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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
6章 黒魔術士は科を織る
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312枚目 「正しい選択」


 ラエルが気を失っていられたのはたった三秒で、その後は息をつく間もなかった。

 人の形を残した女性の手指が首を回る。目が覚めたのは、自らの両足が浮いたあとだった。


 息を付く間もないというより、息をする暇も与えてもらえなかった。


 魔術を無力化する際に有効な手段の一つとして、術者の喉を破壊するというものがある。熱い空気で火傷させるも、砂で呼吸を(さまた)げるも、物理的に捻り潰すも。こうして距離を詰められてしまえば、相手の思うまま。


(……本体は、祭壇の中央を、離れない)


 首が締まるのが分かる。息が詰まるより先に、骨が折れるか意識が飛ぶか。

 大鎧蜘蛛の腕に爪を立てながら、ラエルは眼を逸らさない。


(眼の前に、いるのが。『身代わり(サブスター)』、なら)


 本体の見分け方は、ハーミットやジェムシの立ち回りを観察して、分かっていた。


 爪先にぬるりとした冷たい食感が這う。透明だ(・・・)


 ラエルは腹の底から声を吐き出した。


「――っ、やって!!」

「あぁ!!」


 『身代わり(サブスター)』の大鎧蜘蛛(シャトー)が、声の方向に振り向く。


 次の瞬間には頭の天辺から指先まで「ずんばら」に容赦なく切り刻まれてその場に崩れ落ちた。黄土色のコートを翻し、ハーミット・ヘッジホッグは剣を振るう。


 続けて、本体の大鎧蜘蛛(シャトー)が放った火矢が叩き落とされた。刃が短くなった割に迷いのない剣筋だ。どうやら小回りが効く今の方が性に合っているらしい。


 追撃が失敗に終わって、大鎧蜘蛛(シャトー)は何かを叫びながら頭や身体を掻きむしっている。詠唱のペースが早まる一方でラエルたちを狙う精度は落ちていた。


 ハーミットは隙を見てラエルの身体を引き起こす。

 ラエルは服についた砂を払う間もなく、喉の具合と魔力の流れを確かめた。


(大丈夫。まだいけそう)


 鈍い痛みはあるが、発声と魔術発現に支障はなさそうだ。


「ハーミット、父さんが、下に」

「三人まとめてジェムシさんに任せてある。心配しなくていい」

「……ありがとう。でも、後で謝らなきゃ」

「ジェムシさんに? んー。お互い様のような気もするんだけどなー」

「?」


 気になるぼやきがあった気がするが、ラエルには聞き返す余裕がなかった。追求を避けるためか、ハーミットも話の筋を戻す。


「シャトーさんとは、少しは話せた?」

「いいえ。意識があるかも怪しいのに隙が全く無いの。近づけもしない。『点火(アンツ)』で騙し騙し凌いでいたけれど、そろそろ上手く燃えなくなっちゃって」

「……それでも捕縛のためには接近するしかない、か。厄介だね。隙を作るために、隙を作る必要がある」


 ハーミットは言いながら、頭の中で使えそうな布石を数える。ジェムシとトカが退場した以上、頼れる先はそう多くない。


 しかしラエルとトカが時間を稼いでくれたお陰で、使える仕掛けは残っている。


(事前に検証できたわけでもない、一か八かの案が、ひとつだけ)


「今から言う手順通りに動ける?」

「私にできることなら、やるわよ」


 ラエルがハーミットの指示を聞く。鼠顔の下で籠もった声を聞き逃さないようにする。


 最後まで聴いた後、ラエルは眉根を寄せた。指示の内容を無言で咀嚼する。

 冷や汗をもって返答としたかったが、そうするわけにもいかない。


「……貴方、私の魔術の精度は知ってるわよね。本気で言ってるの?」

「うん。俺はこう見えて丈夫だし、ラエルの事は信じてるからね」


 ラエルはハーミットの言い分に対し、非常に嫌そうに顔を歪めた。


 ハーミットが扱う言葉が信用に乏しいことも、ラエルが調子に乗ることすらも計算づくであろうことも全てが腹ただしい。腹ただしいがそれ以上に、頼られて嬉しい気持ちが(まさ)ってしまう自分が、心底、嫌になる。そして、悪い気分がしないのも。


