階段の途中
ノワール視点
エレノアが部屋に飛び込むように消えたあと、
階段の空気が、ぴたりと凍りついた。
静寂。
呼吸音すら聞こえない。
だが――
確かに“気配”はある。
ルベルがそこに立っている。
目の前の男は、
エレノアを庇うように立ち位置を変えたわけでもない。
ただ、
こちらをまっすぐに見ていた。
敵意ではない。
けれど、決して友好的でもない。
(……やはり、ただの男ではないな)
昼間にも感じた。
無意識にエレノアを自分の方へ引き寄せるような動き。
今も、階段の影に立つ姿勢が妙に“様になっている”。
剣の柄を持つ兵士にも、
魔術に長けた者にもない……
獣じみた静けさ。
「……エレノアに、何かしたのか?」
声は静かに落とした。
無闇に刺激するつもりはない。
だが、
ルベルは一歩も引かず、
ただ短く答える。
「してない。
……したかったけどな」
低く甘い声のまま、
言葉だけが妙に刺さる。
「……そうか」
その言い方が気に入らない。
なのに、声には出さない。
互いの間を、わずかな魔力の揺らぎが通り抜ける。
ルベルの気配は、
魔術師のそれではない。
だが、人のものとも違う。
(何者だ……?
エレノアは、どう説明するつもりなのか)
聞きたいことは山ほどあった。
だが、彼女を困らせるわけにはいかない。
ふと、ルベルが口を開いた。
「……あいつに触れるなら、優しくしろ」
一瞬、意味を測りかねた。
「……エレノアに、か?」
「他に誰がいる」
短いが、強い。
ノワールは息をひとつ吐いた。
(……本当に、エレノアの事となると豹変するな)
静かに答える。
「心配するな。
彼女には……昔から、乱暴に触れたことなどない」
その言葉に、
ルベルの眉がほんの僅かに動く。
敵意ではなく、警戒でもなく――
焦りの影。
(焦っている……?俺に?)
妙な話だ。
普通の男ならまだわかる。
だが、この男は……普通ではない。
沈黙の中、
階段の木が冷たく軋む。
もう遅い。
エレノアも眠っただろう。
「……あまり遅くまでうろつくな。
彼女が心配する」
「…………」
無言。
だが、確かにこちらを射抜く視線。
互いに一歩も引かないまま――
先に視線を外したのはノワールだった。
「では……おやすみ」
階段を下りる背後で、
ルベルの気配がしばらく動かなかった。
まるで
“背中に牙を立てられる瞬間を待っている”
そんな錯覚すら覚えた。
(……本当に、何者なんだ)
階下に降りても、
その問いは胸にずっと残ったままだった。




