311枚目 「激走グラスクラフト」
『――「火球重ねて爪弾く」!!』
咆哮と共に鋭い殺意の雨が降り注ぐ。トカは怯むことなく腕を振った。
大鎧蜘蛛を目の前にしながら、魔力糸の防炎壁を織り上げる。
「『釘を飾る網』」
魔術の火を纏った矢を受け止めて、編み上げられた魔力糸の壁は燃え上がる。
「なるほど」
骨と皮かと思うほど細い指を顎元に添えて思案する白魔導士は、妻が変わり果てたことを心から嘆いていた夫と同一人物だとは思えないほどに気丈だ。
赤茶の瞳は僅かに開かれた瞼の間を縫って、治療対象の観察と治療方針の検討に思考を割く。
二、三枚の壁が燃え千切れたところで――ようやく、瞬きをひとつした。
「気持ちだけでも理解してあげたいところだが、ひとまず『人間基準の思考』に引きずり戻す必要がありそうだ。荒療治は得意ではないんだがな」
「……父さん」
「ラエル。私には、そう呼ばれる立場がないと言ったはずだが」
「『トカさん』なんて今更呼びづらいのよ。文句があるの」
トカはラエルの言い方に眉を顰め、視線を落とす。
自らより低いとはいえ、トカが最後に砂漠で見た日よりもラエルの背は伸びていた。
トカは顔を上げないつむじを一瞥して、咄嗟に言い返す言葉を探した自分に失笑する。ラエルは頭上から降った声の意図を「からかい」と認識したようで、こめかみの青筋を抑えながら引きつった顔になった。
「父さんって、母さんの神経を逆撫でするの物凄く得意だったわよねぇ?」
「みなまで言うな。売られた喧嘩を安く買い叩いた上に高値で売りつけたのは何処の誰だ?」
「私が誰を見て育ったと思ってるの。鏡が必要?」
「ふむ」
「ふむ、じゃないわよ。……私を指名したってことは、何か作戦でもあるの?」
ちらりとトカを見上げるラエル。
トカは不敵な笑みを浮かべる。
「私たちがシャトーを知っているならば、彼女もまた私たちのことを知り尽くしている、ということだ」
「無策なのね」
「そうだ」
トカの首肯に、ラエルはさりげなくつま先を打つ。岩ではなく、板を踏むような懐かしい感触がした。
「無策」というキーワードは、先ほど口にした「暑さでのびる」などと同様に作戦を立てた際に決めたものだ。
「暑さでのびる」は「水系統」に関する掛け声で、「無策」は「有策」の意である。
とはいえ、闘いの舞台さえ敵に作り出されてしまった現在の状況に当て嵌めるなら、今からやろうとしていることは文字通り「無策」の立ち回りに違いない……「有策」といっても、ラエルたちが事前に打ち合わせたのは「手段」の選択に過ぎないからだ。
「使えるものは使おう」ということである。
無い札を切るほど追い詰められているとも言える。
(手持ちの魔力供給瓶は残り四本。あと二回、ほぼ最大火力で『霹靂』を撃つ余裕がある)
ラエルは腰元の鞄から二本の瓶を引き出し蓋を開ける。ひとつ飲み干して後、銀の指輪をした腕を振った。
虚空に開いた空間式の歪みから、岩場には似合わない紅蓮色のクラフトを引きずり出す。
ラエルとハーミットが第三大陸の移動に使っていた赤いフォルム。
マツカサ工房、フランベル親子の手が入った特別な草上駆動――その、紅蓮の茶を思わせる駆体を前に満足げに頷くと、トカが前座席に跨った。ラエルも無言で後部座席に乗る。ただし、トカとは背中合わせになるように。
トカは自身とラエルを魔力糸で固定すると、慣れた手つきでクラフトのスイッチを入れた。
ラエルはその場で二本目の魔力供給瓶を飲み干す。染み渡る魔力を身体に馴染ませて、明らかな胃と心臓の負担に目をつむる。
「いつぶり?」
「砂漠を出たっきりだが、じきに慣れる」
音を聞く限りは、指輪の術式も駆動の調子も問題なさそうだ。
(念のため、メンテナンスをしてもらっててよかったわ!!)