 手のひらの上だと思い知らされる。


(最悪だわ)


 それなのに。


「手一杯になるから、援護は期待しないで頂戴」


 にやける顔が、抑えられない。


「――『旋風(ワールウィンド)』!!」


 詠唱と共に、ラエルが半身になって左腕を前に出す。未熟な人族の風魔術が、一拍の遅れを伴って狙い通りの位置に発現した。


 大鎧蜘蛛が座する、その真下に。


『…………』


 シャトーは、ラエルの魔術発現に無反応だった。なぜ自分の周囲につむじ風(・・・・)が起こされたのか、理由を特定できないようだった。

 その証拠に、大鎧蜘蛛(シャトー)は一段と強力な『旋風(ワールウィンド)』を発現させラエルの魔術を力技で解術してみせた。小賢しい企みが、この程度かと。


 からん、と。瓶が落ちる音がする。

 ラエルは口に含んだ魔力供給液(ポーション)を飲み込んだ。


「――『旋風(ワールウィンド)』!!」


 ラエルは、力強く詠唱を繰り返す(・・・・)

 より、強く。まるで魔族が使う風魔術を再現(・・)するように。


 再び、瓶が落ちる音が響いた。

 彼女にとって「最後のひと瓶」。


「――『旋風(ワールウィンド)』!!」


 三度目の風が起きる。大鎧蜘蛛の身体を浮かすこともできない、か弱い風が吹く。


 散々(ほこり)を立てた挙げ句、ラエルは一度もシャトーの魔術発現に競り勝つことができなかった。

 身体に負担がかかる魔術を三度も連続して使った挙げ句、三度とも満足できる発現とは言えなかった。


「……あはは、なんだぁ」


 全てをやりきったラエルは、呆れと共に口の端を歪める。


 鼠頭とコートと手袋と靴を脱いで鞄を下ろし、イヤーカフに劇薬を塗りつける。

 たったそれだけで「魔力感知されない」条件を満たしたハーミットが、音を殺して歩いていくのを見送って。


(母さんに見えていたのは。魔力(・・)だけ(・・)、だったのね)


 『旋風(ワールウィンド)』の魔力が目眩ましになってしまうほど――大鎧蜘蛛(シャトー)が魔力感知に頼っているなどと。ハーミット以外の誰が想像できただろう。


 黒い鎧の虫顎に、「青い刀身のナイフ」が突き立てられた。


 ラエルの右肩にあったはずの支給ナイフは、ハーミットが所持していた同じ柄頭の短剣と入れ替えられた後であり――螺鈿武具(ミスリアルム)は、金髪少年の手を離れた途端に魔力(あおいろ)の輝きを取り戻した。


 大鎧蜘蛛(シャトー)にしてみれば、音もなく下方から刺されたことになる。


 振り向きざまに蟲爪が拾った音で、たったいま気配を隠さなくなったハーミットの存在が認識された。だが、その注目も長くは続かなかった。


「――この手が(ことごと)く撃ち抜くのは!! 殺すべきもの、壊すべきもの!!」


 間髪入れず、ラエルは声を張る。

 魔術士にあるまじき「口上」を(のたま)う。


 その教えは、少女に染み付いた呪いである。

 恐怖を持たない少女が、人間らしくあれと願われた痕跡。


壊れろ(・・・)私の(・・)ミスリ(・・・)アルム(・・・)!!」


 シャトーは、ラエルに黒魔術を教えた師だ。

 次の詠唱で何をするつもりなのかを知っている彼女には、ラエルを無視する選択肢が存在しなかった。


 ハーミットを追いかけていた蜘蛛頭と、シャトーの頭部が逆を(・・)向く。

 二重核(ダブルスロット)を構えたラエルには、母親の注意がこちらへ向いたのがはっきりと分かった。


 ラエルは笑う。狙いは一点。

 ハーミットが大鎧蜘蛛の蟲殻に突き立てた、青いナイフ(・・・・・)


