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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
6章 黒魔術士は科を織る
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313枚目 「降り注ぐもの」


 骨守の本村、その奥地に秘められた祭壇に砂岩の花弁が咲いている。

 鎧蜘蛛の群れが動きを止めたのを見て、白魔術士が黒布のツインテールを揺らした。


 後方の結界術使いは無傷であり、いま駆け寄ってくる昔馴染みと糸術使いもどうやら無事である。何処からか降下してきた伝書蝙蝠を風魔術でフォローして受けとめ、ツァツリーは一先ず斧棍を地につける。


「……ふぅーっ……」


 仕事がひとつ片付いたのか。はたまた次の段階にでも移ったのか。


 できれば前者であって欲しいが、残念ながら四天王強欲と黒髪の少女の姿が見えない。二人とも反り立った花弁のような岩肌の向こう、祭壇付近に未だ留まっているらしい。


 彼らが降りてこない理由は頭上にそびえる「モノ」の様子から明らかだが、ツァツリーには眼の前の巨岩を砕く腕力が備わっていなかった。

 蟲殻を砕く斧棍さばきは相手の「点」を見極められたからこそ成せたのであって、ツァツリー個人の筋力や武具の能力がそれほど高いからではないのだ。


(……歯がゆい)


 場の魔力が濃すぎて回線硝子(ラインビードロ)が誤受信と誤送信を繰り返す。胸元の変換器を畳んで頬の汗を拭ったツァツリーは、疲れを隠そうと背筋を伸ばした。


 声が届かずとも、次に出る指示は恐らく決まっている。


 駆け寄ってきた昔馴染みが抱えているのは息も絶え絶えな糸術使い。そして、出口に控えているのは非戦闘員の一般人。浅葱色の眼が物言う前にツァツリーは口を開いた。


退避命令(・・・・)が出た。そうですね?」


 ジェムシは不意を突かれたように顔を歪めると、曖昧に首を振った。

 ということは十中八九、四天王の口から出た指示なのだろう。


「上司の命令には従わねばなりません。私たちも。こういう場所で長く()つ身体ではありませんし」

「事前に決めてた合図がまだ無いだろうが」

「……貴方が言う合図というのは。今しがた落下してくる魔石のことですか?」


 かつーん! ぼふんっ!


 地味な音と共に、四人の眼の前で価値不明の魔石が火を纏いながら砕け散った。


 見上げてみれば岩の端から顔を覗かせて、針鼠が赤手袋の手を振っている。黒髪の少女の手には魔法瓶があり、捕縛作戦は成功に終わったのだと理解できた。距離があって見えづらいが、針鼠はその後も身振り手振りでハンドサインをしている。


 ハンドサインの内容も、赤の魔石も、どちらも事前に決めていた「退却の合図」だった。

 だからこそ、岩の花弁から降りてこようとしない少年少女の意図も察する。


 彼らは祭壇に近づいていられないツァツリーとジェムシに非戦闘員を任せて、次代の誕生を見届けるつもりなのだ――この村の悲しい連鎖に、何かしら落とし所を見つけようとしているのだ。


 指示の中には、退避と共に捜索の意も含まれていた。最後まで姿が見えなかった灰髪の少年と、彼と共に居るはずの二人の安否が気になって仕方がないのだろう。


 腕の中の伝書蝙蝠は、障壁系の獣魔法を使用して身を守ったらしいが、魔法を発動したまま意識を失っていた。……このまま連れて行くしかないだろう。


 ツァツリーは無表情のまま、ジェムシの方へ視線を戻す。


「この通り指示が出ていますし捕縛も終了しているようです。私たちがこの場で晶化しようものなら全てが台無しになりかねません。これ以上の脅威がないというなら後は任せましょう」

「それは、そうだろうけどよ」

「ジェムシ。私には怪我人の治療を後回しにする理由がありません」

「…………」


 ツァツリーの言葉に苦い顔をしながら、ジェムシはトカの身体を抱え直した。螺鈿武具(ミスリアルム)を背に収め、砕けた左腕を庇うようにする。ツァツリーは支給されていた回復用魔力補給瓶(ポーション)をトカの口に注ぎながら、ここまで何も口を挟んでこなかった結界術使いの方を振り返った。


