326枚目 「縞白芋のポタージュ」
朝一の仕込みを終えて店を開ける。
魔導王国浮島駐屯地の朝は、早いのだ。
「おはようございます、モスリーさん。日替わりスープセットをひとつ、お願いします」
「あいよー、おはよう! はい、番号札――ん? あれ、ラエルちゃん!? 帰ってたのかい!?」
何食わぬ顔で浮島生活を再開した黒髪の少女に対し、番号札を手渡しながら鮮やかな突っ込みを入れたのはモスリーキッチンの店長、モスリー・ガーネだった。
モスリーは落ちかけたバンダナを慌てて定位置に戻すと、斑髪を布の内側に押しやって顔を明るくした。快活な表情に加え、目元に笑い皺が寄る。
久方ぶりに顔を見る元従業員は、どうやら元気にやっているようだった。
「昨日まで五棟で精密検査を受けていたの。顔を出すのが遅くなってごめんなさい」
「そんなことがあるかね!? いやあ、しかし見違えるようになって、まぁ……んん……?」
本日の日替わりは縞白芋のポタージュのセットである。それらをトレイに載せたところで、モスリーは「はて」と、首を傾げた。
受け取り口にて待っている黒髪の少女は、髪をひとつ纏めにしていた。以前は後頭部の高い位置で結び留めていることが多かったが、今日は項の辺りで結ばれている。
使っている髪紐も、あまり見ない趣向の編み方の紐だった。髪に使うには無骨で、丈夫そうな編み方がされた紐である。確か、出発時点では友人同士で贈り合ったらしいリリアンを使っていたはずだったが。
それに、いつも左耳につけていた紫石のピアスが見当たらない。
「……遠征先で何かあったのかい? 強欲さまのお付きで行ったんだ、かなりハードだっただろう?」
それとなく聞いてみれば、少女の表情は答えを雄弁に語った。
やがて、紫の瞳はニコリと閉じられて。この期に及んで悪あがきをしようとする。
「そんなことはないわ。大変だったけれど、大きな怪我もなかったし……」
「こらこら。朝っぱらから堂々と嘘を吐くもんじゃないぞー」
モスリーが物言う前に口を挟んだのは、いつの間にか列に並んでいた鼠顔の四天王だった。
硝子の目は相変わらず何処を見ているのか分かりはしないが、声音が幾分か高いところを見ると体調はあまり良くないのだろう。
身体を痛めつけるような仕事の仕方は辞めろと何年に渡って忠告しているが辞めようとしない大馬鹿者だ――果たして、今日は何徹目なのだろうか。
モスリーはつい何時もの調子で小言を口に出しかけて、しかし我慢した。
「噂をすれば、ね。おはよう、ハーミット」
「おはよう、ラエル。モスリーさん、日替わりスープセットをひとつお願いします」
「……あいよ! 強欲さまも相変わらず忙しそうだねぇ?」
モスリーは注文を受け付けることで身を翻して、日替わりスープセットの準備に取り掛かる。野暮だとは思ったが、この間に聞き耳を立てることにした。
「スープセットで、足りるの?」
「食事に割く時間があんまりなくてね。食べる回数を増やして誤魔化してるところだ」
「無理しすぎじゃない? また身体壊すわよ?」
「自分の限界ぐらいは把握してるよ。そうだ、今日の夜は予定空いてる?」
「……食事のこと? 空けてあるわよ。予約の時間までに仕事が片付くといいわね」
「ん、それはそうだ。がんばるっきゃないなぁー。よぅし、やる気が出てきたー」
「あっははは。棒読みじゃないの。応援するけれど」
「応援ありがとう! 君のそれは百人力の声援だ!」
方や四天王、方や少女とは思い難い砕けた会話は、空元気な言葉を最後にお開きとなる。
仕事が詰まっているだろうことを察して手早く用意をしたモスリーだったが、針鼠の背中を見送るにあたって、次があればその時は二秒くらいゆっくり歩いてあげようと思った。
黒髪の少女はスープセットを手にしたまま、空いたばかりの席を針鼠に譲ることを選んだらしい。針鼠の食べる速度を前に、席が空くまでそう長くはかからないと見たのだろう。
すぐに、振り返った紫色の虹彩と目が合った。
「ちょっと疲れが来てるわね。あれは」
「くす」と笑った顔には、知らない皺が少し増えていた。
