324枚目 「少女の処遇」
「王様。どうしてここに?」
「いま説明しただろう。『分身』で申し訳ないが、お迎えに来たのだよ。出入国管理局を通すと、また数日かかってしまうかもしれない」
「……王様が国を渡るとなれば、半年前には予告が必要なところでは?」
「ははは! 国渡りだなんて、そう大層なことではないさ、強欲。私にとって、この町は庭の一部のようなものだ。気軽に足を向けた程度で怒られるのは不本意だぞ?」
紅い衣擦れが重い音を立て、腕を覆う繊細な黒布を撫でて滑り落ちる。
腰には銀色の剣塚。鞘の純白と金細工が赤色の内側で揺れる。
その身が放つ異様な圧と高貴さが相まって、酷くアンバランスな光景だった。
「繰り返すが、私がここに来た目的はひとつだ。強欲よ――魔導王国浮島四天王強欲よ。第三大陸調査官補佐、黒魔術士ラエル・イゥルポテー……彼女を、即刻引き渡しなさい。イシクブールに帰還した時点で、私の管轄だ」
「目的ばかりを並べますね、王様。納得できる説明がなければ俺は従えません」
「理由を口にしても構わないと? あぁ、この場にいる面々には隠すこともないかね?」
とはいえ、邪魔をされたくはないな。
王様は言うと、まばたきをひとつした。
――たった、それだけの動作で。ラエルとハーミットを除いた全員の肌を痺れが這う。
各々異変に気づいて閉じた口元を抑えるも、そこは既に縛りを受けて固定された後だった。
もしもこの時。かの王が詠唱を口にしたなら、それは『閉口せよ』という魔術名であっただろう。
黒の雷系統、詠唱封じの身体操作魔術。
間違っても無詠唱で発動できる魔術ではないはずだが――それを、息をするよりも簡単に行う。
魔の王と呼ばれた所以の、片鱗。
「……っ!」
「さて、話の続きをしようか。そこの人族には第三大陸での殺人容疑が今なおかかっている。故に監視の対象だ。真犯人が捕まっていないのだから、当然だろう?」
馬車の中、視線がラエル・イゥルポテーに集まる。
ラエルが置かれている状況については、エヴァンとスタラクタスを除いた面々にとっては周知のことだ。だから、ここで浮かぶ疑問は「ラエルが疑われている事」ではない。
ほぼ疑いが晴れた筈のラエルを、よりにもよって魔導王国の国王が自ら迎えに来た――このことにこそ違和感がある。
「塩の涙付近で起こった盗賊殺しの審判については、現在逃走中の指名手配犯を監査にかけるまで保留とする、という結論で一致したはずですが?」
「その通り。しかしイシクブールへ君たちが帰還したことで保留処置は棄却された。ラエル・イゥルポテーに対する尋問が公式には未だ行われていないことを君も知っているだろう? 憂い事が無くなった今であれば魔術を差し込む余地もあるだろう、というのが担当女史の意見だ。私はその意見を参考にしただけだとも」
「……あいつ」
ハーミットは鼠顔の下、眉を潜めた。バクハイムへ出発する前、イシクブールに派遣された白魔術隊の中に、一際目立つ背姿の人物が配置されていたことを思い出す。
資料室館長メルデル――彼女が捕縛した賊の審問のみならず、ラエルの経過観察や見定めの意図で白魔術隊に参加したのなら。ハーミットが懸念する以上に、現時点においてラエルが置かれている状況が悪くなっている可能性すらある。
濁った琥珀を鼠頭に隠し、四天王強欲は立てていた襟を開くと口元をあらわにした。
「それでも、彼女を強制連行する理由には足りません。彼女は不定の罪人だ。疑わしきを罰するは許されない」
「だからそれを調べると言っているんだ。最も、盗賊殺しについて審問を行うのは重要参考人が二人揃ってからでも遅くないさ。だがそれはそれ、連行することは決定事項だ。見逃せない罪が必要だというなら――こちらに、十分な証拠がある」
王様は言って、その場に展開した歪みのようなものに腕を突っ込むと、一枚の紙を引きずり出した。
文字の羅列が続いた先、文末の方に「ラエル」の署名がされている。
紅蓮の茶。いつかのお茶会での光景が、ラエルの脳裏に過った。
