318枚目 「鏡面のスタラクタス」
――そして現在。
石室にてカード遊びをしていた灰髪の少年は、モコモコの白い蜘蛛を腕に抱えながら青髪の子どもをラエルたちへ紹介するに至ったのだった。
「そういうわけで、こちらが僕らの命を救ってくれたりした白蜘蛛さんです!」
「……その小さい蜘蛛のこと? それとも、その子のこと?」
「どっちも! 小さい方は『分身』みたいなものなんだってさ」
キーナは説明を続けるが、青髪の子どもはキーナの服の裾を引っ張ると隠れてしまった――ラエルは、その髪の色に見覚えしかなかった。
鎧蜘蛛を倒すたびに立ち昇った、青い魔力煙。
それをかき集めて吸収しつづけていた、祭壇の真上で揺れる巨大な袋を思い出す。
「まさか、この部屋って……祭壇の真上……?」
「うん、そうだよ。そしてラエルさんたちの予想通り、この子が大鎧蜘蛛の『今代』だ。ラエルさんたちの作戦のお陰で、この子は産まれたんだ」
「……なるほど。あれは卵床じゃなくて栄養袋だったわけか」
ハーミットは呟いて、キーナの様子を観察する。
どうやら体調が良いというのは本当らしい。閉じた右目と『鉄火』を受けただろう左足を庇っているのは気になるが、それ以外は話に聞いた通りで問題なさそうである。
琥珀の眼は次に、隣に立つレーテの様子を確認する。
孫が無事……いや、片目がああなったことも含め、後でお叱りが飛ぶだろうことは確実なのだが、どうやら孫の安否を確認した他にも見逃せない事実を発見したらしい。
ハーミットはレーテの視線の先を追って、同じく苦い顔になった。
キーナは苦い顔をする大人二人を視界に入れることなく、ラエルに向けて会話を続ける。
「ついさっきまで『同調』の練習をしてたから、僕とエヴァン以外とも話せるようになってると思うんだけど。なんだか人見知りしてるっぽいね。ええと、たぶん悪い子じゃないから、安心してよ」
「……」
「ラエルさん?」
「……まず。キーナさんたちが、生きていてくれて良かったわ」
ラエルは言って、力なくその場に座り込んだ。
ようやく、気が抜けたのだ。
シャトーが「追撃する」と宣言したあの瞬間から今の今まで、ラエルは気が気でなかったのだ――緊張の糸が切れた瞬間だった。
次代については、ラエルにも思うところがある。
だがそれは、言葉にするにはまだ不明瞭な感情だった。
少なくとも今、この場では何を口にしたものか思いつかないくらいには。
キーナは慌ててラエルの肩を支えたが、最終的には同じ床に膝をついて視線の高さを合わせることを選んだ。
「――エヴァンジェ!! 関係ない顔をしているが君のことだ!! 君!!」
「うわーん俺っすかぁ!? そりゃそうですよね坊っちゃんのことを守れず全く申し訳ありませんひいぃぃ!!」
「違う!! 負傷の件を口止めした馬鹿を咎めているんだ、もう大人だというのに何をしているんだ!? 情報の信憑性は常に緊急の事態がどう転ぶかを左右するんだぞ、報告!! 連絡!! 相談!! 基本だぞ基本!! 戦力が足りずにハーミットくんたちが采配を間違えていたらお前はどう責任をとったというんだ、たまたまどうにかなったから良かったものの、うちの孫をも更に危険にさらすつもりだったのか!? 門兵までさせてもらってる衛兵とはとても思えんぞ、万が一があった時、どう申し訳するつもりだったのかね!?」
「うわあああああ普通にすんませんまじすんません本当にすんませんっしたあ!!!!」
「エヴァン。俺も、君が生きててくれて嬉しいよ?」
「はっ――ハーミットさ」
「でも、俺が言わんとしてることは分かってるよね?」
