316枚目 「道教えの毛鞠」
両腕を使えないラエルを補助しながら、少しずつ暗闇を進んでいく。
ハーミットは道を照らす役をレーテに任せて、小脇に土塗れの小包を抱えていた。今は、鞄に収納することができないのだ。
腕に怪我をしているラエルに持たせるわけにも行かず、かといってレーテに持ってもらうわけにもいかない。「これが何なのか」を察しているのは獣人もどきの四天王ひとりで構わない。ハーミットはそう判断した。
(シャトーさんの捕縛、その後の急襲、晶化からの退避と落下、そんで着地のアレだろ……で、これだ。……頭がぐらぐらしてくる。怒りなのか疲れなのか、呆れの方が割合が高いか)
感情が振り回されているのは確かである。頭に血が登っているのも確かだ。
(……よく咄嗟に思いついたもんだよ。識っていたとして、実行できるかは別の覚悟が居るだろうに)
ハーミットは小包を撫でる。布越しに、確かに鱗の手触りがした。
それは、着地した場所がかなりの地下だったにも関わらず「窒息しないほど潤沢に空気があった」理由だった。
あの場所で『清浄と不浄の置換』が行われた痕跡――禁術を発現させるための対価。
蜥蜴の獣人が、あの場所に辿り着いた経緯は……後で本人に聞く方が早いだろう。金髪少年は自分自身に言い聞かせるように、思考を進める。
(まずはここを生きて出ることだ。礼と説教の内容を考えるのはそれからでも遅くない)
今は他にも気がかりなことがある。いま肩を貸しているラエルのことだ。
(着地の時のアレは、二度目ともなれば王様に報告するしかないけど……現状の懸念はそこじゃないよな)
ハーミットは隣に居る少女の背を左手で支えて、また一段昇った。
……黒髪の少女は、祭壇であったできごとを一言も反芻しなかった。それどころかいつもの調子を装ってハーミットに接している。空元気だろうに、不調を問えば「寧ろ調子はいい」と返答する有り様だった。
眼の前で育ての母親が死んだことも、両腕のあちこちを串刺しにされたことも、晶化に巻き込まれて死にかけたことも全て含めて、調子がいいはずがないというのに。
恐怖心が欠けているという前提ありきでも、今のラエルは悲しみも憎しみも怒りも、何処かに投げ出してしまっている。
呪術か禁術に使用されただろう、この小包のこともそうだ。
ハーミットが隠そうとする訳を聞き出そうとレーテが最後まで食い下がってきたのに対して、ラエルは特に追求してこなかった。あっさりと「ハーミットが知ってほしくないって言うなら、従うわ」とまで言った。
ラエルの判断を「そうか」と流せるほど、ハーミットは鈍くない。
黒魔術の知識量で言えば三人の中ではラエルが一番だ。その彼女が、「憶えもない呪術に使用されただろう物」を魔術素人のハーミットに任せる理由はない。
いまのラエルには、他に注意を割く心の余裕が残っていないのだ。
(……でも俺は。彼女があの場で死を選んだところで、それを叶えてあげられるほど優しくはなれなかった)
ラエルの強がりを、ハーミットは気づかないふりをすることで見逃している。現に彼は「ひと言余計に言ってしまう」癖を何度も、意識して抑え込んでいた……だから。
「ねえ、ハーミット」
だから、不意をつくように降った少女の荒い息と声に、少年はどきりとした。
違和感を持たれぬよう、咄嗟に言葉を選ぶ。思うように調子が出ないのはハーミットも同じらしかった。
「どうしたの。ラエル」