ラエルは革張りの座席を撫でる。バクハイムでメンテナンスを依頼した時のベリシードの笑顔を思い出して……眉間に皺が寄った。
「ふむ、まあ理解した」
砂漠で乗り回していたサンドクラフトとは性能の違いもあるだろうに、トカはマニュアルを速読して表示式を閉じる。僅かに浮き上がったクラフトが『釘を飾る網』の補助を受けた。
相変わらず器用なことをする――ラエルはトカの背に手を添えながら、暗い天井へ視線を向けた。
氷術式の発現の後、キーナからこちらへのアプローチはない。
シャトーの言葉は脅しの意もあっただろうが「鎧蜘蛛を向かわせた」というのは本当だろう。
手負いの衛兵と元盗賊、そして非戦闘員の魔術師見習い。
「……私たち、間に合うと思う?」
「それはこれからの働き次第だろうな。まず我々が生き残らなければ話にならない。死んでは何もできない。救助も、後悔もだ」
駆動の音が増し、トカの声が千切れ千切れになる。
ラエルは口を引き結んで、練り上げた魔力を手元に集めた。
「行くぞ」
「ええ」
声を置き去りに赤い駆体が前へ出る――当たり前に、法外の速度で。
一方、鼠顔は岩上を駆ける。
鎧蜘蛛の爪を折れた剣でいなすと、蟲殻を踏み台に更にペースを上げた。
正面には、三匹の鎧蜘蛛に取り囲まれ、解けた白髪を乱し槍を奮う青年の姿がある。
「――~~っ!!」
歯を剥きだしにしながら食いしばって、ジェムシは必死の思いで振り下ろされる蟲爪を受け流す。分断されてからずっとこの調子だが、危機感で底上げした集中力にも限界がある。
八つ脚の蟲に上を取られ、振り下ろされた爪のひとつが壊れかけの左腕を叩き割った。
「 っ、 が――!!」
炭樹を材料にクリザンテイムの錬成術で生成し、トカの魔力糸で神経を繋いだ義腕には痛覚がある。幻肢痛とは程遠い痛みが脳を焼く。不意の激しい痛みは、槍の安定を損なうのに十分な衝撃だった。
受け止めていた爪が横へ滑り腹に突き刺さる。背中に爪痕が刻まれる。
前に倒れかけた身体を槍で補えば、ついさっき首があった場所に蟲顎が噛みついた。槍の柄を身代わりに首は護れたが、いよいよ武器の自由も奪われてジェムシは笑う。
腕も腹も背中も痛くてたまらない。逃げ出してしまいたい。これを捌き続けて無傷を保つなど、渥地の酸土の面々でもできるだろうかと思いながら。
ほんの一瞬、意識が逸れる。
(出口を任せたあいつらは無事だろうか)
身体の反射に任せて槍を奮う。穂先は消えたまま、距離を誤った棒先が空を切った。
世界が滲む。血でも目に入ったか。
視界は赤くない。目に入る光色が鈍色になっていく。
遠い日を思い出す。目の前で、懐かしい白髪が舞った気がして――次にぶれた視界の焦点を合わせれば、ジェムシの眼前で蟲の頸が落ちていくところだった。
いつの間にか背後に居た蟲の圧も消えている。頭部を失った蟲が蹴り退けられる。
ジェムシの目の前には針鼠がひとり残った。
いや、黄土色の懐に膨らみがあるので一人と一匹だろうか。
「走馬灯でも見た?」
「……はっ。まさか」
ジェムシは強がりながら支給されていた治療用魔力供給瓶を手に、雑に飲み込む。肉が塞がる痛みを堪えて、吹き出した冷や汗を拭った。
――視界の端を赤い駆動が過る。
黒髪の男女が跨った駆動が、大鎧蜘蛛の周囲を回るように走っている。ほぼ無尽蔵に火系統魔術を放つシャトーを相手に『釘を飾る網』の盾で凌ぎ、光線のような『点火』を何度も放っていた。
(この周辺には水の素体が足りねぇし、場にあった砂は岩に変えられてしまった。危険だと分かっていても魔力消費量を鑑みて火で応戦するしかないってわけか……確かに、あの出力ならまぐれで当たることもあるだろうが)
作戦会議でラエルが十全に扱える (暴発しないとは言わなかった)とした攻撃魔術は『上昇する地の理』、『水流の斧槍』、『点火』、『霹靂』の四つ。
だが当の大鎧蜘蛛は回復術の他にも、障壁系、土、水、火、氷術式や呪術式までもを扱う多芸の魔導士だった。挑む前に火と風系統が弱点だろうと目星をつけたものの、やはりラエルの『点火』では力不足――いや、そもそも生半可な魔術では傷ひとつもつかないだろう。現にジェムシだって大鎧蜘蛛に満足な一撃を与えられていないのだ。
(問題は、双方が火魔術を惜しみなく使うせいで洞窟内の空気が薄くなる一方だってことだ。この場に居る全員が仲良く酸欠になる前に、終わらせないといけないわけだろう?)