「……ああいうのをワーカーホリックっていうんだとさ。それで? 遠征先は大変だったのかい?」
「少し、ね。隠そうとは思っていなかったのだけど。怪我の話は、敢えて食事処ですることでもないなと思ったのよ」
「仕方がない娘だねぇ。私に心配させたく無かったんだろう? 次はいいなさいね」
「善処するわ」
「あんたねぇ、そこをあの四天王に似るんじゃないよ。反面教師にしなさい」
モスリーは、そう言いながら席の様子を確認する。
視界の端で座席がひとつ空き、使い魔がテーブルに布巾を走らせたのが見えた。
四天王ほどではないが、ラエルだっていつも忙しそうにしているのだ。食器を片付ければ直ぐに立ち去ってしまうことは分かっていたので、モスリーは少女が席に行く前に聞き直したかったことを口にした。
「ちなみに、興味本位と言うか確認なんだけどねぇ。どれぐらい怪我をしたんだい?」
「ええと。怪我というか……怪我らしい怪我なら。ちょっとお腹に穴が空いたり、腕が針山になったりした程度のことなのだけど……」
――立ち去りかけたラエル・イゥルポテーの肩は、カウンター越しにがっちりと掴まれた。
いやはや、俊敏な若人に先手をとれるとはモスリーも思っちゃあいなかったのだ。だが、しかし。聞き捨てならない言葉を口にしたラエルのことを野放しにする気は微塵も起きなかったし、それはそれとして食器を棚に返したばかりの針鼠の気配を追う。が。既に針山の背姿は見当たらなかった。
随分と逃げ足の早い四天王である!!
「――……っあんの針鼠、日が昇る前から丹精込めて仕込んだスープを味わいもせずに早食いしやがって!! しかも説明させようと思った途端にこれだ!!」
「ぜ、全部、そうなるに至った事情があるのよ。モスリーさん、だからそんな顔しないで?」
「事情も何もあるかね!! というかあの針鼠、本当に仕事をしていたのかい!?」
「ハーミットもハーミットで、本当に色々あったみたいだから……!」
ラエルが「これ以上待っているとスープが冷めちゃう」と言い出したので、モスリーは渋々手を放した。いや、説明してもらうまで食堂から出す気は微塵もないのだが。
「詳しい話は朝食のあとにゆっくり聞かせてもらうとして!! ……しっかし、まぁ。仲良くなったねぇ、あんたたち……!!」
「仲良く? なんのこと?」
「そういうところさ。別に、悪いことじゃあないけどね。学ぶ相手は選ぶんだよ!?」
この後、モスリーキッチンで繰り広げられた世にも珍しい光景――ラエルに説教をするモスリーの姿が、現役の軍人たちに彼女の過去の無双っぷりを思い出させた――は、後に「モスリーの再来」という呼び名で後世まで語り継がれる事件となる。
なお、渦中にあったラエルはひとつの教訓を得た。
普段から優しくおおらかな人ほど、怒らせると大変なことになるのだと。
ラエルたちが第三大陸で過ごした期間は、ひと月にもなっていたらしい。
サンドクォーツクでグリッタと出会って、西と東の市場に寄って、火災を鎮火してサンゲイザーらを捕縛したところに始まり……喪に服したイシクブールで、まずはペンタスと仲良くなったのだ。
そこから、ペンタスの友人であるキーナや、何やら訳ありだったカフス売りグリッタ、馬車の記録を管理していたスカルペッロ家の面々と関わる内に、あれよあれよと蚤の市の襲撃事件に巻き込まれ渥地の酸土と戦闘になり。
それらの出会いが、結果的にトカとシャトーを見つけるきっかけになるとは。当時のラエルは思ってもいなかったのだが――。
「長かったようで、あっという間だったわねえ」
「それ、就活してた時も言ってたような気がするなぁ」
「そうだったかしらね。そうだった気もするけど」
夜。ラエルはイシクブールでストレンに貰った黒のワンピースに身を包んでいた。
刺繍飾りが美しい生地の裾からたまに見え隠れする傷だらけの黒いハーフブーツが、イシクブールを発った後に彼女が体験した全てを物語っている。