「その契約書、前に話した時に署名した……」
「よく憶えているね。そうだとも、ここには君が第三大陸に出張するにあたっての名目と立場、職業とが記入されている。君は魔導王国四天王強欲の補佐係に配置されるにあたって、術師から術士に立場を改めた。間違いないね?」
「……ええ。他の場所で資料を提出したときにも、四天王直下の立場で仕事をするなら契約時の書類と同じ表記じゃなきゃ駄目だって係の人に言われたし……そういうものなのかと」
「うん。問題はそこなのだ」
王様の言い分に、ラエルとノワールは首を傾げ。ハーミットは息をつまらせた。
「ここの契約内容には、君を黒魔術士として採用する旨が書かれている。そして契約責任者は、他の誰でもなく、私に設定されているのだよ」
「ま、まさか……」
「ああ。ラエル・イゥルポテー君は――魔導王国式の黒魔術士資格講習を受けていない。この契約書はつまるところ、私の権限によって限定的に術師が術士を名乗る為の仮免発行証なのだよ――が。しかし、君たちが第三大陸に降りて、だいぶ期間が開いているからねぇ。期限切れだ。……『自らが術師であるにも関わらず、公的な術士を名乗り仕事を受けた罪』を問うことが、私にはできるというわけだよ」
ぱしん、と。王様は契約書を指で弾いた。
「それは、書類を受理する段階で止めるべき内容だろう!? 彼女じゃなく、スルーした現場と王様にこそ非があるんじゃないか!! どうして今更!?」
「その通り! なんだ、分かっているじゃないかハーミット君。というわけで私は自らが犯したミスを帳消しにするためにこの場に来た。なんせ受領の印を押したのは私だからね!」
ハーミットは、あまりの事態に歯噛みした。
これは王様の屁理屈だ。理屈を語ろうとしているが、これは屁理屈である。
「理由がないなら作ればいいじゃないか!」と駄々をこねているようなものだ。
「はっはっは。なに、私の出入国記録が残らなければ全てチャラだとも、チャラ! だから私はここに来た! 怒られると分かっていてもお忍びでねぇ!」
「っ……そんな馬鹿な話があるか!! ラエルも素直に口車に乗らないでくれ、下手に頷くと受諾ととられるぞ!!」
この王様が、居合わせている一般人に対し「王様が自分で起こしたミスを帳消しにするためにお忍びで来た」というユーモラスな印象を植え付けようとしているのは目にも明らかだ。
だが、一度でもこの王に関わった人間なら首を横に振るだろう――そんなわけがないだろう、と。
そもそも一国の王が自らの管理不行き届きを理由にしてまで城下に降りる理由はない。
リスクを犯してでもそうする必要があると判断したなら。そこには絶対に、意図がある。
例えば、ラエルを監視するにあたって四天王強欲を選んで配置したように。
(だから頷くわけには行かない。俺だけは)
針鼠が更に矛先をいなす為に口を開こうとしたところで、黒髪の少女が席を立った。
伝書蝙蝠は、眉間に皺を寄せたまま首を振る。ラエルは黒い毛並みを撫でて微笑むと、ハーミットの腕にノワールを渡した。
「わかりました」
「ラエル、駄目だ」
「私が、私の判断で着いて行くって決めたのよ。……王様が、方便を口にしてくれている内にね。ハーミットがしている心配は、そういうことでしょう?」
少年が止める間もなく、少女は腰にしていたポーチをベルトから外す。
手袋と指輪、腕輪を外す。肩にしていた灰色のケープを外し、足に留めていたナイフとホルダーとを包むと空いた座席に置く。
これで、随分と身軽に――無防備になった。
ラエルは最後に左耳に手を伸ばす。
次に開かれた手には、普段から身につけていた紫石のピアスがあった。
「トカさん。口が閉まってるところ申し訳ないけれど、これを返しておくわ。元を辿れば、あの人の魔法具だし。……ええと。ストレンさんには洗いざらいお話しするのよ? あの人に似て、怒らせるとおっかないんだから」
言いながら、口を開けないトカの手に握らせる。
