夜の蝶
娼館、『夜の蝶』。
ここに所属している女性達は、男を惑わせる鱗粉を振り撒く魅惑の蝶である。
彼女達は己をきらびやかに彩り、その美しさで男を虜にする……という触れ込みで有名になり、今ではソレラの一番人気を誇るようになった店舗である。
だがこの店は実は数年前までは閑古鳥の鳴く不人気店であった。
そしてその状況を改善したのが、現在の『夜の蝶』のオーナーであるエルナである。
今ではソレラの街の娼館連合の一員となっている彼女が有能であることは、疑いようのないことであった。
けれどエルナには常に黒い噂が絶えない。
やれライバルの娼館の娼婦を皆殺しにした、やれ敵対的だった組織をまるごと骨抜きにしてみせた……後ろ暗い業界とも関わりのある娼館界隈では陰口をたたかれるのはさほどおかしなことではないが、エルナに関してはその数があまりにも多かった。
だがエルナは自分に関する風聞など、一切気にしていなかった。
――彼女からすれば人間など、ただの金を落とす家畜に過ぎないのだから。
「ううん……」
なまめかしい声を出しながらベッドから起き上がるのは、薄い肌着を身につけた妙齢の女性だった。
二十代も半ばほどにしか見えぬ彼女こそが、件の女性オーナーであるエルナである。
「ふぅ……」
ゆったりとした息を吐き出す彼女の様子はどこかけだるげで、見ているだけで魅了されそうになるほどの美しさが宿っている。
やり手の敏腕オーナーではなく一番人気の娼婦と言われた方が、まだ納得のいく美貌をしている。
「エルナ様、よろしいでしょうか?」
「ええ、構わないわ」
ノックの後に入ってきたのは、黒服に身を包んだサングラスの男だった。
彼――副店長のアリコンは部屋に入ると同時に感じる濃厚な血の匂いに、思わず顔をしかめさせる。
「エルナ様、殺しはほどほどにしておいてくださいとあれほど……」
「仕方ないじゃない、美味しそうだったんだもの」
エルナの眠っているベッドの脇には……合わせて六人ほどの、人間の死体が積み上げられていた。
彼女はその死体のすぐ隣ですやすやと眠りにつき、何食わぬ顔で起きていたのだ。
「それに一応問題ないのにしたから。彼ら、うちにみかじめ料を求めてきたマフィアの構成員達なのよ」
「そうですか、まあそれなら……しかし、良い匂いですね」
「ふふっ、でしょう? 私は十分食べたから、後は他の子達で分けて良いわよ?」
「……ありがとうございます」
アリコンはそう言うと、転がっている六つの死体を積み上げると、そのまま両手で持って運び出ていった。
――この娼館にいる者達は全て、魔族の眷属である。
『夜の蝶』は男達を惑わせる娼館であり……同時にエルナ達魔族の眷属がその身を隠すための隠れ蓑だった。
人間の中でも特に見目麗しい者達を集め、彼女達を眷属とし、その光に引き寄せられてくる人間を捕食する……『夜の蝶』はいわば誘蛾灯であり、エルナ達にとっての餌場でもある。
彼女達が街に潜伏している理由は、人間社会に根を張れと下級魔族に申しつけられたから。
恐らくは、この街を落とす際に効率よく行うことができるよう、手駒を増やしておけという意味だと考えていた。
「ふふ、そして私もいつかは……」
眷属となった元人間は、基本的に自身で進化を行うことができない。
だが彼らは自分を使役する魔族が進化を行えば、それに引っ張られるような形で魔族へ進化することが可能だった。
現在エルナが仕えている下級魔族が中級魔族へと進化を重ねれば、彼女も眷属の軛を壊し魔族へ至ることができる。
いつか、そう遠くない未来のことを夢想しながら、エルナは不敵な笑みを浮かべる。
彼女はベッドに横になりながらひとしきり妄想に耽ると、立ち上がって業務に戻ることにした。
ただ人を殺して眷属化すればいいわけではない。
人間社会に溶け込むためには、色々と面倒なこともしなければならないことも多いからだ。
彼女がドアの前に立つと、ドアがひとりでにゆっくりと開き始める。
ひょっとしてアリコンが忘れ物でもしたのだろうか。
「何よ、ちゃんとノックを……あぐっ!?」
瞬間、エルナの胸に激しい痛みが走る。
見れば自分の胸の間の谷間に、見慣れぬ剣が突き立っていた。
真っ白な刀身をした、妙に嫌な感じを覚える剣だ。
魔族の眷属である彼女は、剣に刺し貫かれた程度では大したダメージを負いはしない。
けれど胸に突き立っている剣はエルナの体内に、着実にダメージを与えていた。
(これは……光属性っ!?)
魔族とその眷属にとって弱点となるのが、光属性である。
邪神の加護を受ける彼らは、光を天敵とし、太陽光や光の結界内ではその能力が一部制限される。
エルナの持つスキルはそのほとんどがパッシブスキルであり、魅了方面に特化している。
故に戦闘能力は眷属の中でも高くはない。だが少なくともこの程度の攻撃でやられるほどに柔ではなかった。
胸から剣を引き抜こうとしたその瞬間、彼女の顔が突如として水に包まれる。
いくら人間よりはるかに高い身体能力を持つ眷属とはいえ、呼吸を止めていられる時間は精々が数分程度。
胸には光の剣、そして顔には水魔法。
エルナは少し考えてから、顔を取り囲んでいる水球を破壊しにかかった。
胸の光の剣のダメージ程度ならどうとでもなるが、窒息ばかりは彼女でもどうにもできないからだ。
彼女は追撃をかわすために後ろへ跳ねながら、水球を力任せに剥がす。
「お見通しやで」
「がああああっっ!?」
だが突如としてかかってくる声。
気付けばエルナの脳天に、二本目の光の剣が突き立っていた。
視界がチカチカと明滅し、一瞬赤く染まる。
先ほどまでとは比べものにならないダメージだ。
久しく感じていなかった死の危険が、彼女の警戒度を一気に引き上げる。
「うーん……やっぱりこれでも死なんか。ほんなら……後は根比べやね」
パチリとその襲撃者――イナリが指を鳴らす。
すると彼の周囲に多数の火球が浮かび上がり、そして四方に散らばって部屋を蹂躙し始める。
火は燃え移ってゆき、娼館全体へと広がってゆく。
胸の光の剣は消えていたが、脳天に突き立っている剣は未だ残っている。
脳はかなりデリケートな部分であり、眷属のエルナであっても回復には時間がかかる。
その隙をつかれることを考えれば、下手に抜き取るわけにもいかなかった。
イナリは不敵な笑みを浮かべながら、その手に剣を――己の最も強力な魔剣である炎の魔剣を手に取った。
「僕が焼け死ぬか君が光に浄化されるか……どっちが先か、勝負といこうや」
「人間風情が……殺すッ!」