ラエルはピアスが無くなった左耳を触ろうとして、スカーフを留めるカフスブローチへと指を滑らせた。これはアネモネに保護された後、イシクブールと浮島との間でラエルの生存確認をした際に、グリッタとキーナからお礼として受け取ったものである。
花の意匠が彫り出された晶砂岩は、蚤の市の際にラエルが借りていたループタイをベースに組み直しをしたらしい。
裏表を逆に身につければ目立たないカフスに。彫刻面を晒せばブローチになる。裏に紐を通せば、元のようにループタイとしても使えるとのことだった。
スロットの都合上ひとつしか魔術を籠められないと聞いたラエルは殆ど迷うことなく、このカフスブローチに『翻訳術式』を付与してほしいと頼み込んだ。
誰も彼もが王様のように、自ら『翻訳術式』を習得しているわけではないのだ――王様から開放されたのち、半日ほどで魔術の効力が切れてしまった後、数日を翻訳なしで過ごしたラエルは、その恩恵をひしひしと感じていた。これは日常生活を送るのに必要不可欠な生活魔術である、と。
そしてこれは、ラエルが紫石のピアスを手放すにあたって未練を持たない為でもある。
「スカルペッロ家の人たちにも、グリッタさんにもお世話になったのに。鏡越しにしかお礼が言えなかったのは残念だったわ。私がもっと気軽に第三大陸に降りられたら良かったのだけど」
「仕方がないよ。あのタイミングで魔導王国の王様が出て来るなんて、誰も予測できないって」
黄土色の見慣れたコートに身を包んだ針頭が、ラエルの視界の下で「もさもさ」揺れた。
「それにグリッタさん、船都市に向かうって言って直ぐにエヴァンと発ったからね」
「そうなの? 忙しい商人さんねぇ。もし第二大陸に渡っちゃったら次はいつ会えるのか分からないし。寂しくなるわね」
「ああ、そうだね」
相槌と共に、また少しだけ針が揺れた。
カンテラに照らされた廊下を前に、鼠顔の視線は宙に浮いている。
ラエルは歩調を速めて、その視界に映り込む努力をした。
「……トカさんの様子は? 事情聴取、長引いているんでしょう?」
「うん、流石に数年分の情報だからね。休憩を挟みながら少しずつ記録を取ってるって話だよ。八年前の件とか、糸術式の件とか、色々聞かなきゃいけないことが多いみたいでね……でも、数日中には会えるようになると思う」
「そう、それなら心配しなくても良さそうね。えっと、渥地の酸土の人たちは?」
「賊の面々は、第五大陸へ移送する投獄組と、第三大陸で引き取る組、浮島で矯正する組とで分けることが正式に決まったよ」
そう。ラエルたちがバクハイムに行っている間に決まったらしい賊たちへの裁量は、同時期に起きたトラブルもあって再測定が検討されていたらしいのだが……本村での生き残り三名とサンゲイザーの働きが評価されたり評価されなかったりで、「勧告の内容を据え置く」という扱いに収まったらしい。
第三大陸に残された彼らに適応されたのは『侵攻罪』――指揮者六名の刑期は百十六年。他所属者の刑期は六十五年。執行期間中は第三大陸の発展と繁栄に従事させる。とのことだ。
「何だか気が遠くなる話ねぇ」
「そうだな。でも、罪は罪だからね。……まぁ、あれだけ適応力が高ければ普通にやっていけるんじゃないかな。脱獄とか脱走とか、そういう下手な企てをして罪を重ねない限りはね」
「もしそういうことが起きたら、あの人たちってどうなるの?」
「基本は減給処分になると思うけど……魔術で縛りをかけても素行が目に余るようなら、第五大陸に移送処分だね。そうなれば群生した炭樹の伐採に駆り出されること間違いなし」
「わぁ……果てしなく忙しそうね、それ……」
若干引きながらも、ラエルは捕縛に協力した身として、賊の彼らがいきなり処刑されるような話にはならないと分かって胸を撫で下ろした。
ハーミット曰く、魔導王国と第三大陸には死刑制度がないのだという。
……そのような国でカーリー・パーカーが受けていたような収容が行われるのは、もしかすると珍しいことだったのかもしれない、とも。
ハーミットはラエルに追い越されていることに気がついて、逆に歩調を緩めた。
「そうだ。ストレンさんとカルツェとは会ったか?」
「……まだ。会っていないわ」
