第36話 大神
北の空、雪原の上、幾つも並んだ、黒い鎧の影たち。数は七つ。
その前に、魔の神は立つ。魔の神は形を持たず、漆黒よりも深い黒の中に赤い瞳が浮いているのみで。
形無き者なれど、その形は絶対的で。
「一つ、告げよう」
声。魔神の声は、深い深い深淵の底から響く。音のようで、振動のようで。
「お前たちのいずれかは、いつか時に、世界を得る。それはこの世界の理であり、必至である」
七つの影は、静かに、一切の動きも無く声を聞く。魔の声を聞く。
静かに静かに静かに、魔の声を聞く。
「忘れるな。至りし時、その時、決して忘れるな」
暗闇。深淵。終焉。
白夜の世界の、魔の神。
「命は、人のみが持つ力である」
――――
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――――
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風が吹いた。
草木を揺らす、穏やかな風が吹いた。
石が土が、風に乗って舞い上がる。草が木が、風に揺られて音を立てる。
巨大な剣が、天を衝く。大上段、一切の防御を考えず、一切の後れを見せず。
巨剣ガルディンが力強く剣を構える。
その姿、巨人が如く。
一歩二歩、ギリギリの間合いに立つは赤錆びた鎧を着る男アルクァード。愛しき女神の大槍を手に、真っ直ぐにその黒い瞳をギラギラと輝かせる。
足元に落ちているのは大口径の火砲。人が創りし力の象徴は、もはや彼の手にはなく。
ガルディンとアルクァード。身長は同じぐらい。体格も同じぐらい。武器の大きさはガルディンの巨剣が大きいか。
神の種と人の種。種族が異なれば、生き様も異なる。しかしながら、彼らの心に思うことは同じ。
『ようやくここまできた』
言葉は無い。歓声も無い。聞こえるのはただ、風の音だけ。
何故ここに来たのか。何故こうなったのか。
何がしたかったのか。何がしたいのか。
何を求めたのか。
――――踏み込んだ。
「おおおおおおりゃあああああ!」
「ぬうううううううううう!」
雄叫び、唸り声。
巨剣が振り落とされる。大槍が振り上げられる。
ぶつかる。
鳴り響くのは、オリハルコンのぶつかる音。甲高い、澄み切った、まるで楽器のような音。
「うっ!?」
アルクァードは小さく声を上げた。両手に落ちてきた衝撃が、予想以上の、想像以上のモノだったから。
槍の一撃で巨漢のオークの斧を吹っ飛ばしたことがある。竜の爪を受け止めたこともある。天使たち数匹をまとめて斬り裂いたこともある。
押し負ける。
「ぐ……ぬぅっ!」
奥歯に力を入れ、腰を落とし大槍を両手で力一杯に押し返そうとするが、巨剣の重さは死ななない。剣が下へ、地面へ、自分の頭へと降りてくる。びきりと足の骨が鳴る。
潰される、そう確信するや否や、アルクァードは身を躱して剣を受け流した。巨剣は勢いを増して地面に突き刺さった。
地面に一本の亀裂が走った。
「ンンンりゃあああああああ!」
槍を器用に回し、地面に突き刺さった巨剣の上を滑るようにアルクァードは大槍を振った。一切の躊躇などない。狙いはガルディンの首。
ガルディンの赤い眼が光る。長い長い柄を、ぐわりと前に出す。
また音が鳴った。オリハルコンのぶつかる音。触れれば即死もあり得るアルクァードの大槍を、巨剣の柄が受け止める。少しずれればガルディンの指は無くなっていただろう位置だ。
冷静。その上、豪胆。文字通り、歴戦の戦士。
地面から巨剣の先が持ち上がった。土埃を上げて剣先が加速する。加速する距離など殆どないだろうに、巨剣は驚異的な威力を籠めて振り上げられる。アルクァードの死角の、右足の元から真上へ巨剣が上がる。
音が鳴る。オリハルコンの音。ガルディンの眉が動く。
「――やるじゃないか人よ」
大槍の長い柄で巨剣の刃を受け止めたアルクァードは、その勢いのまま巨体を宙に浮かす。彼の眉間の皺は腕に走る衝撃の大きさを物語っているのか。
