かき混ぜる匙より速く、胸が煮え立つ
ルベル視点
台所に立ちながら、
ルベルは息がうまくできないのを必死に誤魔化していた。
鍋の湯気なんてどうでもいい。
煮込みの具の音なんてどうでもいい。
耳は、全部――
リビングのふたりへ向かっている。
ノワールの低い声がよく通る。
聞こうとしなくても入ってくる。
「彼……ルベルとは、どんな関係なのかな?」
ぐつ、と鍋が泡立った。
(……なに聞いてんだ、あの男)
エレノアの声が、
いつものようにおろおろ震えているのも聴こえる。
「え、えっと……あの……」
その反応ひとつで、
胸がざわりと揺れる。
そして――
あの男の声色が変わった。
探るような、少し優しい、あの柔らかい声で。
「……ふむ。
そうか。好きなんだな」
「す、す、す、すき!?」
――バンッ!!
思わず鍋掴みを落とす。
そして追い打ちをかけるように――
「好きじゃないのか?
じゃあ、俺の――」
(……あの男っ何を言う気だ!?)
続きをエレノアに聞かせたくなくて
ルベルの身体は、思考より先に動いていた。
――ガッシャアアアンッ!!
フライパン、鍋、器、全部を盛大に倒した。
床一面に転がる金属音。
響く破片と匙の跳ねる音。
「っ……!」
エレノアが飛び込んでくる。
「ルベル!? 大丈夫!? 手、痛くない!?」
その声に、心がようやく少しだけ落ち着く。
ルベルはそっとエレノアの手を取り、
いつもより少し低い声で答えた。
「……大丈夫。
驚かせて、ごめん」
けれど。
エレノアを心配させた喜びとは裏腹に――
ノワールの視線が、刺さる。
廊下の陰から近づいてきた気配。
足音を殺しているつもりなのに、
“波長”だけが微かに揺れる。
その揺れが、
ルベルの本能を逆立てた。
(見てる……あいつ、俺を)
しかも普通の人間の“警戒”ではない。
もっと深く、
もっと冷静で、
“獲物の動きを測る”ような視線。
振り返りざま、
ルベルはノワールの視線をまっすぐ受け止めた。
驚きはない。
焦りもない。
むしろ――
ノワールに“読まれてはいけない部分”を
ぎりぎりのところで押さえた、
計算された無表情。
ノワールは穏やかに声を掛ける。
「エレノア。手伝いに来たよ。
ルベルも……大丈夫か?」
その声音は柔らかい。
だが、その奥に――
警戒心と推測の刃が覗いていた。
(……やっぱり、あの男。
俺のことを“普通”だと思ってない)
エレノアは気づかない。
それでいい。
それでいてほしい。
けれど――
ノワールの目がまたエレノアへ戻る瞬間、
ルベルの胸で何かがちり、と弾けた。
(そっちを見るな)
自分でも驚くほど静かな怒り。
“俺のところに戻ってこい”
“俺だけを見ていればいい”
そんな衝動が、
喉の奥で甘く、危険に渦を巻く。
だがエレノアは優しい顔で、
何も知らずにノワールへ笑いかける。
ルベルは微笑んだ。
――表情だけは。
本能は、真逆に牙を剥いていた。
(もう……邪魔、しないでくれ)




