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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
6章 黒魔術士は科を織る
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325枚目 「肉と野菜と金属音」


 肉が焼ける音がする。


「ほら、無礼講だ。遠慮なく食べ給えラエル・イゥルポテー君」

「…………」


 ラエルは、確かに今の今まで白い町に立っていた……はずだった。

 足元にあった石畳は既に黒いカーペットにすり替わっており、空間転移時に掴まれていた手首も開放されている。


 眼の前には、マントを外して革張りの座席に腰を下ろす王様と、彼が構えたカトラリー。

 鉄板の上で肉汁を溢すほど火を通した、分厚い肉塊。


「言葉が通じることが、不思議かい? 私ほどになれば『翻訳術式(トランスレーター)』を自ら編むことも、そう難しいことではないのだよ」


 メイラードの肉肌に刃を挿し込んで、王様は大きな口の中にそれを放り込んだ。


 もしゃ、もしゃ、もしゃ。もきゅ、もきゅ、もきゅ。


「危惧せずとも、っんむ。ん、じゃいのうなままのみゅーもむみゃ」

「……?」

「っごっきゅん。『心配せずとも、この肉は浮島で畜産しているギューノスのものを使っている』と、いったのだよ」


 テーブルに曇りなく磨かれた硝子の器が置かれる。ラエルの眼の前で、濁りもない透明な水が注がれる。硝子の器を覆う結露が大きくなり、落ちていく。


「それとも、肉全般が無理かね?」

「い、いいえ。黒くなるまで塩漬けにされていなければ、食べられ……ます」

「ああ、いい。いい。楽に話しなさい。いつもハーミット君と話しているようにするといい」


 王様は再び、口の中を肉でいっぱいにした。どう見ても三回か四回しか噛んでいないが、肉塊は飲み込まれて腹の中に入っていく。


 暴食の、魔王様。


「……無茶を、言わないで欲しいのだけれど」

「うん、うん。それだ。それでいい。今更(かしこ)まられても私が困るのだ」


 音も立てずにカトラリーを定位置に戻すと、王様はようやくラエルの顔へと視線を動かした。


 コバルトブルーの深い青を称えた瞳――かつて魔術研究者たちが魔力潜性の証だと謳っていた目の色をもってして魔導王国の王座を継承した異例の人物――は、すぐに焼けた音を立てる肉へと意識を戻す。


 どうやら会話の間に肉が焦げないかが心配らしい。


「……急がなくていいから。そのお肉を先に食べたらどう?」

「いいのかい!? いやはや、見抜かれてしまうとは恥ずかしいなぁ、ちょっと待っててくれよ。この肉がはけたら肉野菜炒めも来る予定なんだ」

「沢山食べるのね?」

「勿論!」


 ぱくっ。


 最後の一口を咀嚼して飲み込み、王様は口を拭きながら右手を上げた。

 店員が礼をして立ち去ると王様は足を組んで肘をつき、組んだ手指の上に小さな顎をのせる。


 小さくなった口元が、ふにゃりと弧を描く。


「それでは、報告を聞こうか」

「……報告?」

「仕事をしてもらうために第三大陸に送り出したのだ。報告は必須事項だと思わないか?」


 王様は硝子の器に注がれた飲み物を口に含む。酒の香りはしなかった。


 ラエルは息を呑み、腰元に手をやろうとして再び口を引き結んだ。連行される際に、自ら装備を置いてきたことが今になって響いている。


 まあ、サンドクォーツクでのグルメ情報やイシクブールでのグルメ情報、バクハイムでのグルメ情報くらいしか碌なメモを取れていない気もするのだが……全く何も無いよりはマシだったに違いない。


