【三百十四 九麻夫人、目覚める】
玉面公主の呪詛を込めた花から光が消えてしばらくして玄奘が経を読み終えた頃。
九麻夫人はゆっくりと目を開いた。
髪は黒々と艶やかに、瞳には力が宿り輝きが戻っている。
肌の色も血色よく、先ほどまでの肌の色とは雲泥の差。
玉面公主からのお見舞いの鉢植えを壊したことで元に戻った九麻夫人の様子に、金炉精と銀炉精も流石に義叔母を信じることはできなくなっていた。
「まさか本当に玉面おばちゃんが……?」
悲しそうに呟いた銀炉精を金炉精が慰めるようにそっと抱きしめたその時。
「来る……」
永年衰弱して伏せっていたことなどなかったかのように、九麻夫人は素早く寝台から降り身構えた。
「母さま!」
「姉様!」
「こちらへ来てはなりません」
九麻夫人は、駆け寄ろうとする金炉精、銀炉精と狐阿七大王を片手で静止する。
「お師匠さま、こちらに」
その九麻夫人のただならぬ様子に、沙悟浄も降妖宝杖を構え、玄奘の前に出た。
「玉面公主、やはりこちらへ来るか」
狐狸精たちの間に緊張が走る中、悠々と扇を仰ぎながら太上老君が言う。
「太上老君様。いつも息子たちがお世話になっております。この度はわざわざご足労いただき、また回復していただきなんとお礼を言って良いか」
九麻夫人は辺りを警戒しながら身構えたまま太上老君に礼を言った。
「わしというより、ほとんどはそこにいる人間の僧侶、玄奘殿のおかげだ。呪詛返しは彼が行ったものだからな」
「そうなのですか。玄奘さま、この度は見ず知らずの私のためにありがとうございます」
「いえそんなとんでもない!!太上老君や皆様のお力あってのことですから!」
九麻夫人が深々と頭を下げると、玄奘は恐縮して頬をかいた。
「何もお礼をしないというのは心苦しいのですが、すぐにこの館から離れてください。間も無く義妹の襲撃がありましょう」
九麻夫人は玄奘に向けたにこやかな表情を引き締め、次は狐阿七大王へ顔を向けた。
「狐阿、子どもたちを連れてさがりなさい。盃を交わした義妹の始末は義姉の役目」
「いえ、姉様はまだ病み上がりです!微力ではありますが、わたくしめも!」
狐阿七大王は剣を握りしめながら言うが、戦い慣れしていない彼の体は震えている。
九麻夫人はため息をつき、額に手をあてて首を振った。
「こう言っては何ですが……七尾が九尾に敵うわけがない、むしろ邪魔だといっています。下がりなさい」
「ぐ、ぐうう……!」
狐狸精の強さは尾の数で決まる。
狐阿七大王の持つ尾の数も決して少ない方では無いが、九尾に比べたら劣るのは事実。
姉からの厳しい言葉に、狐阿七大王は悔しげに唸った。
「まあまあ、玉面公主はあなたの力を奪っていたから強くなっていたのだろうし、それを取り戻した今なら大丈夫だろう。わしの宝貝もある」
「そうです!」
太上老君の助け舟に狐阿七大王は嬉しそうに頷く。
「あなたの子どもたちにも狐狸精としての戦い方を学ぶ良い機会にもなろう」
「しかし……解呪に逆上した義妹がこの子たちに何をするか分かりませぬ」
不安がる九麻夫人の言葉を受け、太上老君は弟子たちを振り返った。
「なに、この子たちにはわしが授けた術もある。勝手に持ち出した宝貝も……な」
太上老君の言葉に、金炉精と銀炉精は諸々のことが全て師にばれているのだと気づき、顔を引き攣らせて薄ら笑いを浮かべた。
「まぁ……それは大変なご迷惑を……」
九麻夫人が申し訳なさそう頭を下げたその時。
突然、轟音をあげて部屋の壁が崩れた。
「早いな、玉面公主」
扇をあおぎながら太上老君がつぶやく。
「玉面……!」
九麻夫人は九つの尾を広げ身構える。
もうもうと上がる土煙の向こうから現れたのは、狐の耳と九つの尾を持つ長い白髪の女性だった。




