炎より先に煮え立つもの
ルベル視点
包丁の音が、妙に耳につく。
——トントン、トンッ。
リビングから聞こえてくる
ノワールとエレノアの声が、
どうしても邪魔をしてくる。
「エレノア、それは——」
「へ、へぇ……そんなことが……」
くすりと笑う声。
それに応える、落ち着いた低い声。
……その全部が、嫌だった。
(なにを当たり前みたいに隣に座ってんだよ……)
ルベルは刻みすぎた野菜を見下ろし、
深いため息をひとつ吐いた。
エレノアのためだ。
喜んでほしいから料理を作ってるのに。
なのに——
視線はどうしてもあの二人へ向かう。
ノワールが、エレノアの肩のあたりを
守るみたいにさりげなく視界にはいってくる。
(……邪魔だ)
胸の奥が、ゆっくりと熱くなる。
それは怒りとも焦りともつかない、
重く濁った“何か”。
切る手が止まらない。
固い根菜を、必要以上の力で切り刻む。
ザクッ……ッザクッ。
リビングの笑い声がまた聞こえた。
ルベルは、無意識に唇を噛む。
(エレノアは、俺を見てくれればいい)
そんな当たり前の願いが、
どうしてか胸の奥で、形を変えはじめていた。
(ノワールは……いらない)
その瞬間——
自分の思考に、ルベルはハッとした。
(……ちがう。だめだ、こんなこと思っちゃ……)
深呼吸。
落ち着け。落ち着け。
——エレノアが嫌がることはしない。
——エレノアの笑顔だけ守れればそれでいい。
そう何度も言い聞かせなければ、
胸の黒い渦があふれそうになってしまう。
料理の香りが立ちのぼる。
けれど、味がよくわからない。
耳が……ずっと、リビングの二人の会話を追っていた。
(ねぇエレノア……俺のほうだけ見て)
願いにもならない、幼い独白。
「……大丈夫だ…エレノアは俺の…」
誰にも聞こえない声でつぶやきながら、
ルベルは焦げつきそうな鍋の前に立ち続けた。
その心のほうが、ずっと焦げつきそうだというのに。