 ラエルが気まずさを隠さずに顔を上げると、青い瞳は愉快そうに弧を作った。


「憶えていることだけで構わないさ。君が、第三大陸で何を見たのかを教えてほしいのだよ」

「記憶力なら、ハーミットとノワールちゃんの方が信憑性がありそうなものだけれど?」

「そうだね。だが私は、あえて君の口から聞きたいのだよ。そのために君をここへ連れてきたと言っても過言ではない」


 王様は優しげな声音で、囁くように冗談を言う。


「君が何を良しとして、何を悪としたか。何を私に明かすのか、秘匿するのか。非常に興味がある。私個人としては、正直者も嘘つきも等しく愛そうと思っているんだがね?」

「…………」


 それはつまり、この食事の席自体が脅しに等しいということだ。

 ラエルのみならず、ラエルに関わった全員への。


「……話す、と言っても。何も知らない私が見たものと、知っている貴方たちとでは受け取り方が変わる物事も多いでしょう。報告書なら、どうあっても提出するつもりよ?」

「なにか、不都合でも?」

「私ひとりの判断では話せないわ。私たちが見てきたことは、私だけの問題じゃあないもの」

「ふむ。困った、君まで口が固いとは思わなかったな」

「…………」

「褒めているんだぞ? 浮島で保護されてすぐ、他者との繋がりが随分と希薄だったことを考えれば……今の君の振る舞いは意外ではあるけども」


 こんもりと野菜と肉を盛り付けた皿を台に載せて戻った店員に会釈して、王様は鉄板を平たくして折り曲げたような形状のフライ返しを手に構えた。


「仕方がない。君がそのつもりなら、こちらもリスクを犯して情報を開示するとしよう」

「?」

「バクハイムとアダンソンには白木聖樹が植わっているそうじゃあないか?」

「――――っ!!」


 ラエルは立ち上がりかけて、身体の異常に気がついた。

 足に、力が入らない。(ひざ)から下の感覚が消えている。


 王様は「しゃりん」とフライ返しをすり合わせると、熱した鉄板へと広げた野菜に思いっきり突き立てた。そのまま、葉野菜が鮮やかな手さばきで細かく均等に刻まれていく。


「ふふ。カマをかけたわけではないぞ? 私は君たちの行動を、ある程度は把握している。サンドクォーツクの露天で飾り飴を買ったことも、クラフトの走行中に過去の無免許運転の経歴を暴露したことも、馬車の件について書類をひっくりかえしていたことも、蚤の市で催涙雨を降らせたことも、麦の村で青い麦を刈り取っていたことも――」


