107 アイリーンの学園復帰
アイリーンの中に愛依が入り込んで数日が経過した。最初、愛依はこれは夢で、夢の中で眠って目が覚めたら元に戻っているのでは? と淡い期待を抱いていた。
だが、そんなことはなく、目が覚めるといつもアイリーンの部屋の天井が目に入っていた。そんな日々を繰り返しているうちに、アイリーンの身体は順調に回復した。
国王と王妃は口の固い親戚筋からアイリーンの教育係を見繕い、アイリーンに王女として必要最低限の教養を急いで再教育させた。
アイリーンの教育を急いだことには理由がある。
一つは、アイリーンはラドネラリア王国への留学が決まっていること。そして、二つ目はいつまでも体調不良を理由に学園を休ませていては、王家に関する根も葉もない噂が立ちかねないからだった。
「アイリーン王女殿下、姿勢が悪いです! もっと胸を張って! 背筋を伸ばして!! 美しく優雅に歩くように!」
「はっ、はいっ!!」
まさか歩くだけでこんなに指摘されるなんて……
ランウェイを歩くモデルもこんな感じで特訓しているのかな? いや、でもモデルと違ってこっちはコルセットもあるから、そのせいでお腹もキツいな。
そうやって、愛依はヘロヘロになりながら元の世界と比べて想いを馳せる。
あっちの私はどうなったんだろう? ……私、ちゃんと元の世界に帰れるのかな?
「アイリーン様! また姿勢が疎かになっていますよ!!」
「は、はいっ! ごめんなさい!!」
こうして特訓を続けること十日。何とか及第点を貰ったアイリーンは、兄たちに付き添われながら学園に復帰した。
「何かあったら直ぐ俺たちに知らせるんだぞ」
「はい。……エリックお兄様」
愛依は攻略対象者を“お兄様”と呼ぶことにはまだ慣れないでいた。だが、今の彼女はアイリーンだ。家族や使用人には王女の中身が偽物だとバレないように。そして、その他の人には以前までの記憶が無いことを悟られないようにしなくてはならなかった。幸いなことに、一度教えて貰ったことはアイリーンが覚えていたからなのか、直ぐ理解することができた。
きっと、本来のアイリーン王女は努力家だったんだ……
貴族の名前は勿論、彼らの好みや苦手なもの。誰と誰が仲が良くて、仲が悪いのは誰と誰か? といったものから、この国の歴史や地理、その他にも元の世界で言うところの国語、数学、理科など、様々な知識を蓄えているようだった。
そのお陰で学力面はなんとかなりそうだったが、問題は歩き方や淑女らしい動作だ。アイリーンの身体には染み付いているのかもしれないが、愛依にとっては今までしてこなかった動きが多く、気を抜くと姿勢が崩れてしまう。
そんなこともあり、今までのアイリーンと同じように振る舞えるか、愛依は緊張していた。
そんな愛依の心情を知ってか知らずか、校舎の前でディックがアイリーンに手を差しのべる。どうやらエスコートしてくれるらしいと理解し、アイリーンは手を重ねた。
久しぶりのアイリーンの登校で、一行は馬車を降りてから校舎までの道のりも注目を浴びだ。だが、中に入ると人が増えて更に注目される。
「見て、アイリーン王女殿下よ」
「ディック王子殿下がエスコートされているわ」
「知らず知らずのうちに毒を盛られていたなんて、怖いですわね」
「ですが、留学の権利を懸けた試験で不正なさったって噂じゃない? 自業自得ではないかしら?」
「しっ! 声が大きいわ」
エリックが噂好きのご令嬢に鋭い視線を向ける。
「っ!!」
サッと顔を青くしたご令嬢たちが息を詰めた。
「何も知らないくせに。アイリーンのこと好き勝手言いやがって」
「……エリック、怖い顔になっているよ」
ディックが遠回しにエリックを嗜める。かく言うディックもにこりと微笑んでいるが、アイリーンからすると、奥底に黒い感情を抑え込んでいるように見えた。
アイリーンの兄たちはゲームと違ってアイリーンを大切にしているようだ。二人は意外とシスコンなのかも。と、愛依は考えた。
「アイリーン王女殿下!!」
離れた場所からアイリーンを呼ぶ声がした。
アイリーンがそちらに顔を向けると、カレラブ・2の攻略対象者であるレジナルド・ディー・ガルシアの姿がある。レジナルドはゲームのパッケージにも出てきたため、愛依にとっても見覚えのある人物だ。
「レジナルド様」
「やっとお会いできました」
アイリーンが学園へ来るのを待ちわびていたかのような言葉に、アイリーンは思わずドキッとする。
「ラドネラリア王国へのご留学、おめでとうございます」
「わざわざありがとうございます」
「来年もアイリーン王女と同じ学舎で共に学べることを光栄に思います」
その言葉に愛依は引っ掛かる。
「ええと、レジナルド様もラドネラリア王国へ留学を?」
愛依の言葉に「えっ?」と一瞬驚きを見せたレジナルドだったが、ふっと笑う。
「アイリーン王女殿下はご冗談が上手ですね。私が来年ラドネラリア王国へ帰るからって、からかっていらっしゃるのですね」
言葉にはしなかったが、「え?」とアイリーンは息を漏らした。
レジナルドがラドネラリア王国へ帰る……?
