【三百三十九 紅孩児の選ぶ道】
鉄扇公主はワナワナと唇を振るわせ、ミシミシと音を立てながら扇を握りしめている。
それは玉面公主や狐阿七大王をめった打にしていた時の冷酷な姿からは想像もできない姿だった。
「あたくしはこの子を真っ当に、妖怪の王らしく育てなければなりませんの!妖怪でもないあなた方に何がわかりますの?!」
「おお、怖」
「ではご婦人、王とは何だとお考えか」
普賢菩薩の軽口を文殊菩薩は手の甲で静止し、鉄扇公主に問いかけた。
「人の世の王のことは存じませぬが、妖怪の王は力が全て!賢く、そして全ての妖怪を従わせるほどの強さがなければならぬと考えておりますわ」
「強さは孫悟空を倒した時点でもう満たしていると考えて良いだろう。しかし、賢さはどうであろうか」
文殊菩薩の言葉に鉄扇公主はムッとして唇を引き結んだ。
「ああいや、あなたのご子息が愚か、蒙昧ということではござらぬ。おそらく勉学も相当励まれたことは、彼の振る舞いからも見て取れる故な。だがしかし!」
文殊菩薩は顔を上げ真っ直ぐに鉄扇公主を見た。
「旅をし、実際に目で見ていろいろな人の話を聞くことは机上の学習にも優る知恵を得られよう。しかしご婦人、ご子息にそれは必要ない、と?」
「ええ、ご心配には及びませんわ。幾年を経た大妖や精たちにこの子の教師を頼んでおりましたの。知識は彼らの折り紙つきですわ」
鉄扇公主は扇で口元を隠し、早口で言い引き下がらない。
「聞いて学ぶのと、自ら経験をしたのでは得られるものも変わろうぞ」
しかし、文殊菩薩も引き下がるつもりはなかった。
「あのよ、紅孩児のカーチャンも文殊もさ、お前らあれこれ言うけどよ、結局どうするか決めんのはコイツだろ。コイツのこれからの話なんだから」
ふたりのやりとりに呆れて、孫悟空が大きなため息を吐きながら言った。
鉄扇公主と文殊菩薩は揃って紅孩児を振り返った。
「え、あ、あの、その……」
一斉に視線をあび、紅孩児は戸惑い口篭った。
鉄扇公主は複雑な表情になる。
自分に分が悪いと本当はわかっているからだ。
「紅孩児さま、お母様にあなたのご意見をしっかりと伝える時ですよ」
急に注目を浴びて戸惑う紅孩児の背中を玄奘がそっと押す。
「は、はい……っ!」
紅孩児は玄奘に振り返って決心したように頷くと、鉄扇公主の前に進み出た。
緊張していた鉄扇公主の表情に安堵の色が浮かぶ。
「ほら!やはり子は親を選ぶものなのですわ!」
そして勝ち誇ったように言う鉄扇公主だったが、文殊菩薩と普賢菩薩は何も言わずに紅孩児の言葉を待った。
「おれは……いや、私は文殊菩薩さまと普賢菩薩様の元へ行き、知恵を深めたいと考えています。母上、どうか勝手をお許しください」
紅孩児はそう言って鉄扇公主に向け頭を下げて懇願した。
それまで喜色満面だった鉄扇公主は、表情をサッと曇らせた。
「なんですって……?!」
そして目を吊り上げ扇を強い音を立てて畳んだ。
「勝手は……絶対に……許しませんわ……!」
鉄扇公主は低い声で呟くと、懐から乾燥した黒い草のようなものを取り出し飲み込んだ。
「あれは……!」
玄奘たちはその草を見て顔を青ざめさせた。
それは以前、元始天尊を瘴気で侵し崑崙山を混乱に貶めたものと同じだったからだ。
「まさかまたあれを目にすることになるとはな!」
「鉄扇公主は一体どこであれを……?!」
沙悟浄と猪八戒は鉄扇公主がいつ仕掛けてきてもいいようにゆ素早く武器を構えた。
「おい紅孩児、お前の母ちゃんなんか食ったけど、あれ大丈夫なのか?」
「……」
孫悟空は瘴気の草だと気づかなかったのものの、沙悟浄と猪八戒の様子からただならぬものを感じて如意金箍棒を構えた。
紅孩児は孫悟空に返事を返せないまま、ただ鉄扇公主を見ていることしかできずにいる。
「紅ちゃま、いい加減オイタがすぎましてよ。さあ、仏の弟子になるだなんてバカなことはやめて一緒に火焔山に帰りましょう」
鉄扇公主は黒い草を飲み込むと、青峰剣を構えてもう片方の手を紅孩児に向け伸ばした。
「い……いやだ!もう十分に今まで言うことを聞いてきただろう!いい加減おれを自由にしてくれよ!」
紅孩児は鉄扇公主が全く聞く耳を持たないことに絶望し悲痛な叫び声をあげた。