 得意げに語られる王の言葉は、その後に響いた机を激しく叩きつける音で遮られた。

 固い机を手で叩いたからか、真っ赤になった手のひらを隠すことなく――紫目は、青い瞳を睨みつけた。


「待って頂戴。それじゃあ貴方、ハーミットが毒を受けたことも解毒が間に合っていないのに蚤の市の作戦に参加していたことも全部知っていたのね?」

「……え? それはまあ、そうだけども」

「どうして止めなかったのよ!? ハーミットは貴方の部下でしょう!? あの人、無茶ばっかりするものだから、ずっと見ていられなかったのだけど!?」


 王様は目をぱちくりとして、三秒考えた後に「怒られている」のだと理解した。

 黒髪の少女の逆鱗を探していたとはいえ、それこそ意外な場所にあったものである。


「……あ、ああ。確かに。主治医が動いているからと放置していたなぁ、一応ハーミットくんも大人だし、体調管理は自己責任」

「そこまで知ってるなら忠告ぐらいできた、って言ってるのよ。あの人の性格は私より知っているでしょう? それとも、ハーミットは貴方が監視していることを知らないの?」

「知っている、と私が言ったところで。君は納得してくれないだろうね」

「するわよ。時々挙動不審だもの、彼」

「うーむむむ。すまなかったね、次から多少は考慮しようじゃないか」

「多少じゃなくて。考慮して頂戴」

「わかったわかった。考慮するとも」


 炒めた野菜を鉄板の端にやって、王様は薄切り肉を鉄板に広げた。


 肉の脂が弾けるが、ラエルは「むすり」としたままだ。

 今度は王様が気まずくなる番だった。小柄な肩がしゅんと丸くなった。


「驚いた。君、本当に自分のために怒らないんだねぇ」

「自分の為の怒りだなんて、持っていても意味が無いでしょう」


 少女の言葉に、王様は野菜を炒める手を止めた。

 ラエルは剣呑な顔をしたまま、王様が気ままに混ぜては散らかした食材を鉄板の中央に戻していく。


 平たかった野菜の丘が、山と呼べるくらいにはなった。


「どうしてそう思う。自らのための怒りは、力になるだろう?」

「……私が私の都合で怒ったところで、現状を変える力にはならないじゃない。……それどころか、協力してくれた人たちを危険に晒すばかりだった」


 ラエルは、傷痕が這う手首を見る。

 電紋の根はそのままだが、両腕の傷はトカによって跡形もなく塞がれて綺麗なものだ。


 あの日起きた出来事が夢であったかのような、錯覚をしてしまうくらいに。


「ずっと、考えているの。どうして私じゃなかったんだろうって」


 イシクブールに着いて、王様が眼の前に現れた時。ラエルの感情は固まったままで上手く動かなかった。


 あの瞬間だけは、イシクブールとバクハイムに結界がある理由も、どうして骨守たちがバクハイムのことを魔導王国に隠し続けていたのかも、咄嗟には思い出せなかった。


 それは、ラエルが自分の事で一杯一杯になっていたからだ。


 ラエルが、自分自身に向けた激しい怒りを抑えるのに必至で……周りに気を配る余裕が、なかったからだ。


「あの日、砂漠から連れ出されたのがシャトーさんじゃなくて、私だったなら。未熟な私が先に祭壇の(にえ)になっていたなら――シャトーさんとトカさんを、二人とも生きて帰すことができたかもしれないのに。って。思わずには居られなくて」

「……」

「あの人には帰る場所も、待っている家族もいたのに。あの砂漠で、どうして身を削ってまで私を生かそうとしたのか、最期まで分からないままだったのよ。問い詰めようと思ったのに……私は、答えを聞くことができなかった」

「その罪は、私には裁けないものだね。君が生涯、抱えていなければならないものだ」


 滔々(とうとう)と。傷をなぞるように王様は言った。

 ラエルは閉口して、無言のまま頷いた。


 この王は、これまでの全てを聞いていて、全てを知っていると言った。


 ラエルがハーミットに話した罪の意識すらも把握しているというなら――いまこの瞬間、ラエル・イゥルポテーのことを裁く人間は、何処にもいなくなったことになる。


 鉄板に広げられていた肉野菜炒めを二枚の皿に分けて、王様はその内のひとつをラエルの前に置いた。


 何も手に取ろうとしない少女を横目に、王様は毅然(きぜん)とカトラリーを構える。


「……しかしだよ。君がシャトル君の立場になったとして。君は彼女のように変質の苦しみに耐え理性を保つことができただろうか。理性なく人々を貪る獣に落ちなかったと、どこに保証がある?」