 スカルペッロ家――骨守のレーテにとって、今回の一件はどう受け止められただろうか。


 信仰の破壊により、縋るものを失った故の暴走もしくは放心。ツァツリーはそのような反応を想像して赤錆の視線を観察した。心のケアは専門外だが、治療者として見て見ぬふりをするわけにはいかないと思いながら。


 レーテは……疲れや焦燥こそあれ、絶望している様子ではなかった。


 ツァツリーは黒曜の瞳を僅かに見開く。素直に感心した。

 この状況下で自らの役割を忘れることなく、ただ退路を守るという重要な一点をこなした男に心の中で称賛を送った。


 ただひとつ気になることがあるとすれば、レーテの視線がツァツリーやジェムシやトカ、ノワールを飛び越え……地面に落ちたばかりの屑石を前に、目を丸くして息を呑んでいたということである。


 孫や親族の安否を気にするなら、彼の気配がした右上の岩壁に目が行くだろう。

 祭壇周辺に残った少年少女を気にかけるなら祭壇の方角を向くはずである。


 しかし実際はそのどちらでもない。既に砕けた信号の痕跡を観察している様子でも、ない。


 結界術使いの思考は、何処か宙に浮かんでいるようにすら。


「――レーテさん。思うところもあるでしょうが。私たちと外へ出ましょう」

「あ。あぁ、分かった」


 ツァツリーの声掛けにレーテは短い言葉で肯定する。頷くことはしなかった。

 代わりに何かを必死に思案している。レーテの喉のあちこちには、指型の痣ができている。


「……」


 ツァツリーは口を開きかけるも、追求を避けた。

 ともかく、この場から退避することが優先である。


 トカを抱えたジェムシが走り、ノワールを抱えたツァツリーとレーテがその後に続く。幾つも罠を解除して進んできた道を戻りながら、残った罠を避けながら、レーテの足だけがどんどん重くなる。


 無言のまま眉間にシワを寄せ、赤錆色の目が歪められた。


 骨守の結界術使いは、遂に足を止める。

 あと何度か角を曲がれば外だと分かった上で、足を止めた。


 結界術使いは、先を行く二人の方角へと指を振った。レーテが出口に施していた結界を解術したと分かったツァツリーとジェムシは咄嗟に振り向く。


 レーテは焦燥混じりの顔に笑みを作った。

 彼のつま先は、既に出口の方を向いていなかった。


「申し訳ないが、私は祭壇に戻る。まだ、やることが残っているようだ」

「……!」

「っおい、この期に及んでなにを」

「――杞憂ならそれでいい。君たちは足を止めるな、行きなさい。早く!!」


 ツァツリーは、その切羽詰まった声に逆らえなかった。嫌な予感がした。


 ジェムシがレーテの言葉に不満そうにしている内に、ツァツリーは足を早める。白魔術士の後を慌てて追う内に、ジェムシの足も早まっていった。


 レーテとの距離が開き、ついに視界から消える。


 引き返す選択肢は既に無かった。

 二人は足を止めることなく出口へ向かう選択をした。


 息を吸い込めば吸い込むほど、外で起きている異常を思い知らされる。


 戦場を想起するような匂いが、鼻を衝く。


 月明かりが弱まり、白み始めた空が見えて――岩と土の境目に、針鼠のような影を伸ばした獣人がひとり倒れている。


「……っ!!」

「っ、クリザンテイム!?」


 退路を護っていたはずの獣人は得物を手放し、無防備に突っ伏していた。

 その大きな背が何を受けたのか。夥しい数の痕跡を前に全てを悟った白髪の青年は、怒りと焦りで顔を真赤にする。


「っ、なんで、どうしてそうなる、あいつ(・・・)っ……!!」

「ジェムシリカ!!」


 白魔術士はクリザンテイムをひと目見た瞬間から手袋を黒毛の背に押し当てて魔力を流している。黒曜の目はクリザンテイムの状態を見透かし、彼が隠した人物の存在も捉えていた。


