笑み
事前にローズが調査をしてくれていたおかげで、イナリが下位魔族の根城を突き止めるのに時間はかからなかった。
現在この街にいる下位魔族は二体。
実際の強さはわからないが、魔族の特徴からおおよその相性がわかるイナリが、まず最初に戦う魔族を選ぶ。
その魔族の居る場所は、驚いたことに、貴族達の住まう区画の一画だった。
どうやらその魔族は、貴族の用心棒として雇われているらしい。
これは噂程度の話なのだが、どうやらその貴族の妻と性的な関係を持っているらしい。
「魔族の中にはえっぐい性技を持っとるやつもいるからなぁ。多分やけどそれで奥さんが骨抜きにされたんやろ」
「せっ……は、破廉恥なこと言わないでください!」
「いや、別にふざけてるわけやないんやけど?」
イナリが言っていることは事実で、吸精鬼に連なる魔族達は基本的に人間を性的に屈服させるようなことが多い。
魔物学的な見地から話をしただけなのになぜかぷりぷりしだしたローズと共に、夜の街を駆けていく。
「ただ奇襲の効果は薄いかもしれへんね。自分で言うのもあれやけど、ちょっと眷属を狩りすぎたし」
「それなら日を改めますか?」
「……いや、やっぱり今日攻めよう。中位の魔族がいないこのチャンスを活かせないと、下位魔族相手にすんのもキツいやろし」
そうこうしているうちに、イナリ達は貴族街へとやってきた。
イナリがサイオンジ家の家紋の彫り込まれたレリーフを出せば、衛兵達が姿勢を正しながら中へと通してくれる。
「家の名前にはあんまり頼りたくないところなんやけど……背に腹は代えられんね」
「あ、そういえばイナリさんはどうして家の騎士団を呼び出さないんですか? 彼らに討伐をしてもらうのが一番楽な気がするのですが……」
「そら、めちゃくちゃ迷惑かかるからやね」
そもそもサイオンジ伯爵家が持つエイジャ地方は広大で、複数の魔境が存在している。
そこに分散させながら兵士達を配置している以上、実のところ彼らに余裕はほとんどない。
いざ戦争や自国の一大事となればもちろん配置転換をするが、それはある程度領地が魔物に浸食されることを覚悟で行う捨て身の策だった。
「それに……いや、なんでもない」
「……そんな風に言われると、気になるんですけど」
「だったらなおさら言うわけにはいかんね」
イナリがあまり知識を吐き出しすぎると、要らぬ勘ぐりを受けることにもなりかねない。
特に上位魔族が持っている誓約に関しては、未だこの世界ではほとんど存在すら知られていない。
彼は父を信頼しているが、父の配下の全てを信じるほどに阿呆でもなかった。
貴族社会は魑魅魍魎の住まう世界だ。
そこで自分の優位性を保つためには、ごく限られた親しい人間を除いて、情報を開示するつもりはない。
(あれ、でもそれやと……ローズも親しい人の範疇なんかな?)
「私の顔に何かついてますか?」
「目くそついとるよ」
「そ、そんなもの聖女からは出ません!」
そうは言いながらもごしごしと目元を擦るローズを見ながら、イナリは薄く笑う。
ミヤビが倒れてからというもの、イナリの顔からは笑顔が消えていた。
自分が張り詰めていたと気付くことができたのは、名前しか知らず適度な距離感を保てる彼女のおかげだ。
イナリはローズに感謝していた。
その気持ちを真っ直ぐに伝えることは、恐らく生涯ないだろうが。
二人は緊張することなく自然体のまま、目的地へと向かう。
するとそこには……
「ほう……来たか」
イナリ達が狙っていた下位魔族の姿があった。
そして更にその隣には……
「ニンゲン……コロス!」
もう一人、恐らく事前情報のまったくない下位魔族の姿もあった。
どうやらこの街には、まだ探し切れていなかった魔族もいるらしい。
彼らが張っていた根は、イナリ達が想定していたよりも随分と深いらしい。
「いきなり二体取りかぁ……相も変わらず、ついとらんなぁ」
「貴様……なぜ笑っている?」
「……え?」
イナリは自分の頬に触れる。
すると確かに今の彼は、いつもよりもずっと深い笑みをその顔に湛えていた。
「そりゃ……楽しみやから、かな? 今から君達が這いずり回りって、僕に許しを請うのを見るのが」
「貴っ様ぁっ!!」
イナリは魔剣創造を発動させ、ローズは祈祷の所作を取る。
こうして想定外の下位魔族二体との戦闘が、始まった――。




