【三百十六 太上老君の苦言】
九尾の狐同士の戦いは凄まじく、ぶつかり会う狐火の激しい光と衝突音が響く。
今まで奪っていた力を奪い返されたといっても、そこはやはり九尾の狐。
玉面公主も九麻夫人に負けていない。
ただ、力の強い妖怪が室内でぶつかり合ったものだから、九麻夫人の療養のための広い部屋はあっという間に崩れ、壁も天井も吹き飛びあたりは瓦礫の山だ。
沙悟浄は玄奘を自分の羽織る外套の下に避難させ、瓦礫類から守る。
「ちょっとちょっと、せっかく壁を直してきたのにこの部屋も大変じゃん!どういうこと?!」
玉龍が怒り肩で土煙を仰ぎながらかけてきた。
「凄まじい殺気がしたけどいったい何があったのよ悟浄ちゃん」
「お師匠様は無事か?!」
矢継早に質問をする仲間たちの姿にホッとして、沙悟浄は玄奘を外套の下から出した。
そこへ太上老君が駆け寄ってきて、小さく低い声で一行に言った。
「お前たち、今のうちにここを出るのだ」
「えっ……?」
太上老君の言葉に驚いた玄奘が目を見開いた。
太上老君は少し早口で言葉を続ける。
「この九尾の争いにお前たちはなんの関係もない。玉面公主の目的はあくまでも九麻夫人のようだし、玄奘殿のことを知らぬのなら好都合。さ、この煙が晴れぬうちに早く行きなさい」
「太上老君様はどうされるのですか」
「わしは弟子たちのためにここに残る。師匠としてあれらの母親を守らねばならぬ」
沙悟浄の質問に、太上老君は狐阿七大王に守られている金炉精と銀炉精を扇で示した。
沙悟浄をはじめ、弟子たちは太上老君の申し出を渡りに船と内心喜んだ。
しかし玄奘は少しの間考えてから、真っ直ぐに太上老君を見つめた。
「いえ、いきません。私たちがこの場に居合わせたのも何かの縁でございましょう。玉面公主が瘴気に侵されているのなら、この前のように瘴気を浄化いたします!」
師の予想通りの言葉に弟子たちは肩を落としため息をついた。
「自惚れてはならぬぞ玄奘殿」
太上老君は苛立ちの混じる静かな声でいうと、玄奘に扇の先端を向けた。
玄奘は「自惚れ」という言葉にどきりとして、太上老君の向けた扇の先端を見てから視線を合わせた。
それは厳しく険しいものだった。
「玄奘殿、あなたの旅の目的はなんだ?天竺へ無事辿り着くことだろう。このような争いごとに首を突っ込み命の危険に晒されるなど、観音菩薩も釈迦如来も悲しむ」
観音菩薩の名に玄奘は俯いた。
「九尾の争いの行く末はあなたの旅には関係のないこと。さあ悟空たち、玄奘殿を連れていきなさい」
「お師匠様、太上老君の言うとおりです。行きましょう」
太上老君に促され、孫悟空は玄奘の手を取って言った。
しかし、玄奘は孫悟空の手を離した。
「いいえ、見届けるまでは天竺には行きません。私は滋養のために食べさせるなどと勝手を言われてここに連れてこられたのです。彼らの行く末がどうなるか、私は知っておかなければなりません」
「お師匠さま……」
「私は望んで玉果になったわけでもないのに……」
「それは……」
玄奘の小さな呟きに、太上老君は口ごもった。
玄奘は天から人の世界に転生し、輪廻を繰り返した結果玉果となり、妖怪たちから狙われることになった。
太上老君にも釈迦如来たちにもそれはどうしようもないことで、観音菩薩の作った錦襴の袈裟が唯一玉果の香りを和らげることができるものだ。
「それにあんなに幼い子たちが悲しんでいるのを知りながら見捨てていくなんてことは、僧としてできません!」
金炉精と銀炉精は妖怪で玄奘よりも歳上なのだが、見た目が人間の幼児にも似ているため容姿での庇護欲を掻き立てられるのだろう。
太上老君はそれを指摘する気にもなれずに頭をかいた。
きっと何を言っても玄奘は首を縦には振らないだろう。
「この、頑固者めが」
苛立ちを隠さず呆れたように太上老君は唸った。




