【三百二十四 鉄扇公主、玄奘を連れ去る】
青峰剣の剣先が孫悟空に向けられる。
分身を失い、あらい息をつきながら孫悟空が見上げると、鉄扇公主は勝ち誇ったように口角をあげた。
「くそ!」
「ごめんなさいお義兄様、あなたの相手をしている暇はあたくしには無いんですの」
そう言って鉄扇公主は微笑み、孫悟空の前から姿を消した。
「……っくそ!」
鉄扇公主の狙いは玄奘のところに集まる皆だ。
(間に合え……いや、間に合わせる!)
孫悟空は如意金箍棒を伸ばし、鉄扇公主よりも先に玄奘たちの元へ着くよう急いだ。
まだ意識を回復しない玄奘の元へ、猪八戒と玉龍がたどりついていた。
「ゴジョー、オシショーサマはどう?意識は戻った?」
如意宝珠を抱えながら玉龍が訊ねる。
沙悟浄は首を振るが、その表情は明るい。
「いや、まだだ。だが見てわかるくらいに顔色も戻ったし呼吸も大丈夫だ。感謝する、玉龍」
「まあ、本当。あれだけ斬ったのにすっかり治っていますわね」
「ボクの如意宝珠なら楽勝なのさ!……って、ぎゃー!!!!」
突然現れ会話に参加してきた鉄扇公主に、玉龍は絶叫した。
「なっ、貴様……っ!」
「悟空ちゃんは?!」
「他人の心配よりご自身の心配をなさった方がよろしくてよ」
猪八戒にそういうと鉄扇公主は玉龍に剣を向けた。
「その如意宝珠、邪魔ですわ」
「えっ?ひゃっ!?」
鉄扇公主が剣を振るう。
玉龍は慌ててかがみ、間一髪でそれを避けた。
「何をする!」
猪八戒は釘鈀を振り、青峰剣をはじいた。
「長物ばかり……面倒ですわね」
鉄扇公主はそういうと青峰剣を鞘に納め、懐に手を忍ばせ扇を取り出した。
バッと大きな音を立てて広げられ、赤い鳳凰の絵が現れる。
「疾!」
沙悟浄たちがその扇が何かを悟る前に、鉄扇公主が扇を仰いだ。
勢いよく仰がれた扇からは炎が波状に広がっていく。
「わわっ、火?!に、如意宝珠よ、雨を降らせて火を消して!!」
炎の波に押され、沙悟浄たちは玄奘から引き離されてしまった。
「玉果のお坊様は預からせていただきますわ!」
鉄扇公主の声が響き、玉龍が呼び寄せた雨雲によって炎が消えた頃には、鉄扇公主と玄奘の姿は消えてしまっていた。
「お師匠さま、お師匠さま!!」
「ウソでしょ……」
「出てこい!鉄扇公主!!」
三人が叫んでも、鉄扇公主からの返答はなかった。
「沙悟浄、お師匠様は?!」
そこへ孫悟空が一足遅れて到着した。
孫悟空の問いに沙悟浄は首を振ることしかできなかった。
玄奘を連れ去った鉄扇公主は、自分の住処である火焔山ではなく、枯松澗火雲洞に来ていた。
そこは牛魔王と鉄扇公主の息子、紅孩児の棲家だ。
「紅ちゃま、いないの?お母ちゃまがきましたよ」
鉄扇公主が大きな声で呼びかけると、扉が開いて小柄な赤髪の少年が顔を出した。
紅孩児だ。
「……そんな大きな声を出さないでください。あと紅ちゃまって呼ぶのやめてほしいって何度も……」
「お返事がないからよ。いるならすぐ出なさい」
紅孩児の言葉を遮り、枯松澗火雲洞の中に入る。
「……その人は?」
「玉果よ」
鉄扇公主は玄奘を長椅子に横たえながら答えた。
「食べないよ!わたしは生き物を食いたくないと、何度も言っているでしょう!」
途端に紅孩児は手で口を押さえて首を振った。
「もう、好き嫌いが多くてほんと困った子ね。別に食べなくていいのよ。お母ちゃまはね、紅ちゃまにこの玉果の弟子たちと戦って強くなってもらおうと思ったの」
母親の答えに紅孩児は心底嫌そうに眉を顰めた。
「なんで……嫌だよ。わたしは別に強くなりたいなんて思わないし」
「何を言っているの!牛魔王が、お父ちゃまがいなくなったら次の王は紅ちゃまなのよ!」
「そんなの母さんが……!」
「お母ちゃま」
「おっ、おっ、母……ちゃまが勝手に言ってるだけじゃない、そんなの……わたしはなりたくない……っ!」
「なりたくない?いいえ、なるの。紅ちゃま、あなたは妖怪の王となるべくうまれたのよ。これは変えることはできないの」
「……っ」
紅孩児の反論に鉄扇公主はピシャリと言い放った。
「この玉果の血、本当に美味しかったわ。紅ちゃまも飲む?お母ちゃまが斬ってあげるわよ」
「いらない。赤いのなら苺のほうがいい」
「まったく、果物の方がいいなんて、いつまでも赤ちゃんみたいね。かわいいわ」
鉄扇公主が言うと、紅孩児は後ろを向いて「オエッ」と舌を出してうんざりした顔をした。
「それじゃあお母ちゃまは帰るわね。本当は一緒に暮らしたいけど、あなたももう立派な妖怪だもの。これから王になるために一人暮らしを経験するのも良いことだわ。ご飯はきちんと食べるのよ。果物や野菜ばかりじゃ、玉果の弟子たちには勝てないわよ」
「……わかってる!じゃあね!」
口うるさい母親を扉の向こうに見送り、紅孩児は大きなため息をついた。
そして鍵をかけると、長椅子に横たえられた人間のところへむかった。
「傷はない、呼吸も大丈夫。でも深すぎる眠り……この人を死なせるわけにはいかない」
紅孩児はスッとたち、外へ飛び出した。