「支えてくれてありがたいけれど。肩、痛いでしょう? 私、ひとりでも昇れるわよ?」
「はぁーっ……この中で一番重症の人が何を言っているんだか」
ハーミットはラエルの意見を却下して、登り続けた。
矢が掠めた肩は確かに痛みを発しているが、両腕ともにボロボロで受け身どころではないラエルを支えないことの方が問題だ。サンゲイザーが作ったらしいこの階段は、耐久度こそあっても階段と呼ぶには角度がきつめなのだから。
それよりもハーミットには、しなければならないことがある。金髪少年はレーテの背を目で追いながら、「いつもの調子」を再現した。
「しかし、ここを出た後も忙しくなりそうだよね――イシクブールに戻ったら予定通り、一緒に食事にでも行こうじゃないか。肉でもパンでもデザートでも構わない。外出に気が向かないなら俺が手ずからご馳走を用意しよう。俺は、割と真面目に挽回の機会がほしい。だから君の貴重な休日を、俺に恵んでくれないか?」
「……」
「四天王の俺が疲れてるんだから、君はもっと疲れてるに違いないだろう? なら浮島に戻る前に小休憩するぐらいは許されるだろう、って思ったんだけど。……どうかな?」
「……」
「全力を尽くした仕事の後は、頑張った自分を労うのを忘れちゃあいけないんだ。反省と後悔は、その後の人生全部でいくらでもすればいい」
沈んでいく思考を遮って、ハーミットは未来の話をする。ラエルの顔を見れないままで。
ラエルも、ハーミットの顔色を伺うことはしなかった。
「いいわよ。リリアンのお礼、ってことにしておくわね」
「……そ。それはまた別で用意するから、もう少し待っててほしいんだけどなぁ」
「そうなると私が貰いすぎることになっちゃうじゃない。これ以上の借りは作れないわよ」
二人とも顔を合わせないまま、相槌と半笑いで無理矢理に会話をつなげていく。
「ハーミット」
「うん」
「……全員で、無事に帰れると良いわね」
少年は、曖昧に微笑むことしかできなかった。
どれぐらい昇っただろうか。もしかすると、大した段数はなかったかもしれない。突き当たりに現れた壁をハーミットが解術して、ようやく光らしきものが目に入った。
天井は氷柱のように垂れ下がる鍾乳石。その中央に人がひとり通れるくらいの穴が空いていた。小部屋に降り注ぐ光の正体は月の明かりだった――その真下に、黒々と艶々と、蟲の亡骸が積みあげられている。
「これ、全部鎧蜘蛛かい?」
「そうみたいですね。凄い数だ……」
部屋の中心、穴の真下に高く積み上げられた蟲殻の残骸を前にして、ラエルは眉間にシワを寄せた。これまでに嫌と言うほど鎧蜘蛛を相手にしたからか、以前のような酷い感情の乱れは起きなかった。
遺骸の観察ができるほど平気なのかといえば、視線を逸らすくらいには平気じゃあないのも確かなのだが。
ラエルが壁を眺める間に、ハーミットとレーテは現場の検分を進めていく。蟲殻の砕け具合や切断面から、どのような武器を持った人物の仕業なのか突き止めようとしているようだ。
(……回線硝子越しに聞いた情報がそのままなら、ここはキーナさんたちが居た部屋で間違いないでしょうね)
小部屋の特徴が一致しており、後方で議論する二人が「剣」とか「槍」とか言っていることを踏まえ、さらに錬成術で塞ぎ直された壁を見つけたラエルは、ぼんやりと思考を進める。
(この部屋に誰も居ないってことは、あの三人は脱出したってこと?)