 息も絶え絶えな、その容態も。


「――商人が。彼の下敷き(・・・)になっています」

「はあ!?」

「……血も魔力も足りていない。その上で肋骨と腰と片足が折れています。無理に動かしてはいけません。ジェムシはまず、獣人さんの義肢をソケットごと外してください」

「っ馬鹿かお前、俺は今すぐにでも――」

「駄目です。行かせません。彼らの治療には貴方とトカさんも必要になります」


 ツァツリーは胸元から魔力変換器を取り出すと起動させる。


 大鎧蜘蛛が捕縛されたとはいえ土地の魔力濃度は依然高いままだ。その気になればいくらでも魔力の融通が効くだろうと目処をつける。


 振り返ると、ジェムシは渋い顔をしながらも指示されたままにクリザンテイムの義肢と、自らの義足を外し終わっていた。


 ツァツリーはトカとノワールを傍に寝かせて、次にジェムシの義腕へ手を伸ばす――木製の右腕は、引き留めるようにツァツリーの手を掴み、引き剥がした。


 ツァツリーは浅葱色の視線を一瞥するも、ジェムシの抵抗を意にも介さず割れた左腕の方から取り外しにかかった。白魔術士に注がれる視線の種類は、呆れ混じりの瞠目だった。


 黒い右手は固く握りしめられ、震えている。


 ツァツリーは義肢を外す間、何も言わなかった。ジェムシが言わんとすることは理解できていた。


 震える右腕がソケットごと外されて動かなくなる。

 血溜まりから離れた地面に、傷だらけの義腕が転がった。


「貴方が加わらない場合。対価に余りが出ます。ついでと思えば安いものでしょう?」

「……お前、見捨てるって選択肢は持ってねぇの?」

「ありません。あってはいけない。私はガルバ・ツァツリー。ですが、それ以前に……貴方も分かっているでしょう」


 黒麦の肌に魔力のゆらぎが浮かび上がる。

 肌を覆うように這うそれは、周囲からかき集めたありったけの燃料だ。


「私は。幸せになるために、白魔術士になったのですから」

「……それは。あんたの平穏を代償にしてまで、やることなのか?」

「必要ならば()べましょう」


 ツァツリーは間髪入れず答えた。

 黒い瞳を僅かに歪める。どこか寂しそうで――諦めのこもった、執念を灯した目で。


「時が来た。というだけの話ですよ」


 ツァツリーは懐からアンプルを取り出すと、自らの太ももに突き刺し投与する。

 黒曜石に似た真黒の目は、治療に集中するために解術(・・)され、元の色に戻った。


 目蓋から溢れたのは、磨いた鉄に似た虹彩。


「大丈夫。死なせない」


 自らに言い聞かせるように、ツァツリーは言った。

 ジェムシは光にのまれて、気を失った。







 結界術使いは歯を食いしばる。手汗で滑る指を気にしながら踵を返した。


 角を曲がったツァツリーとジェムシは、引き返すことなく外へ向かった。

 微かに叫ぶ声が耳に入る。「出口でも何かが起きている」ということだ。


(蚤の市の一件から過敏になっていることは認めよう。だが)


 いつからだろうか。

 レーテは今回の一連の流れに、重大な見落としがあるように感じていた。


「ラエルくん、ハーミットくん――私が戻るまで、無事でいてくれ……!」


 仄かに光る手彫りの壁から、バクハイムで目にした粘菌と似た気配がする。

 肌を刺す魔力は薄まるどころか、濃度を増している。







「……これで、一緒に来たメンバーは全員退避したと思うよ。ノワールも含めてね」


 鼠顔を外し、上気した(ひたい)を拭う。赤手袋を外した手でラエルに触れたまま、浮かない表情を隠さずにハーミットは言う。


「現在地が掴めていない三人のことも心配だけど、無事を祈るしかないな」

「そう、ね」


 ラエルは手にした魔法瓶を前に答えた。


 捕縛した母親の姿をどう受け止めればいいのか分からないようだ。緊張が切れて余裕が生まれたからこその迷いである。こればかりは時間が解決するだろうとハーミットは判断した。