大鎧蜘蛛の説得、若しくは制圧。捕縛の後、連行。
作戦成功の達成条件が、想定以上に遠い。
ジェムシは槍を構え直す。
祭壇には背を向け、岩をよじ登る爪の音に耳をすませた。
「……その剣。目を離した間に短くなってないか?」
「うん、そうだよ。重い剣を振り回すのも疲れるから丁度良かった」
「呪いはどうなる?」
「支障ないよ。作戦続行だ」
答えながら、鼠顔の少年はニコリと笑んだ。
先ほど蹴り飛ばした鎧蜘蛛は祭壇の外に落ちたが、蟲の気配は依然として消えない。すぐに次が来る。
「ジェムシさんこそ、左腕の調子は?」
「接続がすっぱり切れた、指先すら動かん」
「分かった、質問を変えよう。その腕で何人抱えて走れる?」
不意打ちの問いに、ジェムシは言葉を詰まらせた。
ぎちぎちぎち。ぎちぎちぎちぎち。
「一人。できて二人」
「そっか。それは頼もしい」
「……お前、」
真意を追求しようとしたジェムシをハーミットは制した。
鼠顔の前に立てられた指が祭壇の外を示すと、這い上がって来た鎧蜘蛛の姿が見て取れる。
一匹や二匹ではない。
先ほどハーミットが蹴り落としたより遥かに多い、十数体もの鎧蜘蛛――大鎧蜘蛛の姿を模した『身代わり』まで混ざっている。
鉄のような硬い殻。鋭く形成された蟲の爪。
飽きるほど相手をしてきた鎧蜘蛛は、人間の疲弊など意に介さない。
蟲は常に全力で、こちらに威嚇を繰り返す。
「っとに、数ばかり多くて困るぜ……!」
「心の底から同意するよ!」
――回る視界の中、ラエルは視線をひとりの女性へと固定する。
すり鉢状になった祭壇の岩花を駆けるグラスクラフトの赤が、冠状の八つ目玉を釘付けにした。右腕の螺鈿武具から迸る青色が細い光を輪に明滅を繰り返している。
「――『点火』!!」
『「受け流す壁」』
「――『点火』!!」
『「受け流す壁」』
しかし黒魔術士の指から放たれる火の帯は、あと少しのところで弾かれる。
いいや。「あと少し」ですらない。必要最低限の詠唱で、受け流されていた。
火の礫が、クラフトを目指し雨のように降り注ぐ。
駆動の音が耳を塞ぐ。紫目は母親の口元を凝視する。背後から着いてきた魔術の火矢をトカが壁を作って対処する。ラエルは目を閉じない。
火の粉が舞って、髪が焦げる匂いがした。
『「閉口せ」――』
「……っ、『解術術式――!」
『――詠唱撤回。「業火」……!!』
「っちょぉ、はあぁぁ!?」
「あれは無理だ。避けるぞ」
トカの言葉が微かに耳に入り、同時にクラフトの後部がぐわりと外に振り出される。必死に体幹を固定しながら上半身を反らすと、駆動のすれすれを炎塊と熱波が突き抜けていった。
糸術使いは無言で駆動体の安定を取り戻すとギアを上げる。二人が間一髪で距離をとったその位置は、今やドロドロに溶けたガラスの池になっていた。
熱風を吸い込まないよう顔を抑えていた腕を退け、ラエルは乾いた眼を「ぎり」と細める。
「っ~~~~!! 『業火』!? そんな魔術使ってくるなんて聞いてないわよ!?」
「ふむ。以前はあのような術式を使ったことなど、なかったはずだが」
「はず? 今、『はず』って言った?」
「ラエル。この先があったとして、あれは使うなよ。人族の数人分は魔力が必要だからな。使えば不発した上で身体が蒸発するぞ」
「使う使わない以前に禁術でしょう!? 言われなくても使わないわよ!!」
「分かっているじゃないか」
トカは言いながら指を振る。ハンドルを握ったのとは逆の手で糸を繰り、足元を舗装する。ついでに、進路を妨害していた岩塊を破壊した。
「この後はどうする。引き続き、対話は難しいと思うが」