ラエルは、それとなく周囲を見回す。壁の方に物資が幾つか放置されていた。
脱出したのだとしても、決して余裕があったわけではなさそうだ。蟲殻の量を見ても分かる通り、ここに居た人物がシャトーを捕縛した瞬間まで闘い続けていたのだとすれば。
「ハーミット。その鎧蜘蛛って……二人がかり?」
「よく分かったね? 察しの通り、たまに剣で斬った痕が混ざってるよ。けど、上に重なってる個体の殆どは槍か棒で砕かれてるみたいだ。前者はエヴァン、後者はサンゲイザーだろう」
「槍の痕跡が新しくて多いのなら、この場に居ないキーナさんとエヴァンさんは何処に……本調子じゃないはずのサンゲイザーさんが止むを得ず闘ったのなら、二人をここから逃がした、ってことかしら」
ラエルは眉間を抑えながら壁面に目を凝らす。
こちらは今まで通ってきた道と違って、表面が周囲に馴染むように塞がれている。作られた壁の高さは、小柄なラエルが背伸びをしても余裕があるくらいだった。
「逃がして道を塞ぐ……なるほど。その手順なら想像がつく。ここを安全地帯にしていたところ、外から鎧蜘蛛がなだれ込んで来たのだろう――いまこの場に本人の姿がないことで、護衛の仕事を放り出して逃げたようにも見えてしまうがね……」
「ははは。蟲殻の山には居なかったことですし、無事は無事なんでしょう。レーテさんの予想が当たったなら、もう一度とっ捕まえるだけですよ」
にこりともせずに言って、ハーミットはラエルの隣に戻ってきた。
先程まで抱えていた布袋は鞄に仕舞ったらしく、代わりに折れた剣を手にする。
「さて、帰りは天井の隙間を利用するとして。出口が確保できたところで目標変更といきましょう。一先ず、遭難してるだろう二人と合流したいですね。自衛手段があるエヴァンはともかく、キーナくんのことが心配です」
「……二人とも、無事でいてくれるといいのだが」
レーテは静かに、拳を握る。
ハーミットはラエルに目配せすると、錬成壁に手を触れた。
三度目ともなれば慣れたもので、あっという間に崩れた壁の向こうから通路が現れる。付近に生き物の気配はしなかったが、ハーミットが一足先に廊下に出た。
廊下の右を見て、左を見る。
左は行き止まりになっていた。道の先があるのは右の方である。
ハーミットはもう一度右を見て、ゆっくりと閉口した。
暫く様子を観察して、ラエルとレーテに聞こえるように口を開く。
「……生きている蜘蛛がいる」
「!?」
「!!」
ラエルは一瞬足が竦んだが、身体は拒否しても感情は追いつかない。ハーミットに続いて覗いてみれば……確かに、そこには蜘蛛が居た。
居たのだが、その様子は想定と少し違った。ハーミットが言い淀んだ理由も、容易に理解できた。
ハーミットは、「鎧蜘蛛」ではなく「生きている蜘蛛がいる」と言ったのだ。
その言葉の通り、手彫りで作られた通路の中に「ぽつん」と白い蜘蛛がいた。
ラエルは、その毛並みが綿糸のようだと思った。それくらい、ノワールの毛のようにモコモコとしている。毛深さ故に爪の形すら鮮明には捉えられず、遠目には白い綿の塊に赤紫色のガラス玉を縫い付けた……ぬいぐるみのようにすら見えた。
「あの蜘蛛。さっきまで相手にしていた鎧蜘蛛より遥かに貧弱そうというか……腕で抱えられそうな大きさね。鎧蜘蛛の子ども? 母さんの子どもの子どもってことは……私のいとこ?」
「大混乱してるなあ落ち着いてラエル。それを言うなら甥か姪じゃないかな?」
「ラエルくん、ハーミットくん、混乱するのは仕方がないが耐えてくれないかい」
レーテは展開した結界を解くことなく錆色の目を細める。
魔族の目で見ても、白い蜘蛛である以上のことは分からないようだ。
「魔力量は少ないように見えるね。とてもじゃあないが、獣魔法を放ちそうな感じではない」
「状況からして新しい鎧蜘蛛が湧くとは考えづらいんだけど、眼の前に居るのは確かか……うーん。いちおう牙はあるみたいだけど、毒はあるんだろうか。敵意はないみたいだけど、蟲の思考が読めたら苦労はしないよな」