一足や二足では追いつかないほどの距離を一気に取るアルクァード。その表情に、余裕はなく――――
――――違う。
こんなに違うのかと、大槍を構え直しアルクァードは思った。違う。まるで違う。今まで斬り裂いてきたやつらとは、まるで違う。
天使、オーク、竜種、神徒、神。いると聞けばそこへ行き、赤い大槍を振い屠ってきた。最初から楽に勝てていたわけではなく、ギリギリで死にかけたことも何度かある。
だがそれでも、勝ってきた。ただの一度も敗れず、勝ってきた。
何故アルクァードは人よりも強き種に勝てたのか。
アルクァードはある日聞いた女神との会話を思い出した。
「アルク。私は貴方と従属の契約を結んだわ。貴方の身体は、獣のような柔軟さと力強さを手に入れた。人が何十年鍛えても得られない身体を貴方は得た。でも、貴方は私に及ばない。どうしてだと思う? 腕力が違うから? 技術が違うから? 種族が違うから? 法力? 法術?」
違う。
「そう。『経験』が違うからよ。私はねアルク。3000年以上、作られた戦場で戦ってきた。どうすれば相手を殺せるかなんて知り尽くしているし、どう自分が動けばどう相手が動くかなんて身体で覚えている。でも貴方は、それを知らない」
鍛えた身体、鍛えた技術、それらを振う経験、全てを束ねてこその強さである。故にアルクァードは、死地に自ら赴いた。
身を隠すことは一度もなく、不意を突くことも一度もなく、神を探して神の下僕を切り裂いた。
間引きの地へ赴き続けた2年の年月は、生きてきた20年余りの歳月は、抵抗するには十分で、勝つには不十分で。
アルクァードは思った。
「違う」
ガルディンは目線を外さない。気を止めない。
これまでのどんなやつらとも違う。『経験』が違う。
巨剣ガルディン。その年は100万歳以上である。
戦士として魔神や軍神に次ぐ古さを誇る神。潜った死線の数は、数万では足りないだろう。
高々20年足らずの歳月で、数万の歳月を超えれるのか。
「腕力、技、そして勘。ここへ来るために相当な鍛錬を積んだのであろうことは、よくわかる。もう一度言おう。やるじゃないか、人よ」
「そりゃどうも」
アルクァードの大槍の刃を、巨剣の太い柄で受け止めながらガルディンは笑みを浮かべる。アルクァードが槍を力の限り押し込んでいるのに、ガルディンは笑っている。
違う。
『モノ』が違う。
「それで……お前は何を求め、この場に来たのだ? 相当の力だ。ここへ来ずとも、もっと幸福に生きられるだろうに。何故、ここにいるのだ? 魔女にでもたぶらかされたか?」
「かもな」
アルクァードは槍を引いた。押していても体力を消耗するだけだと、彼は思ったからだ。
巨剣の間合いの外へと一足で飛ぶアルクァード。人間離れしたその動きに、ガルディンが笑みを浮かべる。
「人という種族には神と同じ法力が使える者がいるという。お前は違うな。法力を発する波を一切感じない。単純に、練り上げたのか。オークの王並みの膂力だ。できればもっとみてみたいが……」
ガルディンが目線を上へと動かす。太陽はいつの間にか山の淵に消え、空が真っ赤に染まっている。
あれだけいた様々な種から鳴る軍団も、いつの間にか疎らになっている。
一日が、戦争が『終わりかけている』。
「矢を手にし各地の下位種共を再び束ねなければなるまいな。百年程度でまとまればよいが……無駄死にしたくないと思わせるだけで、よくぞここまで引かせたものだ。理解ができないということが、恐怖になるということか。ふ……」
ガルディンが構える。巨大な剣に負けぬガルディンの巨体。迸るほどの威圧感は、今現在ここにいる者の中でそれが最強であるということを伝えてくる。
「一蹴せねばなるまい。お前を、お前たちを。それは、再び秩序をもたらすであろうな」
「一蹴ねぇ」
大槍を突き出し、アルクァードは思った。一蹴するというガルディンの言葉は、決して虚勢ではなく、驕りでもない。一端すら見せてないガルディンの力は、一蹴するという言葉を容易く実現できるのだ。
では
「一蹴しよう。神器解放十階位、『大神の怒り』」