この手を離せば、ラエルは他者の言葉を理解する術を失うことになる。
「ラエル、そのピアスは『翻訳魔術』付きだろう。何もそこまでする必要は」
「いつ暴れるかもわからない黒魔術師なのに、言葉を封じないでどうするのよ。……それに、なにもかもを受け入れるわけじゃないから。私だって、我慢ならないことがある」
ラエルは、振り返りながら左手を前に出した。
「エスコートされるなら、貴方がいい」
ハーミットは口を丸くして、それから口元に笑みを貼り付けた。
「……地面まで高さがある。降りるときは気を付けて」
「ええ。ありがとう」
「王の面前だ。気をしっかり持って」
「その心配は要らないわ、私に恐怖感情はないもの」
茶革の手袋越しに、少女の手が取られる。
「貴方には感謝してるのよ。だから、そんな顔しないで」
「見えないのか? 笑ってるだろう?」
「そうね。でも。案外分かりやすいのよ、貴方」
「……」
「……」
短い沈黙に意味はなかった。
お互い、手を握り合うこともしなかった。
「食事の約束、楽しみにしてるわね」
「ああ。俺も、楽しみにしてる」
ラエルは笑って、トカから手を離した。
四天王強欲は黒魔術師の腕を引く。
馬車から降りて、ほんの数歩だけのエスコートだった。
引き渡しの瞬間まで王様は若干寂しそうにしていたが、それも長くは続かない。
すぐに周囲の景色が溶けて歪み、その場に魔力子が模様を描き始めた。
「四天王強欲よ。ここからは勅令である。心して受けよ」
「……」
「君は、君の仕事を全て片付けてから浮島へ戻るように。強欲として、残火として、ハーミット・ヘッジホッグという個人として。この地の管理者に対し、終了した一連の事件に関する説明責任を果たすなど、立場をわきまえた上で、己が成すべきことをしなさい」
「……陛下の仰せのままに」
「よろしい」
めらめらと、まるで空気が燃え盛っているように思えた。
二人の背後に――『陽炎の門』が立つ。
「それではさらばだ、英雄諸君。君たちの未来に、不死鳥の加護があらんことを」
王様は、少女の傷痕が這う手首を握ると、姿を消した。
晶砂岩の石畳に、白靴の赤衣がひらめく。
赤魔術士ストレンことストリング・レイシーは、突如詰め所へと現れた尊い御方の姿を追って町へと飛び出した。
夏の始まりを迎えた石工の町は、蚤の市の騒ぎが嘘であったかのように復興を果たしている。早朝という時間帯も幸いして、まだ人の出入りはそう多くない。目的の人物を追うために必要な魔力残滓は目に見えるほどハッキリと路端に残っていた。
これだけ強い魔力を撒きながら移動するとは――そもそも、何故第三大陸に? 彼の御方は、魔導王国浮島に適応されている「場の呪い」を維持するため、駐屯地の外へ出ることはできないはずなのだ。
(御本人がこの場に現れることはありえない。ならば『分身』か代理人の可能性が濃厚でしょう。……いいえ。現場で居合わせたカルツェと話して、外見の証言が合わなかったことを考えれば、どうあれ御本人の魔術が関わっていると見て間違いない)
ならば。彼の御方は、なにゆえにこの町までやってきたのだろう。
乾く目をきつく歪め、赤魔術士は必至に思考を回す。
そもそも、始めに姿を見せた相手が詰め所に居た白魔術隊だったことにも違和感がある。一般の軍属の前に予告なくまみえるなど、外聞と政治的な理由で「ありえない」ことである。
(お忍びが目的なら、詰め所に寄る必要はないでしょう?)
喉元のチョーカーに触れる。
震える指と魔石がぶつかって「かち」と音を立てた。
――何か目的があるはずだ。
魔力の痕跡が、これみよがしに残されている。
白魔導士カルツェと比べて、烈火隊所属であるストレンの方が足は速い。
(あぁ、もぅ。趣味が悪い!)
骨竜の像を横切り、町長宅前の道を右に折れる。管理施工された東地区は上下に入り組んでいるが、探し人は最短距離をまっすぐに行ったらしい。
(この辺りの道は地図に載っていなかったはずですがぁ。いいでしょう、着いて来いってことでしょう!?)