剣を構えたハーミットが一歩距離を詰めると、白い蜘蛛は驚いたのかその場で高く跳ね上がった。ばちんべちんばちんべちんと奇妙な音を立てながら鞠の如く壁のあちこちに跳ねて貼り付いて、最終的に適当な壁面に落ち着く。
白い蜘蛛はガラス玉のような赤紫の目をせっせと足で磨くと、その足を腕のようにブンブンと振った。
レーテとラエルは咄嗟に身構えたものの……何も起きない。腕を振る蜘蛛がいるだけだった。
「「「…………」」」
ラエルたちが黙っていると白い蜘蛛はぴょんと跳ねて、曲がり角の奥へと消えた。
暫くすると戻ってきて、同じように腕を振る。そして再び、曲がり角の向こうに消える。
それでもラエルたちは動かなかった。白い蜘蛛はもう一度戻ってきたが、今度は片足だけを持ち上げて通路の先を指し示した。どうやら二度も三度も足を振るのは疲れた、ということらしい。
敵意はないようだと判断して、三人は顔を見合わせる。
「様子がおかしいわね」
「私たちを誘導しようとしてるのかな?」
「逆の道は行き止まりだし、着いて行ってみようか」
「……そうね。そうしましょう」
白い蜘蛛は足を振る。
ラエルは僅かな逡巡を振り払って、足を進めた。
白い蜘蛛は、まるで道でも教えるように三人を先導した。
手彫りの壁面が延々と続く廊下は、三人が想定するよりも入り組んだ作りになっていた。
道案内の蜘蛛は道を跳ね、時折人気のない小部屋の前を通ると脚を止めて、ラエルたちにその中を確認するよう促した。
殆どの小部屋には何もなかったが、その内数か所で人が住んでいた痕跡と、白骨化した遺体が見つかった。装備や装飾を検分する限り、この村の住民や渥地の酸土の構成員だろうと推測される。
手帳にマッピングをしていたハーミットが、三箇所目になる印を書き込んだ。
「……結構歩いた気がするけど、回り道しているのかしら」
「どうだろう。記録している限り、同じ道を何度も歩いているわけじゃあないみたいだし。目的地には近づいてるんだと思うけど……正面が行き止まりになったか。次は左、っと」
少年少女のやり取りを聞きながら、レーテは不安そうに視線を落とす。
ここまでの床がやんわりと傾斜を重ねていることにレーテは気がついていた。蜘蛛の後を追うようになってからずっと、三人は坂道を上り続けているのだと。
(私たちは今、祭壇を囲む岩壁の内側に居るのだろう。道のりが蛇行しているから知覚し辛いが、これは……弧を描くように、上部へ向かっている……?)
空間把握に長けるレーテはそれとなく、白い蜘蛛が何処へ向かっているのか察していた。
白い蜘蛛は道を曲がり、三人も後へ続いた。そうして、通路を塞ぐようにして晶砂岩製の扉が現れた。白い蜘蛛は扉と岩壁の隙間を抜けて姿を消した。
少し待っても戻ってこない。……ということは、ここが目的地なのだろう。
ハーミットは手帳に記録をつけて畳む。
ラエルとレーテは思い当たる節から苦い顔をした。
扉に施されている彫刻は鎧蜘蛛と白木聖樹の意匠だった。
白木聖樹の部分はバクハイムにあった石碑と同じような柄であり、鎧蜘蛛の意匠は道中の結界に使用されていたものと近い。
ハーミットが重い足取りで、扉に手をかける。
岩の扉は重くも軽くもなく、すんなりと彼らを受け入れて――三人の視線は、石室の床に座り込み見慣れない姿の子どもと遊ぶキーナと、なんだか落ち着かない様子で正座しているエヴァンの様子とを捉えた。
家具もない部屋の中央でカードを広げて遊ぶ二人の周囲は、しかし異様な有り様だった。近づかずとも彼らの背景になっている半透明な物体が、巨大な蟲の脱皮殻であると分かる。
蟲の脱皮殻の横で遊戯に勤しむ子どもたちと、妙に緊張を隠さない衛兵……あまりに異様な光景に声を掛けることもできず絶句した三名の内、復帰が早かったハーミットが質問のために手をあげた。
無事だったという安堵半分、驚きに声が上ずったのは許してほしいと思った。
「え、えぇっとぉ。何をしているんだ、君たち?」
エヴァンが立ち上がり、キーナがこちらに気がつく。
振り返った灰髪の少年は右目を閉じていて――カード勝負をしていたもう一人の子どもの顔は……鏡を貼ったように銀色の、まっさらであった。