「気分が悪いなら俺が預かっておくよ?」

「いいえ。いい。私が決めたんだから、正面から受け止めなきゃ」

「決めたって。……それを言うなら、俺も共犯だ」


 血中毒を懸念して触れていた手をハーミットが離すと、ラエルは眉根を寄せたまま不満そうにした。高魔力地帯から引き剥がされた大鎧蜘蛛(シャトー)は、瓶の中でうめき声を漏らすばかりで意思疎通ができる状況ではない。


 ラエルたちがした選択は、それでも(・・・・)彼女を生かすということだ。

 その意味が分からないほど、ラエルも子どもではない。


「無理に励ましてくれなくていいわよ。貴方の言葉って、麻酔みたいなものでしょう?」

「否定する言葉がないな」

「ずっと戦闘続きで疲れているのよ」

「……それはそうだ。まあ、普通はそうだ」


 いつの間にか黄土色のコートの袖を引き抜くと、ハーミットは格好つけな所作をするわけでもなくラエルの背にかける。少年の体格にしてはオーバーサイズである黄土色は、少女のことをすっぽりと覆い隠してみせた。


「ハーミット?」

「俺さ。魔術が使えない分、できる限り身体を鍛えてるんだよね。魔族と打ち合ったり、稽古つけてもらったりしながらね。それで、気温と湿度の管理が行き届いた空間でなら、絶食してても三日くらいは不眠不休で動けるんだけど……」


 ラエルは暗くなった視界に身を捩り、顔を出す。

 コートを振り払う気力もないまま、首を傾げる。


 ハーミットはラエルの様子を見て。何処か、もどかしそうな顔をした。


「うん。今いる此処みたいに涼しい場所なら、俺はどう頑張っても君より体力が余るんだ。護衛には必須の技能なんだけど、精神的には良いことばかりでもない……んだけどね」


 残った問題は「孵化の気配がない卵床をどうするか」、それだけのはずだ。

 それなのに何故この四天王は、一度収めた剣を抜いているんだろうか?


「睡眠負債と人命が天秤にのったとして、強欲が取る皿は決まっている」


 ハーミットは身軽になった身体でラエルの右手側に回り込んだ。

 その方角には、カフスの爆発で風穴が空いた天井が見える。


 程なく血の匂いがして、金髪少年の腕から鮮血が灰刃を伝った。


「――()()()()()


 少年の独り言は、その後の剣戟にかき消された。


 ラエルは初撃を認識できなかった。意図しない方向から攻撃された現実に、目を疑った。それほどに、視界の端を舞った物が信じられなかった。


 細い、木製の串である。


 数日前に鳥肉を刺していた串だ。それが、僅かに魔力を纏って飛来してくる。数が分からない。何本も何十本も何百本も――雨よりも、静かに。


 流星を模すように、暗闇を割いて夥しい数の矢がラエルたちを目掛けて。


(え、そんな。どうして)


 (やじり)(かぶら)もついていない、音のない()


(私たちの中で、矢を扱う人なんて、ひとりしか)


 殺意が。降ってくる。


「ラエル!! コートを盾に伏せろ!! 狙いは(・・・)君と(・・)魔法瓶だ(・・・・)!!」

「――――っ!!」


 ラエルは咄嗟にコートの内側に魔法瓶を仕舞い込み、頭を庇った。


 思考を回す。明らかにハーミット一人で捌き切るには矢の数が多すぎる。


 焼きついた光景が目の前で再生される。ハーミット自身の意思で行われた自傷を思い出した。


 落ちた矢に染みた血の殆どは鮮血である。つまり、ハーミットの腕から滴ったものだ。受けるしかできない猛攻に耐えられなくなる瞬間が遠からず来ることは、目にも明らかだった。


 ラエルは。()が、この状況で矢を射た意図を考える。


 直前に自傷したハーミットの意図は何だ? それに、本人が目に見える距離にいるわけでもないのに降り注ぐこの矢は、どうしてラエルたちを狙うことができるのだろうか?


