる本能を何度も押しつぶす。
(……俺は、エレノアの隣で眠りたかっただけだ)
たったそれだけのことが、
どうしてこんなに苦しいんだ。
胸の痛みは、
夜が深まるほど鋭さを増していった。