「――『霹靂(フルミネ―ト)』!!!!」







 放たれたのは僅かな閃き(・・)。衝撃を伴うとは思えない、赤く未熟な細い雷撃。

 しかし侮るなかれ。小さくとも、弱くとも、どの魔術系統より(はや)いのが――雷系統魔術である。







 ――壊すつもりで放たれた閃きがナイフに届く。


 そして柄に紐づけられていたトカの(・・・)魔力糸(・・・)()引火(・・)して(・・)、雷撃は遥か彼方へと飛んでいった。


 同時に天井の方でも動きがある。カフスを魔力糸に留めていた伝書蝙蝠(・・・・)が急角度で下方へと滑空したのだ。


 天井に張り巡らされた魔力糸の一角、事前の打ち合わせで一番薄いと判断されたその壁に接着するように、夥しい数のカフス(・・・)が縫い止められていた。

 魔術を籠めることができる魔法具であり装身具。一つ一つは小さく、軽い。足場さえ確保できれば、伝書蝙蝠がそれらを設置できるほどに小さく、軽い。


 獣魔法が破られる前提で組まれた作戦である。あれで出番が終わったなど、とんでもない――伝書蝙蝠(ノワール)は、隠密での工作という大仕事をやり遂げたのだ。


 ――黒飴の眼の前で、閃光が奔り抜ける。


 合流時にラエルのナイフに仕込まれていたトカの魔力糸が、壁のカフスの群れへ雷撃を伝導させる。見たこともない数の、様々な魔術を込められたカフス(・・・)が、魔力糸を焼く『霹靂(フルミネ―ト)』の余波に巻き込まれた。


 鍾乳のような脆い岩の天井のあちこちが星のように弾けたかと思えば、耳を劈く轟音と共に光も差し込まない暗いばかりだった岩肌の影を軒並み追い出すほど鮮やかに照らし尽くす――大量のカフスに籠められた魔術が、鍾乳の天井を発破(・・)ぶち抜いた(・・・・・)


 爆音と同時に、洞窟内が大きく揺れる。


 ラエルは、今にも崩れそうな膝を支える。


 手元にあった魔力供給瓶(ポーション)は使い切った。

 高火力の雷魔術を放つなど、そんな魔力は残っていなかった。


 それでも雷魔術を狙った場所に当てる方法を黒髪の少女は知っていた。


 内在魔力の半分を支払えば発現できる――諸刃の剣にも似た、慣れ親しんだ雷魔術を。


(ハーミットは「魔術を使って、気を引いてほしい」としか、言わなかったけど)


 母親の気を引くならこれしかないと思った。

 ラエルはそれしか、知らなかった。


「あは」


 最後の力を振り絞って、笑う。


 黒髪の少女は、与えられた役目を果たした。

 ラエルは霞んだ視界で、魔力に目を焼かれて呆然とする母親の姿を捉える。


 瞳は黒く塗りつぶされていたが――大鎧蜘蛛(シャトー)は、ラエルのことを見ていた。


(こっち)を見たわね」


 ――灰色の剣が、音もなく振り抜かれた。


 策に嵌められたと気づいた大鎧蜘蛛(シャトー)が体制を立て直すよりも速く、人の形を残していた細い両腕から鮮血が上がった。


 右腕と、左腕。腱を断たれた手が、次の魔術を編めなくなって垂れ下がる。


 ラエルの隣。駆動を突き上げた際に生成された棘岩に、脱ぎ捨てられた黄土色のコートがある。魔力を捜した蟲の目は咄嗟に魔力源を探し、そちら(・・・)()釣られた。


 大鎧蜘蛛(シャトー)が再び明後日の方角に目を向けた時、金髪の少年は背後をとっていた。伝書蝙蝠の代わりに懐に収めていた――今は後ろ手に隠し持ち続けていた瓶を――手に構える。


 切り裂いた両腕が再生するより速く、魔術が暴発するより先に、無防備になった青白い背中に魔法瓶(マジックポッド)が叩きつけられる。


 その背中に、蟲の爪は届かない。


 接近に気付けなかった大鎧蜘蛛(シャトー)は、死角からの奇襲に成すすべもなかった。


『ぁあ――あああァァ――――ッ!!』


 しゅーっ、ぽんっ!