「やってみなきゃ分からないでしょう。少なくとも私の言葉に怒ったなら、短気な性格はそのままのはずなんだから――おかぁああああさぁあああああん!! いい加減人の話を聞いてくれないぃいいいい!? 困るわぁあああ!! 昔っから頑固なんだからぁああああああ!! そんなに怒ったらお肌にも悪いんじゃなあいぃぃぃいいいいい!?」
掠れた喉に鞭を打ち、ラエルは全力で大鎧蜘蛛の気を引く。
大鎧蜘蛛は人型の上体をぐり、と捩る。見開かれた瞳だけが瞼から覗く。その口元に笑みはない。
ラエルと目が合った。
喉元を、蟲が這った心地がした。
『――「火球重ねて爪弾く」!!』
「あっ、狙いはそもそも私なのね」
「避けるぞ、掴まれ」
再び激しい動きで駆動が乗り回される。ラエルはその度、母親から目を離さない一心で視線を注ぐ。
大鎧蜘蛛の背に生えた女性の身体。その腹の前には蟲の頭がある。ハーミットは、それを冠に例えたが――八つ目をはめ込んだ巨大な蟲の頭は、ほぼ全方位に視界を得るという話だった。
彼女を中心にぐるぐると駆動で乗り回そうが、彼女の眼の良さには適わない。奇特な見かけだけでは彼女の注意を逸らすに足りない。これまでの攻防を思い返してみても、ただ素早いだけの動きを八つ目が見逃すことは考えづらいのだ。
しかしそれでも。ラエルは思考する。
(それでも。鎧蜘蛛が……魔力子を糧にしているというなら)
ハーミットの言を信じるなら。
あの蟲の眼が良すぎるというのであれば。
(私の役目は、まだある。まだ、詰んでない)
だから、黒髪の少女がするべき懸念はその時が何時なのかラエルには分からないという一点だけ。
肌を焦がすような魔術のやりとりを、不安定な駆動の後部座席でいなし続けるしかないということ。
禁術をも放つ黒魔術士を前に、永遠にも思える攻防を。
「…………っ!!」
魔術を放つたび、胴に魔力が染み渡る。懐かしい感覚に振り回されながら汗が干上がるのを感じる。身体が熱い。視界に入る陽炎と目の霞みが見分けられなくなっていく。
駆動の動きが鈍いように思う。速さに慣れた目が一秒を引き延ばす。
誤射を気にする余裕がない。既に狙いが定まらない指で数を放つしかないが、弾かれた魔術の軌道を追うので精一杯だった。
見開いた瞳を久方ぶりに潤そうと瞬けば、刺すような痛みが瞼を襲う。
(目が熱い。魔術を使い過ぎた)
涙も熱風も味方になってはくれない。視界はじきに血で染まる。
だが、この場には白魔術士がいる。
「――っ、父さん!!」
「『天使の霧』!」
口で頼むより早く少女の全身を白い霧が包む。白魔術が晴れると、熱が引き切らない紫目を庇いながらラエルが狙いをつけなおした。
(自分の時間間隔が信用できない。引き付ける役を任されてどれくらい経った? もう十分? それとも全然足りない?)
既に、息が苦しい。空気を求めて、駆動の軌道は外側へ押し上げられていく。
足場が最悪だ。これでは距離を詰められない。
祭壇に立つ母親は薄い空気をものともしていない。
一方で魔力不足のラエルでは空気の供給なしに魔術を遠距離に届けられない。
頭上に揺れる卵床に被弾することは避けたい。
コントロールが甘い広範囲の魔術は使えない。
考えれば考えるほど、思考が絡まっていく。不安と焦りで集中が乱れる。
(これ以上、距離は取りたくない)
だって――長距離は、魔術の射程だ。
ラエルの思考と同時に、駆動があり得ない角度で鍾乳洞の天井を仰いだ。
駆動の頭部を意図して浮かせたのではなく、たったいま生え出た岩の塊に突き上げられたのだ。
「――――っ!!」
失念していた。
この舞台が、誰の手で作られたものなのか。
身体の連結が外れ、叫ぶ声に突き飛ばされる。駆動は赤いボディを無残に傷つけながらスピンして、乗っていたトカごと場外へ落ちた。あまりにも一瞬のことだった。
ラエルは三秒、気を失っていた。
次に目を開けると、眼前に母親が居た。