「そうね。そうなったとしても、貴方やハーミットが殺してくれたと思うけれど?」

「どうだろう。君は一般的な人族とは違って特殊な体質を持っている。手がつけられなくなったかもしれないし、その場合の被害は甚大になったかもしれないぞ」


 もぐ。もぎゅ。ごっくん。


「……ただの人族を、随分と過大評価するのね」

「君がただの人族なら、我々は君を厳重な監視下に置いたりはしないんだがね」


 もぐ。もぐ。もぐ。


 王様は再び、大きく開けた口に肉と野菜を突っ込んだ。

 咀嚼と、嚥下の音。おおよそ食事とは呼べない早さで、皿の上が空になる。


 丁寧に口を拭きながら青い目を上げると、瞠目する紫色の虹彩と目が合った。


 僅かな驚嘆と、溢れるほどの罪悪感とが入り交じる視線だった。


「それは。ハーミットが私に隠している『監視の理由』と、関係があること?」

「気になるかね? 四天王強欲の隠し事が」


 王様の問いに、ラエルは言葉を詰まらせた。

 ハーミットがラエルに隠しているなら、「隠すべきだと判断した」ということだろう。


「知ってしまえば、後には引けなくなるぞ?」

「……私には。帰る場所も、待っている人もいないから」


 今、この場で。王様の口から聞いてしまって、いいのだろうか。


「失うとしたらこの身ひとつだもの。それなら私は、私が何者なのか知った上で――」


 この回答は。既に裏切りなのではないか。







 結論からいえば、ラエルは思ったことを最後まで口にすることができなかった。


 立ち上がることもできなかった足に、急激に感覚が戻る。床ごと「ぐらり」と揺れたような気がして辺りを見回せば、数人の店員が慌てた様子で外へ行ったところだった。


 浮島が風で揺れた、ということでもないらしい。


 ラエルは数秒遅れて、揺れの原因が足元ではなく知覚的なものだと思い至った。何かしらの魔力圧で、身体を外から揺らされたのだろう、と。


「……ははは、これはこれは。長話は、玉座の間でするべきだったね」


 少女が百面相しながら分析する間に、何かを察した王様は立ち上がった。

 王様はマントを肩に戻して帯剣すると、同じく立ち上がろうとしていたラエルをその場に押し留める。


「ラエル・イゥルポテーくん」

「あっ、はい」

「長期遠征を頑張った君に、暇を与えよう。十四日間の有給休暇だ。期間中の給与は保証するが、働いてはいけないぞ」

「……はい?」

「術士資格講習の件も、こちらでアテがある。全て含めて、明日までに新しい契約書を作って送付しよう。内容に納得できたなら、そこに署名をして強欲にでも提出するがいい」

「……提出の期限は?」

「私はいつまでも待つとも。気を長く持つことが、長生きする秘訣だ」


 ――食事は私の奢りだよ。一口も食べてくれなくて寂しかったがね。


 最後にそう言って、王様は悠々と陽炎の向こうへ姿を消した。


 張り詰めていた空気が弛緩する。

 知らずの間に握りしめていた手のひらに、じんわりと汗が滲んでいた。


(……どうして浮島に強制連行したのかは、教えてくれなかったわね)


 重要なことは、何ひとつ分からないままだ。


 イシクブールで別れたハーミットたちの事も気になるが――まずは、先ほどの魔力圧の正体を確かめなければならないだろう。


 敵か、味方か、知り合いか。

 店に飛び込んできた赤色の三つ編みを見て、ラエルはとりあえず(こぶし)を解いた。


「ラエルちゃん!! 無事か!?」

「あ、アネモネさん。元気そうね」

「それはこっちの台詞だぜ!! 王様に連行されたって聞いたもんだから虱潰しに探したんだぞ――しっかし間に合って良かった、流石は俊足の俺!!」


 いつにもなくテンションが高い赤髪の騎士に気圧されながら、ラエルは首を傾げる。

 間に合うとか間に合わないとか、そんな言い回しをしたアネモネの言動が引っかかった。


(いえ、聞き覚え自体はあるのだけど……今回は命の危険とか、無かったわよね?)


 困惑するラエルを差し置き、アネモネはラエルの頭の天辺からつま先までを流し見て再び安堵した様子だった。息切れしていないところをみると、流石は四天王のひとりである。


「ともかく主治医のとこに行くぞ。あの白髪頭のところで良かったか?」

「え、ええ。でも、本当に何もなかったから。大丈夫よ?」

「口ではなんとでも言えるからな。とりあえず診察を受けてくれ」

「……心配性ねぇ。分かったわ。でも、少し待ってくれる?」


 ラエルは振り返って、ドタバタしている厨房に視線を投げる。

 目が合ったひとりに向けて、非常に気まずそうに苦笑いをした。


「店員さん。この肉野菜炒めを持ち帰りにできるかしら」


 かくして。二度目の謁見を乗り越えたラエルは久方ぶりの浮島を行く。

 イシクブールで別れた面々と彼女が再会するのは、これから数日経った後の話だった。





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