ラエルは言いながら、中庭から廊下へ月明かりを受け入れる格子窓の列を眺めた。
少女は「ああ、綺麗だなぁ」と思った――いわずもがな、現実逃避なのだが。
「ということは、ツァツリーさんにも会ってないんだね?」
「……ええ。どんな顔をして会いに行けばいいのか分からなくて」
「これ以上気まずくなる前に顔を見せに行くといいよ。君、数日に渡って探されてるからね」
「う、うぅ。分かった。ちゃんと考えるわ」
ラエルは考える素振りをしつつ、徐ろに天井を仰いだ。
知らない間に背が小さくなってしまったツァツリーは、精密検査を受けた後も仕事に復帰させたものか治療者たちの間で意見が割れているそうで……実質巻き込むきっかけを作った張本人であるラエルは気が気でないのである。
加えて、カルツェにはモスリーにされたように怒られる予感がしているし。ストレンに至ってはシャトーの件もあって恨み言を吐かれる気がして、何だか会いに行き辛い。
ラエルが浮島に強制連行されてから今日で五日、眼の前に居る針鼠と再会したのが二日前だ。
針鼠と共に浮島に帰還したはずのカルツェたちとラエルが鉢合わせていないのは、間違いなくハーミットの図らいなのだろう。ラエル自身も、そろそろ腹を括る必要があると自覚していた。
とはいえ。せっかく楽しかった食事の後である。
ラエルは話の流れを変えようと唸りながら考えて――その様子を針鼠が苦笑混じりに観察していることには気づかないまま――焦りと思いつきを隠せない笑顔で、振り向いた。
「ハーミット、今日はありがとう。コース料理、っていうの? 美味しかったわ」
「……ははは。気に入ってもらえたならよかった。ノワールも来れたら良かったんだけどなぁ。遠征先での偏食がバレて、ロゼから直々に外出禁止令が出たらしくてね」
「あはは。ロゼッタさんに引き止められたなら仕方がないわねぇ」
二人は、監視業務を放棄して昼寝を敢行していた伝書蝙蝠の様子を思い出した。
本来は夜型のところを昼型にしてもらっていたので、かなり疲れが溜まっていることだろう。
何かお礼になるものはあるだろうかと思考を巡らせるが……差し入れするなら実質一択で間違いない。この件に関しては、言葉を交わさずとも二人の意見は一致した。
「明日、適当な果実の詰め合わせを資料室に持っていくつもりだけど。君も来る?」
「いいの? 丁度、探したい魔術書があったのよ」
「モスリーキッチンで待ち合わせようか。朝だけど平気か?」
「全然。王様から働いちゃいけないって言われているから、案外暇なのよね」
「はー、うらやましー」
「貴方も、ちゃんと休み休み仕事をするのよ?」
「俺は今日休めたからいいんだよ。また明日から頑張れる」
「休んだ、って。本当にぃ?」
「休息には、精神的なリフレッシュだって含まれているだろう?」
「……貴方やっぱり、もうちょっと長く寝たほうがいいと思うわよ」
「うーん、俺もそう思う。今日くらいは、そうしようかな」
二人は、なんでもない話をする。何気ない日常を噛みしめる。
数日前の夜は、死線を潜る戦いをしていた。最善を目指して、足掻いていた。
……戦いの傷痕が、ラエルの身体の何処にも残らなかったように。
いつか。あの夜を鮮明に思い出せなくなる日が来るのだろう。
熱を忘れ、顔を忘れ、姿を忘れ、声を忘れて。あの人の何もかもが、朧気になる日が来るのだろう。
忘却は救いではない。
だからそれは、遠い日であってほしい。
「ねぇ、ラエル」
ハーミットが足を止めた。
一階と、三階に続く階段の前だった。
「どうしたの。ハーミット」
「腹ごなしに噴水まで歩かないか? 君に、話さなきゃいけないこともあるんだ」
嘘つきな針鼠の言葉は極めて普段通りだ。
そこに特別な感情が籠められているようには聞こえない。
それでも。それはほんの少しだけ、違和感がある言葉だった。
(……珍しいわね。緊張してるのかしら)
少女は黒い裾を翻す。
「奇遇ね。私も、貴方に話したいことがあるの」
近道になる昇降機は、そこにない。
ラエルとハーミットは下の階へと続く階段に足を向けた。