「分かっっっっております!! ほんっとうにまじ申し訳ありませんでした次からしません――うわあああ俺をそんな目で見ないでください!! ちゃんといい子にしてたんです、真面目にしてたんです!! 俺、あれからずーっと真面目に衛兵やってきたんですからああ!!」
「真に真面目なやつは個人の事情で負傷に関する報連相を怠ったりしないんだよ。あと、優れた衛兵は己の実力を過信しない。エヴァンはキーナくんを守り切れる実力も自信もあったんだろうけど、少なくとも怪我の内容については事前に報告するべきだったね。今回はどうにかなったかも知れないけど、もし俺が立てた作戦が全く通用していなかったら最悪の展開になることだって考えられたし……ね」
「ひ、ひえぁぁあああ」
……衛兵エヴァンが大人二人に問い詰められて酷い有様なのは視界に入っていたが、そもそも片腕の上腕を失っている時点で大層な大怪我である。
それを自身の都合で白魔術士に口止めをしてまで隠し続けたのだから、これは詰められるのが当然だ。この件に関してキーナから出せる助け船はなかった。
青髪の子どもは不安げに、灰髪の少年の頭の後ろから鏡面に似た顔を覗かせた。
ラエルのことを無害だと判断したのか、キーナの姿勢を真似してちょこんと座る。
黒髪の少女は息を整えて、改めて青髪の子どもへと視線を注いだ。
「その子の外見は、どうしてヒトの形に?」
「ラエルさん、蜘蛛苦手でしょ。イシクブールでも色々あったじゃんか」
さらりと言われて、ラエルは目を丸くした。どうやら灰髪の少年が骨竜の像の前で起きたことを憶えていたことが意外だったらしい。
キーナはラエルの反応を見て苦笑して、ラエルはキーナにつられて苦笑した。
なんだか、こうして笑うのは随分と久しぶりな気がした。
「この村に来てからずっと蜘蛛ばっかり見てるから、随分と克服できたと思うわ」
「そう? 闘ってた相手と同じ姿だと混乱するかなーって思ったんだけど。余計なお世話だった?」
「……いいえ。少なくとも今は助かったわ、キーナさん。ありがとう」
「へへ。少しでも力になれたんなら、僕がここに居たかいがあったってもんだね」
部屋中に積み上がった抜け殻の量を見るに、目論見が成功するかどうかは白蜘蛛がラエルたちを発見するまで定かではなかったのだろう。
憔悴していたのは灰髪の少年も同じで、今になってようやく肩の力が抜けたようだった。
キーナは小さな蜘蛛をエヴァンの加勢に行かせると、包帯でグルグルと巻かれたラエルの手をとった。ハーミットが施した応急処置のかいあって「痛みは幾分か抑えられている」とラエルは説明したが、それでキーナの顔が晴れるわけもない。
「僕ってば、肝心な時に無力だなぁ。白魔術、修めてみようかなぁ」
「か、簡単に言うわね?」
「適正診断するまでは回復術を発現するのが可能かどうかも分からないけどね。僕、まだ何の専門を採るか決めてないし……黒と白、どちらを目指すにせよ回復術の習得を試す価値はあるよなって思ったんだよ」
灰髪の少年は、そのままぶつくさと進路についての話を広げていく。
キーナがどのような魔術士を目指すとしても、ラエルは応援するだけだ。
「生きていたことは嬉しいし抱きしめたいところだが、キーナにもレーテおじいちゃんからたっっっぷりと話があります。あと、逃げるつもりかいハーミットくん。私は君にも話があるんだが」
「……分かっています。お孫さんを巻き込んだ件について、ちゃんと説明しますよ」
さめざめとしているエヴァンを開放して、レーテがキーナを呼んだ。ハーミットが素手で手招きしている様子から、これ以上キーナの晶化が進むことを危惧しているとも見える。
キーナは億劫な顔をしながら、ゆっくり立ち上がった。
青い髪の子どもは引き留めるのが無駄だと分かったのか、掴んでいた裾を離す。
