光
「はあっ、はあっ……ちょっと、流石にしんどいわ……」
燃えさかりながら崩れ去ってゆく娼館『夜の蝶』を見ながら、イナリは荒い息を吐いていた。
イナリは水の魔剣を駆使する形で、なんとか無事外に脱出することに成功していた。
『夜の蝶』は眷属達が後ろ暗いことをしていたためか、娼館の立ち並ぶいわゆる色街でもかなり外れの方に位置している。
そのため後ろ側には小さな雑木林があり、彼は魔剣で生成した水をロープのように引っかけ、なんとか樹に飛び乗っていた。
なので現在彼が立っているのは、林立している樹木の太い枝の上だ。
(……よし、これで最低限動けるくらいにはなったやろ)
魔力と体力を使い先ほどまではとても走れそうになかったが、少し休憩すればずいぶんと楽になった。
これも普段の鍛錬の賜物だろう。
レベルが上がれば各種機能は向上するが、あくまでも元の肉体という土台があってのものだからだ。
(さて、どう逃げよか……)
ただ時間が経過したことで、危険は更に増している。
高い視界から街を見渡してみると、かつて娼館が立っていたあたりには騒ぎを聞きつけてやってきた大量の野次馬の姿があった。
じっと観察すれば、その中には数人の眷属の姿も見えている。
(……あれ、なんで眷属ってわかるんやろ。闇の魔剣のレベルが上がったからなんかな?)
先ほどまでできなかったはずの眷属の識別ができていることを疑問に思いつつ、イナリはとりあえず樹を下りることにした。
雑木林を東に抜けていけばには広場がある。
そこから雑踏に紛れることができれば、上手く撒けるはずだ。
隠密スキルの力で身を潜めれば、出てきたところを誰かに見られることもないだろう。
音もなく着地した彼は、こちらに捜索の手が伸びるよりも前に一旦退却に移ろうとするが……
「……うわぁ」
逃げようとするイナリの視界の先に、こちらにものすごい勢いでやってきているアリコンの姿が移る。
あれで倒せるとは思っていなかったが、目くらましには成功したと思っていたのだが……
(やっぱ眷属は侮れんっちゅうことやな。多分やけど、サーチ系のスキル持ちなんやろ)
魔力のある場所を感知できる魔力感知や、一度標的を定めた者の居場所を矢印で教えてくれるターゲットなど、サーチ系のスキルを持っている者の中には想像を絶する探知能力を持つ者も少なくない。
あの男に目をつけられた時点で、イナリは文字通り詰んでいたのだろう。
「ふぅ……よし、やろか」
息は整えられたとはいえ、魔力残量が乏しいことには変わりなかった。
とてもではないが、今のイナリは眷属との連戦を戦い抜けるコンディションではない。
「絶対に……絶対に殺す!」
だが感知系のスキルを持つアリコンから逃れるのはまず間違いなく不可能だ。
たとえどれだけ勝ちの目が薄くとも、イナリは戦わなければならなかった。
せめてもの救いは、かなり頭に血が上っているらしいアリコンが、単独でイナリの方へ駆けてきていることだろうか。
彼が冷静に仲間の眷属を引き連れて追いかけてくれば、イナリに勝ち目は残ってはいなかった。
(まあ……それでもかなり厳しい戦いになるのは、間違いないやろけど)
彼は音もなく地面に飛び降りると、逃走を開始する。
向かう先は当初想定していた東……ではなく、南を出た先に続いているスラム街であった。
「ほら、危ないから引っ込んどき!」
イナリが水の鞭を振るうと、その音を聞いた浮浪児達が急いで建物の影へと隠れていく。
彼は迷路のように入り組んだ路地裏を右に左にと走り回りながら、アリコンとの追いかけっこを続けていた。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
息を荒げて、額に汗掻いて……まったく、優雅やないな。
内心で自嘲しながら、イナリは走り続ける。
ソレラの色街は、元は城壁の外側に拡がっている難民キャンプから発生した区画である。
そのため城壁自体がいびつな形になっており、色街のある南側の区画にはスラム街も含まれていた。
イナリが勝ちの目を残すためには、最低でも一対一の状況を作る必要がある。
そのために彼が戦場として選んだのは、狭く入り組んで応援を呼び込みにくいスラム街の路地裏だ。
建物やあばら屋の密集するこの場所にはいくつもの影があり、闇の魔剣を使うのに適した条件が整っている。
建物の影に隠れやり過ごしてからダークネスフォグを発動。
これが眷属相手にも最低限通用することは把握している。
イナリは水の魔剣を使い相手の動きを阻害しながら、光の魔剣を使いアリコンへダメージを与えていく。
けれど最初に脳天を貫けたエルナの時とは違い、微々たるダメージしか与えることはできていなかった。
(……あかん、このままじゃ……っ!?)
イナリの内心を焦りが満たすと同時、背中に強い衝撃が走る。
続くのは痛みと、熱した鉄棒をぶちこんだかと錯覚するかのような熱だった。
「がはっ……」
続いて彼の目の前の壁をぶち抜かれた。
そこにあったのは、それは黒の混じった緋色の爪だった。
弾丸のようにねじれたそれが、腹部を貫通し壁まで到達したのだろう。
後ろを振り返ればそこには、勝ち誇った顔をするアリコンの姿がある。
「ははっ、俺が遠距離攻撃の手段を一つも持ってないとでも思ったか? 舐めるなよ、人間」
彼は先ほどまでと比べるとゆっくりとした歩速で、イナリの下へとやってくる。
イナリは即座にヒールソードを使い傷を癒やすが、今の傷は明らかに重傷だった。
何度もヒールソードを使ううち、ただでさえ乏しかった魔力が更に減っていく。
けれどイナリは応急処置を終えると、それでも立ち上がり、その手に魔剣を握る。
「僕には……やらなあかんことがあるんや。こんなとこで……くたばって、たまるかっちゅう話や」
二人がいるのは、比較的開けた路地の合間だった。
当初の狙いだった、一対一の状況を築くことはできている。
ここに他の眷属達の姿もない。
であれば後は自分が……こいつを倒せばいいだけだ。
「おおおおおおおっっ!!」
イナリは剣を手に取り、アリコンへと立ち向かっていく。
アリコンはその迎撃をすべく、硬く握った拳を掲げイナリの方へと駆ける。
そして二人が交差するその刹那……
「光、あれ」
世界を、白い輝きが包み込んだ。




