第35話 十階位
彼は、立っていた。
漆黒の鎧に身を包み、柱のような白銀の剣を肩に。
魔神七将が次席、『巨剣』ガルディン。
若年とも壮年ともとれぬ白い顔を持って、真っ直ぐに彼は前を見て立っていた。
逃げ惑う神徒の男が彼に話しかける。
「ガルディン様……他の種族がどんどん撤退しております。一旦退くべ」
言い終わるよりも早く、神徒の男の上半身は消えた。消えた後で、血が飛び散った。
血に濡れた巨剣を地面に突き刺し、ガルディンは言う。静かに、力強く。
「ここで終わりだと、我らが主はおっしゃった。故に、ここで終わりにしなければならない」
空気が揺れる。言葉一つ一つが強く、ただ強く空を揺らしている。
もはや、明らかである。
この男こそが、彼こそが
「人か。お前が人か。会いたかった。一目、人というモノに会いたかった」
『神』である。
溢れる力は、名ばかりの神々と比べ物にならない。その力は、巨大な剣は、それを振う巨大な腕は、見てる者全てを威圧する。
笑みを浮かべるガルディン。その笑みに、親しみは一切なく。
「世界を壊す者。世界を創りし者。前へと進む者。選択する者。我らを創りし創造主にして、叛逆されし者。そうか、人というモノは、こういうモノなのか」
ようやく会えた、と。ガルディンは感慨深そうにうなずいた。理解と解明、巨大な剣を担ぎ上げ彼は歩き出す。
目の前にいる、人へと向かって。
「剣を交える、それは私にとって、もはや意味のない事ではあるが、しかしそれでも、交えねばなるまい。ここまで来たのだから、交えねばなるまい」
一歩ごとに足が地面を削っている。巨剣の重さが、鎧の重さが、背負うものの重さが、土の地面では抑えきれないのだろうか。
「我らが歩んできた、果てなき旅の先。七つを束ね、一を選び、同じ今を何度も繰り返してきて至った今。至ったこの場所。我が名はガルディン。七つ目の世界である」
一体、どれだけの時を過ごしてきたのか。ガルディンの真っ赤な眼は、どんな神よりも神秘的で、綺麗で、深くて、黒くて。
ガルディンは立った。ただ足掻くだけの、男の目の前に立った。大きな槍を片手に握る、不敵に笑う男の、赤錆の騎士アルクァードの前に立った。
そして、ガルディンはその漆黒に光る赤い瞳を向けて、尋ねた。
「何をしに来た人よ。お前が足掻くには、ここは深すぎるぞ」
圧力。語り掛けただけなのに、まるで剣を振り下ろされたかのよう。アルクァードは両肩に重い何かが乗ったような感覚を覚えた。
しかしそれでも、彼は笑うのをやめない。不敵に、血にまみれ汚れた槍を肩に、彼は笑い答える。
「何をしに来たか、だと? なんだ、ここまでやられてもまだわからねぇのか?」
アルクァードは足を一歩前に踏み出した。目の前にいる、ガルディンに向かって一歩踏み出した。
恐怖心など、とうの昔に麻痺している。心など、心臓を失った時から壊れている。
だから、たどり着ける。
「ぶっ壊しに来たんだよ。お前たちが大事に守ってきたモノをさ」
互いの額が、ぶつかり、互いの目の前の光景が、それぞれの眼で埋まる。
『世界』に肉薄する人。あり得ない光景が、ここにある。
「知っているのか? わかっているのか? お前たちがやろうとしていることは、ただの否定だぞ。希望はない、ないのだぞ」
「うるせぇな。そんなもんどうでもいいんだよ。そんなことどうでもいいんだよ。俺は、ただ壊すだけなんだよ」
「道具だと言うのか? 人であるお前は、道具になったと言うのか?」
「ああそうだ。そうだよ。俺は、あいつがやりたかったことをやるだけなんだよ。俺は、あいつのために、俺は……壊すだけなんだよ」
「すでに、飲まれていたか……人でなきあの実験台たちのように。たどり着いたのが自我無き人とは、なんとも皮肉なことだ」
「勘違いすんなよ神様。俺は俺であることを忘れてない。俺は、俺のためにあいつのやりたいことをやるんだよ」
「それでいいのか? そこまで力を得て、それでいいのか?」
「ガタガタいうなよ。目の前だぜ」
「覚悟があるか。いいだろう。だが覚えておけ。私は、十階位に至った神であるということを。十階位の神とは、世界そのものであるということを」
「知るかそんなこと」
「そうか。それもよかろう」
彼らの会話は、誰も聞いてはいなかった。彼らは互いに言葉を交わしながら、彼らの眼は決して相手を見てはいなかった。
額がぶつかるほどの距離で、息が混じるほどの距離で、それでも彼らは、互いを見ていなかった。
自問だ。彼らの言葉は、自問なのだ。
ゆっくりと二人は、一人と一神は離れた。足をゆっくりと後ろに退いて、彼らは距離を取った。
一歩二歩三歩、大槍を巨剣を、肩から降ろす。
「断言しよう。もしも、もしもこの巨剣を壊すことが出来たら、かの者は必ずここへくるぞ」
黒き鎧が輝く。巨剣を腰に構え、ガルディンは足を大きく開く。
巨剣。それは彼そのもの。幾多の戦場で敵を屠ってきた最強の剣。彼の神器。
輝くオリハルコンの光。まさに、光の剣。
「さぁ、始めよう。これより、神の領域である」
夢のような、幸せを。耐えがたき、今を。
壊れた世界に、光を。
巨剣ガルディン。七つ目の世界。
それに、『それに対して』
アルクァードは火砲を向けた。
「何……!?」
威光。太陽の如き巨剣。世界を形どる十階位。
『それに対して』
『初撃が』
『これ』
破裂音が鳴った。甲高く、しかしながら重い破裂音が鳴った。
アルクァードは、一切迷わなかった。それに対して火砲という、人の道具を、獣に向ける道具を使うことに対して一切の迷いはなかった。
弾丸は真っ直ぐに飛んだ。目にも止まらない程の速さであったが、確実にそれは真っ直ぐに、ガルディンの頭に向かって飛んだ。
そして、弾は――――
「っ!」
――――ガルディンの遥か後方へと飛んでいった。
「は、ははっ……はははは」
笑う。大槍を肩に担ぎ、煙立ち上る火砲を構えたアルクァードが笑う。
「ははははは!」
高らかに、笑う。
「ああそうだろうさ! 躱すだろうさ! 違う、やっぱり違うなァ! ははははは!」
ガルディンの顔。弾を首を傾げることで躱したガルディンの顔。先ほどまでの、神々しく、凛々しく、力強かった顔は今や恐ろしく、ただ恐ろしく、怒りに染まっていて。
「お………お前………試し……試す…………か…………!?」
火砲を投げ捨てるアルクァード。大槍を両手で構え、彼は前を見る。
血に濡れた大槍の先端が、怒りで震えるガルディンに向く。
「それでいい。その顔、なんとも人間くせぇじゃねぇか。そうさ。結局お前も、同じなんだよ。さぁ始めようぜ神様。何心配はいらない。丹念に、丹念にすり潰してやるぜ。生贄だ。お前は生贄になるんだ。は、はは……ははははは!」
「獣め。言葉を交わしたことを、後悔したぞ」