 まず。ハーミットは自身の流血により、何かをしようとしている。これは間違いない。

 ラエルは石工の町で口に含んだ劇薬のことを思い出す。保存料の雑味で誤魔化されていたものの確実に()()()がしたことを。


 生身で触れるだけで、あらゆる魔法と魔術を無効化する無魔法。

 ハーミット・ヘッジホッグの、体質。


(まさか、『魔法の(マジック)無効化(キャンセル)』が血にも適応されるとして――矢に付与された魔術を無効化しようとしているのだとすれば)


 矢に、無効化しなければ不味い魔術が付与された可能性を危惧している?


 ラエルは、魔導王国浮島で喧嘩をした弓使いが『正鵠に(ホ―)帰巣する(ミング)』を使っていたことを思い出した。

 しかし、魔族に比べて魔力量が乏しいはずの()に、あの荒業で燃費の悪い魔術を扱うことができるだろうか?


(確実に当たる保証。特異体質で打ち消さなければならないほど面倒な魔術……呪い?)


 そこまで考えて、ふと出立前のことが脳裏に過ぎった。


 ――あの時。じゃれつく素振りの中でラエルの血を得ていたのであれば。

 あの妙な痛みの理由が歯を立てられたことに起因するのだとすれば?


 魔導王国浮島で起きた事件のように大規模な仕掛けを要さずとも、対象の血を触媒に捨て身の呪いをかけること自体は不可能ではない。


(魔術の対象が一人で、選択肢に禁術を含むなら――触媒は、血が一滴あればいい)


 魔力量に左右されず尚かつ獣人にも扱えるとなれば、禁術の『鉄火(テッカ)』が真っ先に思い浮かぶ。もしそうなら、傷は術者にも跳ね返る(・・・・)


 大鎧蜘蛛(シャトー)が、(いみな)を辿ってキーナを呪ったのと同じように。


()は出立前に弦を張っていたけれど、あれは魔弓に使うような魔力糸の弦とは違っていた。草木を撚ったか、何かの獣毛を利用した弦で間違いないはず)


 降り注ぐ矢を引く大弓と弦が、魔力と一切関係しない武具であるならば?


(魔弓じゃないなら――腕を奪えば止められる!!)


 ラエルは咄嗟にコートの下から右腕を外に出した。


 案の定、魔術を付与された弓の幾つかが急角度に軌道を変えてハーミットの剣をすり抜け――少女の利き腕は一瞬で、針の(むしろ)になった。


「……っぅう……ぁあ!!」


 腕を貫かれた痛みに喘ぐより、冴えた思考が喉を貫いて言葉が出ない。


(ハーミットは、こうなることを予想していたの?)


 ラエルは答えにたどり着くことができない。身体を貫いた痛みと痺れで、それどころではなかった。


 禁術のみならず毒をも仕掛けていたらしいと、遅れて悟る。痺れと震えで魔法瓶を取り落とす。転がった母親を追いかけた左腕までもが射抜かれる。


 けれどこれで、ラエルの負傷を転写した弓引きの腕は動かなくなる。

 集中に頼るしかない魔術の発現が、新たに組み上げられることもないだろう。


 問題は。この矢の飛来が遠距離からのものであり――降り注ぐ矢が止まるまで、まだかかるだろう、ということだった。


「っ――!!」


 ほとんど全ての矢を叩き落として、何かを察したハーミットが険しい顔で振り返る。


 黒髪の少女を追い越した琥珀の瞳は、別のことに気を取られた。

 ラエルからは、ハーミットの琥珀色の目が見開かれ、瞳孔が締まったことしか分からなかった。


 そして音もなく忍び寄った石の矢尻が、ハーミットの肩を貫く。その勢いのまま、ラエルの眼前に容赦なく迫る。


 それが最後だった。

 石の矢尻(やじり)を括りつけた一矢は、確かに狙い通りの獲物を捉えた。


「……」

『……』


 暫しの沈黙と、不器用に歪められた唇があった。

 蟲の背から身体を剥がした女性が、(おの)が身を盾に呪いを受け止めた後だった。






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