【三百二十 玄奘、鉄扇公主をあざむく】
震える玉面公主を抱き寄せ、九麻夫人は眉を顰めた。
「愛人……だと?そんな話、私は聞いていない」
「愛人と言っても、妖怪の王たる我が夫の、人の王のように女性を侍らせてみたいと言う好奇心ゆえ、各種族から女性を集めただけですわ」
九麻夫人の小さな声を大きな耳で耳ざとく聞きつけた鉄扇公主は、口元を袖で隠し目を細めて言う。
「玉面公主は牛魔王の愛人としてあなたを差し出すわけにはいかないと、知らせを見てすぐにきたと言っていましたの。見上げた友愛ですわね」
九麻夫人は驚いて玉面公主をみるが、玉面公主は焦点の合わない目で恐怖に震えているだけで、九麻夫人の言葉には返答も頷く仕草すらしない。
「貴様、一体この子に何をした?!」
玉面公主のただならぬ様子に九麻夫人は牙をむいて唸った。
「まあ、ただ女性たちを侍らすだけ、というのは勿体無いので、あたくしが利用させてもらいましたの」
「利用?」
「未来の妖怪の王の盾となるために、色々とね」
「じゃあ、玉面おばちゃんがおかしくなったのは、あの怖いひとのせいだったんだね」
鉄扇公主の意味深な笑みをみて、金炉精が恐怖にぶるりと体を震わせた。
「今存在する狐狸精の中で九尾は玉面公主と九麻夫人のお二人だけ。あなたを消せば名実共に妲己に近づけるとそそのかしたのですが、なかなか首を縦に振らず。仕方ないので少しいじりましたの」
鉄扇公主はクスクス笑って手を動かす仕草をした。
「でも残念ながらちょっと……狂ってしまいまして。あなたへの愛情は全て憎悪に変化したのは成功でしたけど。なので、あたくしが始末をつけようと思ってきたのですが……」
「ああ……あああっ!」
鉄扇公主が一歩踏み出した途端、玉面公主は絶叫し、頭を掻きむしって気絶した。
「まあ、あたくしが手を下すまでもありませんでしたわね」
わざとらしく残念そうに笑って言う鉄扇公主に、九麻夫人は気を失った玉面公主をぎゅっと抱きしめ悔しげに歯を食いしばった。
「鉄扇公主、私は貴様を決して許さない!」
「待ちなさい、九麻夫人!」
「太上老君様?!」
顔を怒りに歪め牙を剥き出し爪を光らせ、鉄扇公主に飛びかかろうとした九麻夫人を太上老君が制止した。
「あなたは病み上がりです。激しい動きは命にかかわる」
「しかし……!」
「金炉、銀炉。お前たちはみんなを連れて兜率天にあるわしの館へ戻れ。これ以上お前たちを危険に晒すわけにはいかぬ」
「はい!」
「母さま、叔父さん、こっちだよ!」
金炉精と銀炉精は玉面公主を抱き抱えた九麻夫人たちを先導してその場を離れようとした。
しかし。
「逃さぬ!」
鉄扇公主は目にも止まらぬ速さで踏み込み、一気に斬り伏せようと剣を振った。
「させるかっ!」
「叔父さん!」
しかしその剣は金炉精たちに届くことはなく、狐阿七大王のもつ七星剣に阻まれた。
「私だって、少しはいいところ見せないとね」
鉄扇公主と鍔迫り合いながら、途切れ途切れに狐阿七大王が言う。
「早く、行きなさい!」
鉄扇公主を押し返し叫んだ狐阿七大王に、弾かれたように金炉精たちはかけだした。
「狐阿……どうか、どうか無事で戻ってくるのですよ」
「はい……っ!」
姉に返事をし、狐阿七大王は鉄扇公主に向き直った。
「七尾ごときが、あたくしと剣を交えようとはこしゃくな!」
鉄扇公主は鍔迫り合いをしている中でも涼しい顔で軽く笑うと、青峰剣をはらい狐阿七大王が体勢を崩したところに脇腹へ蹴りを入れた。
「うっ!」
狐阿七大王は脇腹を抑えながら身を丸め、防御の姿勢を取ったまま瓦礫に突っ込んだ。
「悟空、八戒、悟浄!!」
太上老君が声をかけるまでもなく玄奘の弟子たちは玄奘と玉龍を救う機会を見逃さなかった。
だがそれよりも早く、気絶していたはずの玄奘が立ち上がり、駆け出した。
「お師匠さま?!」
倒れていた玄奘が動き出したのをみて一瞬ホッとした沙悟浄だったが、玄奘の行動にはたと気付くと絶叫した。
どうやら玄奘は気絶したふりをしていたようで、その足取りは羽がついているように軽い。
「私はこちらですよ!さあ、鉄扇公主とやら、目的が私ならこちらへ来てごらんなさい!」
妖怪の狙いは自分だと知っているのに、鉄扇公主を誘い込むようなことを言う。
狐阿七大王を救うためとはいえ、無謀だ。
「バカな真似を……っ!」
太上老君は頭を抱えた。