「それじゃあ僕は怒られてくるから。ラエルさん、エヴァンとこの子の相手任せた!」
「ま、任されたわ」
任されてしまったが特にやることもない。
キーナと入れ替わりになってやってきたサンドクォーツクの衛兵は、沈黙の会話を続けていた黒髪と青髪の中間に腰を下ろす。
右の袖を半ばあたりで結んでいる――片腕であることを隠そうともしない長袖の衛兵は、気まずそうにラエルに笑いかけると話の糸口を捜して、目を泳がせた。
「えっと。お互い無事でよかったっすね。命があればこそ、って言いますから」
衛兵の灰色の目は、黒髪の少女を捉えるなり眩しそうに細められた。
紫目は瞬き、まっすぐに向けられた言葉が苦しくて目を逸らした。
「顔を合わせるのは、船都市の城門以来になるのよね。初めての子も居るし、改めて自己紹介をさせて頂戴。私はラエル・イゥルポテー、黒魔術士よ」
「俺こそ改めまして。エヴァンこと、エヴァンジェ・ジーン=アダンと申します。サンドクォーツクで衛兵やってますが、片腕吹っ飛んで今後に暗雲しかありませんね。わはは」
「……わはは、なんて言ったらハーミットに怒られるんじゃない?」
「ははは! そうっすね。まあ元々街を護る仕事をしてますから、それなりに覚悟はしてたっすよ。いつかはこうなるかもなー、ってね」
ハーミットさんなら、膝を擦りむいただけでも怒ってきそうですけどねぇ――と、後方の視線に怯えながらエヴァンは言葉を続けた。
「ところで、状況は? 貴女たちがこの場に居るということは、全部終わったということっすか?」
「……そうよ」
ラエルの返答にエヴァンは口を抑え、ゆっくりと閉口した。
紫目が暗にいわんとすることは、エヴァンには通じなかったようだった。ただ、ラエルが何か含みをもって答えたことは伝わったらしい。
衛兵は、この場で大きなリアクションを取る必要はないと判断した。自らの口に左手の指を立てて添えると「良く分かりませんが、俺の口から坊っちゃんには何も言いませんので……それでいいっすか?」と抑えた声で返す。
こういうところが、腕の欠損を隠した件にも通じる精神性なのだろう。
ラエルはエヴァンに頷きと笑みを返すと、青い髪の子どもに向かって姿勢を正した。
青髪の子どもは、今度は顔を逸らすことも隠れることもしなかった。鏡面のようで滑らかな顔が、上目遣いに少女の目を覗き込んだ。
一方、ラエルが鏡面を前にしたとして、そこに映るのは自身の顔だけだった。
噛み締めたまま、力を抜ききれていない顎と、刻まれたままの眉間の皺。
歪んだまま結ばれた唇。疲れ切った視線。
濁った瞳。
ラエルは眉間を抑えながら目を伏せて、それから口を開いた。
「……産まれたばかりの子に向ける顔じゃなかったわね。ごめんなさい」
『…………のぞむものは、ありませんか』
不意に聞こえたそれは、翻訳術式を通さなければ言語とは思えないような透き通った音だった。硝子の器の縁を、濡れた指で這うような、音だった。
人間の発音には似ても似つかない音の羅列。
それが、『同調』の効力によって紡がれた次代の意思表示だった。
キーナは、この青髪の子どもが『同調』を扱えるようになったと言っていた。ラエルが本音を隠したところで意味がない――ラエルは、魔法も通じない針鼠のような特殊な存在では、ないのだから。
『……あなたがのぞまなければ、なにも、あげられない』
青い髪が、肩からぱさりと落ちる。
鏡の顔をラエルの視界から消すように俯く。
『…………おねがいします。ねがってください』
「どうして?」
ラエルは乾いた唇で聞き返す。
願いなど、ついさっき叶わなくなったばかりだ。
疑問より苛立ちが声音に滲んだのは、ラエルにも自覚があった。
