煉獄
勇者とはこの世界の危機を救う者、そして人類の御旗となる英雄だ。
ウェルドナ王国の建国の歴史以来、勇者パーティーが現れたのは合わせて三度ほど。
そのうち三人目の勇者、『怯懦』のラングルスは中でも最も新しい……具体的には今から三十年ほど前に現れた勇者である。
勇者が現れるということは、つまり人類にとってそれだけ大きな危機が迫っていたということでもある。
今より三十年ほど前に現れたのは、自らを魔王と呼称する邪神の御子であった。
けれど王国が今も健在であることからもわかるように、強大な魔王は歴代最弱と呼ばれた勇者ラングルスによって討伐された。
最も直近の勇者であるにもかかわらず、ラングルスの世間的な評価はあまり高くない。
魔王と決して正面から戦わず、暗殺したことから人気も高いとはいえなかった。
けれど彼こそが真の勇者であることを知っている人間も、わずかながらに存在している。
一切の侵入を拒む天然の要害、霊峰ヘーゼル。
魔王討伐の後に人里離れたこの場所にいる彼女もまた、そんな例外のうちの一人だった……。
霊峰ヘーゼルの内側にくりぬかれた地下洞の中に、彼女――『煉獄』のシャーロットの研究室は存在している。
かつては煉獄の魔女として恐れられていた彼女だが、その本分はあくまでも研究にある。
故に彼女は全ての名声を捨て、一人楽しく研究の日々を過ごしていた。
「ふむ……」
洞穴とは思えないほど明るい室内に、充実した調度品。
けれど広々とした室内には、本人にしかわからぬような形で研究資料が整理されている。
その中央にいるのは、一言で魔女と言い表すことができそうな女性であった。
紫色のローブに先端の尖っているトンガリハットを身につけ、手にはこぶし大の大きなワンドを握っている。
血を思わせる真っ赤な瞳はどこか妖しく光っており、恐ろしいほどに左右均等な顔立ちはどこか人形めいていた。
背後でぐつぐつと煮立つ釜からは紫色の煙が上がっており、遠くからは実験用に繁殖させているネズミの鳴き声が聞こえてくるのだから、魔女すぎてちょっと引くくらいに魔女っぽかった。
シャーロットは研究バカな彼女にしては珍しく、その手を止めてテーブルを見つめている。 その視線の先にあるのは一枚の手紙と、同封されていたとあるアイテムだ。
「これは本物の吸魔香、なのか……」
吸魔香はその存在のみが確認されている、伝説級のレアアイテムだ。
レシピが失伝してしまっているため作り方は不明であり、けれど長年様々な薬師や錬金術師が開発に取り組んできたものでもある。
シャーロットの本職は魔力に関する応用研究だが、彼女は魔道具やアイテム類にも一通り精通している。
そんな彼女の鑑定眼は、目の前にあるアイテムが本物だと告げていた。
彼女の目が滑り、手紙の方へと向けられる。
「最近調子が悪いとは思っていたが……たしかに言われてみれば、リンカ病の初期症状によく似ている」
その手紙にはもし必要があるならこれを使ってほしいという旨が記されていた。
たしかにこれが吸魔香なのだとしたら、自身が罹患しているリンカ病を癒やすことができる。
結果だけ見れば非常に助かりはするのだが、その過程があまりにもおかしいせいで上手く話が入ってこない。
彼はなぜ、自分がここにいることを知っているのか。
自分は俗世との関わりを極力絶ち、人里に出る時も名と姿を偽っているというのに。
なぜ自分が、リンカ病にかかっていることを知っているのか。
自身ですら今の今まで、罹患したとすら気付いていなかったというのに。
「イナリ・サイオンジ……君には一体、何が見えているんだ……?」
シャーロットは手紙を手に取った。
そこには吸魔香を渡す対価として、一度でいいから自分を助けてほしいと記されている。
あまりにも謙虚な願いだ。
もしリンカ病の病状が進行してしまえば、シャーロットは助からなかっただろう。
命と引き換えにするには、あまりに控えめ過ぎる。
「ふふっ、懐かしいな、この感覚は……」
いつも無表情な彼女にしては珍しく、薄く笑みを浮かべる。
シャーロットが思い出しているのは彼女からすればすぐ前の記憶で、そして世間的にはかなり昔の思い出だった。
ラングルスはいつも、気付けば誰も知らないはずの情報を手に入れてくる人間だった。
彼は臆病で、敵と必ず真っ向からではなく搦め手で倒した。
それが諜報と暗殺に特化していた彼の戦い方だったからだ。
あの時代には、ああする必要があった。
圧倒的な劣勢の状況下では、魔王を倒すことでしか人類側の勝ちの目がなかったからだ。
彼の戦い方は誰にも真似できるものではなかった。
ラングルスはどこまでも臆病な人間で……だからこそ、偉業を成し遂げて勇者となることができた。
「……ふむ」
彼女が吸魔香を吸うと頭を覆っていた靄が消え去り、全身からだるさが取れる。
ただの睡眠不足だと思っていたが、どうやら本当にリンカ病にかかっていたらしい。
「となると彼は私の、命の恩人になるわけだ」
シャーロットは立ち上がると、パチリと指を鳴らした。
それだけで先ほどまで動き回っていた魔道具は全て起動停止し、電源が落ちる。
「命を助けてもらって礼を尽くさぬほど……私は薄情なエルフではないつもりだ」
歩き出す彼女のトンガリハットがズレる。
つば広の帽子の隙間から覗く笹穂型の耳が、ふるりとわずかに震える。
「となると……面白いものが見れそうだし、久しぶりに学院にでも顔を出そうかな」
こうしてイナリがもしもの時を考えて渡した吸魔香によって、事態は更に動き出す。
『コールオブマジックナイト』において終盤戦で仲間になる強力なサポートキャラクター、『煉獄』のシャーロットが動き出すことで、この世界は徐々にゲーム世界とは異なった様相を呈していくことになる。
イナリが与える影響は人々を動かし、世界を変えてゆく。
彼は自分をかませ犬だと嘯くが……きっとこの世界が一つの物語だとするのなら、彼こそが本当の主人公に違いない。
そして一年半の月日が流れ……舞台は全ての始まりの場所、ウェルドナ王立魔法学院へと戻る。