おかしいわ。ゲームの紹介には。レジナルド・ディー・ガルシアはスティソル王国の貴族で、公爵令息と記されていた。それなのに、まるで彼がラドネラリア王国から留学してきたみたいな言い方……
そこまで考えたとき、アイリーンの記憶が愛依に教える。
「っ!?」
彼の本来の名前はレジナルド・ディー・プラックローズ。ラドネラリア王国のリュセラーデ侯爵令息。それが今の彼の肩書だ。
レジナルド・ディー・ガルシアという名前は、あくまでもベアトリスが処刑された世界での彼の呼び名だった。
その事を知った瞬間、アイリーンの身体が目眩でくらりと揺れる。
「っ! アイリーン王女殿下!!」
咄嗟にレジナルドがアイリーンを支える。
「アイリーン!!」
「急にどうした!?」
アイリーンの交友を邪魔しまいと、見守っていたディックとエリックも心配した様子で駆け寄った。
どう言うこと? レジナルドがベアトリスと同じ、リュセラーデ侯爵家の人間?? それって、つまり彼はベアトリスの弟ってこと!?
その時、愛依はカレラブの前作のストーリーを思い出した。それはベアトリスが処刑されたシーンで、彼女の弟だけはスティソル王国へ留学しており、処刑を免れていると簡単に紹介されていた。
「まだご体調が優れないのですか?」
心配そうに覗き込むレジナルド。アイリーンはハッとして、付け焼き刃で叩き込まれた淑女の笑みを浮かべる。
「……いえ。ただ、暫くずっと安静にしていたものですから、筋力が落ちているだけですわ」
まさかの新事実に愛依は内心、驚きで一杯だった。ストーリーをもっと進めていれば、明らかになっていたことなのかしら? それともこれはレジナルドルートだけで明かされる秘密だったとか?
レジナルドの母はスティソル王国の公爵家の娘。レジナルドがスティソル王国へ留学していることも、続編のゲームで母親の実家の名前を背負っていたとしても何ら不思議ではなかった。
ラドネラリア王国最悪の悪女の弟と、あまり関わらない方が良いんじゃ?
そう思っていると、レジナルドとアイリーンの間にエリックが割り込んできた。
「見ての通り、妹はまだ本調子ではない。下がってくれ」
「これは、長くお引き留めしてしまい、申し訳ございません。アイリーン様、私は失礼いたします。どうぞ、お大事になさって下さい」
優雅な一礼をしてレジナルドが去っていく。その後ろ姿をエリックが険しい表情で見ていた。
「アイリーン、お前はああいうヤツがいいのか?」
「え?」
少し間抜けな返事をすると、ディックが言葉を補足する。
「エリックはアイリーンの好みの男性が知りたいみたいだよ」
「なっ!? お、お兄様っ! 違いますわ!」
要らぬ誤解を与えるのは得策ではない。そう即座に判断して、アイリーンは否定した。
「そうか! それならいい。ほら、教室までいくぞ!」
よく分からないが機嫌が戻ったエリックに、やはり彼はシスコンかもしれないと思う愛依だった。