青髪の子どもが次に何を口にするのか、ラエルは予測することをしなかった。
『……わたしは。……わたしが。うまれたせいで』
だから。頭を、殴られたような心地がした。
『その子のうでも、あの子のめも、あなたのたいせつも』
蟲は、意思を伝えることを、止めなかった。
『……うばったから、あげなきゃ……』
後悔を、隠すこともしない。
「……」
『……』
ラエルは、直ぐには言葉を返せなかった。
「叶えてもらえるというなら、何を願おうか」などと、浅ましく欲を巡らせることはできなかった。
眼の前で項を見せるほど床を凝視している今代の姿が、酷く小さく見えた。
隣で慌てているエヴァンに気がついて、ハーミットたちが戻ってくる。それでもラエルは黙り込んだまま……考え込んだまま、だった。
誰に意見を乞うのでもなく答えを出さなければならないと、ラエルは思った。
黒髪の少女に、新たな願いはない。
だが、『同調』の作用で思考が筒抜けになっていると仮定したとしても、ラエルが本心から欲しいと思ったものを提案できなければ、今代は納得してくれないだろう。
いま、偽りなく本心から欲しいと思えるもの。
ラエルは熟考して……やがて、顔を上げた。
「そうね。貰えるなら、貰っておこうかしら」
そう口にしたラエルを止めようと前のめりになったエヴァンが、傍に居たハーミットとキーナに制されたのを、ラエルは目の端に捉えた。
やはり、あの衛兵にはまだ隠している事があったようだ。
だがエヴァンがハーミットとレーテとキーナの三人から詰め寄られる事態になったとしても。それはラエルには関係ないことである。
(私も、我儘を通させてもらうわよ)
ラエルは床を見つめる青髪の子どもの前にしゃがみ込む。断罪を待つような姿勢を、無理矢理引き起こして、再び対面した。
鏡に映るのは、酷い顔をしたラエルの顔だ。さっきと何も変わらない。
けれど――少なくとも、この鏡面の内側に視線が届くかもしれないと思えば。これは決して、無意味な行為ではないはずだ。
目の代わりに、顔を合わせる。
「私は知りたい。貴方の名前を、教えて頂戴」
今代はラエルの言葉を聞いて身を固くした後、ゆらゆらと頭を揺らし。最後は戸惑うように両手の指をからめて腹の前に下ろした。
驚きと、悲しみと、諦めを飲み込んだ。そのような反応だった。
『……かれらに、なづけてもらいました。かがみのようなかおで、なかみはてんじょうからたれるくもだから……きょうめんのすたらくたす、だと』
骨を喰む蟲の長。今代の大鎧蜘蛛――鏡面のスタラクタスは、背を正す。
そう。そうだ。
ラエルが見たかったのは……産まれたばかりの今代が、傲慢にも胸を張る姿だった。
(「産まれたことを間違った」なんて、二度と言わせない)
「そう。似合う名前ね。それじゃあ改めて――私は、ラエル・イゥルポテー。鏡面のスタラクタス、キーナさんとエヴァンさんを助けてくれてありがとう」
(あの人が犠牲にならなきゃ産まれなかった命を、産まれた当人が否定するなんて――私は、絶対に許さない)
狭い祭壇の上で、シャトーは、あがいて、あがき抜いたのだ。
強くて横暴で、やり方は間違ってばっかりで。誰にも許されないことをしてまで目的をやり遂げようとした灰の魔導士。彼女は、誰かが依代にならなければ次代を継げないという、この村に根付いた負の連鎖を、終わらせたのだ。
きっとこれは、彼女が望んだ結末だ。
たったいま、目の前にある全てが――現実であるように。
「産まれてきてくれてありがとう、スタラクタス。今日が、貴方の誕生日になるのよ」
ラエルは。スタラクタスを抱きしめる。
黒髪の少女は、それ以上何も口にしなかった。
乾ききった紫目は、きつく閉じられた。