白靴が一歩踏み込むと、ストレンの視界はぐにゃりと歪み――人避けの結界は赤魔術士を飲み込む。
植木と林だと思っていた空間には石畳の道が続いており、通路の突き当りには馬車が一台停まっていた。観察してみれば、そこに居る内の何名かと伝書蝙蝠に見覚えがある。黄土色のコートと特徴的な針頭が見えて、予想は確信に変わる。
「帰って来ていたんですか!! え、でも」
しかしそれは、とある人物の不在を認識することと同時でもあった。
黒髪の少女の姿が見当たらないと、ストレンは周囲を見回す。
彼女はやがて、振り返った針鼠の腕に灰色のケープがあることを知る。
「…………ラエルは?」
「さっき、王様が連れて行ったばかりだ」
ストレンは、それを聞いて。頭が真っ白になった。
思わずチョーカーのチャームを握りしめる。ラエルが彼の御方に目をつけられている理由をストレンは知らされていないが……骨竜の像の前で起きたことと、決して無関係ではないだろうと、直観があった。
「まさか。そんな、こと」
「でも、俺がここにいるってことは……まだ、そうと決まった訳じゃないんだろう。ただ、ラエルが連行されたことに関しては何も知らされてない。現状、どうして王様が彼女を連行することに決めたのか……何も、分からないままなんだ」
「っ!! 貴方、一番近くに居た癖に、止められなかったんですかぁ!? 出入国管理局に飛翔船と転移陣の予約はしたんですぅ!? 追いかけるにせよ、サンドクォーツクまでクラフトで飛ばしたとしてもかなり遠いですよぅ!?」
「追いかけるどころか、俺は勅令を受けたから……暫くこの町から出られない……」
「えっ。ちょく……はああああー!?」
「――す、ストレン!! その声は、ストレンじゃないか!?」
そして最悪のタイミングで娘との再会を果たすことになったトカは、胸ぐらを掴まれている四天王を視界からすっとばしてストレンに声をかけることになった。
ストレンはトカの顔を見て一瞬、胸ぐらを掴む手を緩めたが、静かに握り込み直す。
「……聞きたいことは山程ありますが貴方の事は後回しです!! 今はこの四天王と大事な話してるんですから口を挟まないでください父様!!」
「うっぐ」
「今のは空気が読めなかったねトカくん。でも父親として気持ちは分かるぞう」
邪魔をしかねないトカの肩に手を置いたのは、父親の先輩であるレーテだった。
レーテも表面的には明るく振る舞っているものの、さっきの今で胃が爆発したのかもしれない。この半時間で肌艶は消え、唇はカッサカサである。
細身の二人はふらふらとその場を後にしようとして、更に結界を抜けてきた人物と鉢合わせになった。黒髪をおかっぱに切りそろえ、黒縁の眼鏡をかけている。
ただし現在のストレンには、目の端で起きている邂逅の内容など知ったこっちゃないのだった。
「早急に状況を説明してくださいハーミット・ヘッジホッグ!! ことと次第によっては容赦する余裕なんてありませんけれどぅ、承知の上ですよねぇ!?」
「白魔導士カルツェ、合流しました――って、ちょっとストレンさん!? ハーミットさんになんてことしてるんですか!! ハーミットさんもですよ、今度は一体何をしでかしたんですか!? ――あ、ツァツリーさんも遠征お疲れ様で……どうして子どもみたいな見た目に……?」
「話す話す話す何があったかちゃんと話すから首根っこから揺らすのは辞めてくれ、針衣の重さで頭がもげるっ」
「僕も聞く権利あるよね?」
「勿論だよキーナ君!! グリッタさんも!! ねぇ、見てないで助けて!?」
「無茶言うなぁ、一般人だぞ僕。軍の人間を止められるわけがないだろ? ね、商人さん」
「そうだなぁ……グリッタさんも万能の商人じゃあないからなぁ……」
ようやくイシクブールに着いて魔法瓶から開放されたかと思えばこの状況である。
一周回って放心中のキーナとグリッタは、この後ハーミットに何をどう問い詰めるべきか頭を悩ませている様子だった。
ツァツリーは剣呑な目つきのまま、花壇横の石積みの上に座っている。
居心地が悪そうにしているエヴァンと目が合って、お互いにため息を吐いた。
そしてサンゲイザーはどうかというと――魔法瓶が足りないことを理由に馬車の中に残された彼は、外の騒ぎに聞き耳を立てたまま肘をつき、思案していた。
魔王城、魔導王国浮島駐屯地には、人間の命を奪うことに重い制限をかける「場の呪い」がある――そんな噂は第二大陸にも届いているので、知っている。
つまるところ、魔術を無効化できる体質のハーミットがイシクブールに残っている以上、「浮島ではラエルの命の保証がある」と見做していいだろう。
そうなると、懸念の対象は黒髪の少女本人に絞られる。
(……死ぬような思いをしようが、死んだほうがマシな状況に陥ろうが、大抵は生きてりゃどうにでもなることが殆どだ。生きてりゃあ、なぁ)
しかし果たして。蜥蜴は杞憂と思いながらも憂慮する。
今のラエル・イゥルポテーに、生きる気力は残っているのだろうか。と。