 激戦を制したとは思えないなんとも気の抜ける音と共に、大鎧蜘蛛(シャトー)は祭壇から姿を消した。後には、魔法瓶を手にしたハーミットの姿だけがあった。







 祭壇が母を失った途端、洞窟内に蔓延っていた蟲の足音は消えた。


 数秒の後、斧を地につける音が響く。息も絶え絶えに疲弊を隠さない息遣いが響く。

 大仕事を片付けた伝書蝙蝠が翼を庇いながら何とかツァツリーの元に辿り着いたことを同調(リンク)を使って知らせてきた。


 トカとジェムシも無事に合流した、とのことである。


「……ハーミット」

「……うん」


 この場の全員が、生き残った。

 やれることは、やりきったはずだ。


 しかし彼らは誰一人、安堵の表情を浮かべはしなかった。


 瓶の中で、鎧蜘蛛の背中に同化した捕縛対象が(うめ)いている。

 ラエルとハーミットは険しい表情のまま、尚も孵化の兆しを見せない卵床(・・)を見上げた。







 同時刻。グリッタはようやく剣を下ろした。

 祭壇入り口を狙って襲いかかってくる蟲が、ぱったりと姿を消したのだ。


 日の出が近いからなのか、祭壇の間での戦闘が激化しているからなのか、それとも他に理由があるのか。外にいるグリッタたちには把握できなかったが……先程の揺れと蟲の慌てようを鑑みるに「カフス爆発で目潰し」のプランが成功したのだろう。


(ああ……大赤字にもほどがある。今回の件で一体どれだけの商品(カフス)を失ったやら)


 痛みと流血と鎧蜘蛛の猛攻に耐えきったグリッタは、ハーミットたちに引き渡したカフスの種類と数とを思い起こしながら一人で勘定を始めた。気を紛らわせねばどうにかなりそうだった。


 骨が折れた足を引きずり、洞窟の入り口に背を預ける。(ひたい)の布を引っぺがして傷穴にねじ込んで、見事な刺繍が赤く染まっていくのをぼんやり眺めた。


 足に穴が開いた時点でこうしていれば貧血も抑えが効いただろうに、と今更に思うが後の祭りである。


「はあ、もう無理だ。もう頑張れん。死ぬわけにはいかんが些かきつい!」


 グリッタは、気を失わないように声を張った。頭痛も吐き気もとっくに通り越した商人の肌は青白く、冗談を言い続ける体力もそう多くは残っていなかった。

 ぶつくさ言いながら手当(てあ)てを続けていると、川の上に作られた足場をこちらに歩いてくる影があった。黒い毛並みにがたいの良さ、義腕の手に握られた二つの槌が規則正しく揺れている。


 グリッタは眉間に皺を寄せ、目元を(こす)った。

 貧血で霞む視界では、相手が味方とみなすにも時間がかかる。


(クリザンテイムが目に分かる巨体で助かった。これが第二の森中なら錯乱ものだったが……)


 ばき、ばき、と板を割るような音を立てながら此方まで渡ってきたクリザンテイムに、グリッタは気力を振り絞って手を振った。


 巨体はゆらゆらと、無言のままグリッタの前に立つ。


「……」

「……」


 しばし沈黙が続く。

 グリッタは軽口を叩こうとして、この空気に違和感を覚えた。


 クリザンテイムが声を出さないのは今に始まったことではない。何しろ直前の会話でも、彼はフードの内側で顔を歪めるだけでコミュニケーションを図っていたくらいだ。


「クリザンテイム?」


 違和感の理由を探して、カフス売りは精いっぱい声を張った。

 声を張った割にかすれたようになったのは、不安からか、恐怖からか。


 果たしてクリザンテイムからは鈍い反応が返ってきた――いや、反応と呼べるものだったのかは分からない。


 巨体の義腕から、槌がひとつ、ふたつ……ぼとぼと(・・・・)()地面に落ちる。


「!!」


 この時ようやく異常に気づいたグリッタだったが、一度極限まで弛緩した身体はそう簡単に再起しなかった。倒れこんできた巨体が、容赦なく人族の小柄な身体を押し潰す。


 どぐしゃあ。と、そんな音を最後にグリッタの視界は暗転した。





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