190話 名もなき日々の宝物 - つかの間の、日常のぬくもり
山を越え、森を抜けた先に、小さな村が広がっていた。
石畳の道と、木造の家々。
花の咲く庭先と、薪を割る音。
そこには、どこか懐かしさを覚える風景があった。
「こんにちは」
「旅の方かね?」
「よかったら、お茶でも」
村の人々は、アリアたちを温かく迎え入れてくれた。
小さな宿が一軒だけある村で、しばしの休息が許されることになった。
アリアは村の子どもたちに囲まれていた。
髪飾りや衣の模様に興味を持たれ、いつのまにか鬼ごっこやままごとの輪に巻き込まれていた。
ルクスは最初こそ戸惑っていたが、子どもに手を引かれて不器用に笑う。
「こういう時間……知らなかった。でも……すごく、あたたかい」
そうつぶやいた彼に、アリアはほほえんで返す。
「当たり前みたいな毎日が、いちばんかけがえないんだと思う」
*
その日の午後。
アリアとエリオットは村の台所で料理を手伝っていた。
近くの畑で採れた野菜、手づくりのパン種、山で採れたハーブ。
「イリス、おいで。こねた生地の上に乗っちゃダメよ」
「ぽよん」
イリスはパン生地の発酵熱で気持ちよさそうに丸くなり、微かに発光しながらすやすやと眠っていた。
マコトは村の縁側で、老人たちと囲碁のような遊びに興じている。いつも険しい彼の顔に、穏やかな表情が浮かぶ。
ユリウスは木陰で、子どもたちに絵本の読み聞かせをしていたが、後ろから覗いたシュウに「声が堅い」と冷やかされ、顔を赤らめていた。
ルクスは村の鍛冶場にいた。
黙って職人の作業を見つめていたが、やがて道具を借りて、自分の手で古代金属の加工を始める。
彼の手つきは驚くほど精密で、見ていた職人は思わず息を呑んだ。
「……すごい技術だな、あんた。まるで金属が呼吸してるみたいだ」
ルクスは少しだけ照れたように笑った。
陽が落ちる頃、泉のそばでルクスはひとり佇んでいた。
水面に揺れる木々の影を見つめながら、何かを感じた。
ふと、森の奥。
そこに一瞬、“影”の揺らぎを見た気がした。
(……今のは)
だがそれはすぐに霧のようにかき消え、静寂が戻る。
心の奥に、かすかなざらつきだけを残して。
「ぽよ……」
すぐそばに、イリスがやってきていた。
心配そうに寄り添い、彼の足元にぴたりと身体を寄せる。
「……ありがとう」
そのぬくもりに、ルクスは静かに目を閉じる。
「人の文化って、不思議だ。食べることも、笑うことも……全部、ぬくもりなんだね」
「あなたも、そういう時間の中にいていいのよ」
アリアの声が、そっと耳元に届いた。
「こんなにも、世界は……優しかったんだ」
*
――その夜。
「この先の林を抜けたところに、昔“癒しの泉”と呼ばれた温泉があるそうだよ」
エリオットが村の子供たちから聞いてきた情報を嬉しそうに報告する。
「温泉?!」
アリアとマコトが、声を揃えた。
「いいな。湯にゆっくり浸かって、骨の髄までほぐしたい」
とマコト。
「うん……私、湯船に入れるなんて久しぶり」
とアリアは胸を弾ませる。
が、他の仲間たちは少し戸惑った様子だ。
「湯に……浸かる? それって、温泉の中に?」
とシュウが首を傾げる。
「東の国には“湯治”という風習がある」
マコトが真面目な顔で続けた。
「身体の疲れや病を癒やすために、温泉にゆっくりと浸かって治すんだ。数日かけて滞在する者もいるくらいだよ」
「前世で私がいた場所では、毎日お湯を張って湯船に入ってたよ」
アリアが懐かしそうに微笑む。
「体を清潔にする場所と、お湯に浸かって疲れを癒やす場所は分かれててね。血行を促して、体を温めて、気持ちも軽くなるの」
「なるほど……文化の違いだな」
ユリウスが感心したように頷いた。
*
その夜、森を抜けた先に、湯気を漂わせる古い石造りの泉が静かに佇んでいた。
「ここが……“癒しの泉”か」
満月に照らされて、湯面が静かにきらめく。
「よし、俺は入るぞ!」
そう言ってマコトが脱ぎ始めた瞬間、
「待って! せめて、誰かの前で全部脱ぐのはやめてください!」
とエリオットが必死に制止。
「ん?ああ、そうか」
マコトはきょとんとしつつも、笑って布を巻いた。
シュウとユリウス、エリオットも、おそるおそる湯の縁に腰を下ろす。
「こんなに深く……肩まで入っていいのか?」
「ふわ……あったか……」
「ほら、悪くないだろ」
マコトが鼻歌交じりに肩まで浸かる。
しばらくして、イリスが「ぽよん」と跳ねながら泉に飛び込んだ。
「……あっ、イリス!」
水面をぷかぷかと漂いながら、イリスは気持ちよさそうに目を細めていた。
やがて、小さな寝息のような「ぽよ……」が聞こえる。
「……寝てる?」
シュウが小声で笑う。
*
アリアは岩陰の少し小さな泉へ、ルクスと一緒に向かっていた。
「ルクス、この服なら大丈夫だよ。ほら、湯浴み用に持ってきたナイトウェア。濡れてもいい素材だから」
「……ありがとう」
少し照れながらも、ルクスは受け取り、ふたりでそっと湯に身を沈めた。
「……気持ちいいね」
アリアがぽつりと言うと、ルクスは小さく頷いた。
「こんなふうに、誰かと温かさを分け合うのって……不思議」
「そうだね。誰かと一緒に入るお風呂って、身体だけじゃなくて、心もほぐれるんだよ」
湯けむりの中で、二人は言葉少なに微笑みを交わした。
*
皆が湯から上がったあと、モルンが「ふごっ」と鼻を鳴らしながら近づいてきた。
「お、モルン、待ってたのか?」
マコトの声に応えるように、モルンは大きく身をかがめ――
「ザッブーン!」
豪快に湯に飛び込んだ。
湯がばしゃあと飛び散り、みんなの笑い声が夜空に響いた。
小さな村の夜、名もなき湯の泉。
そこに確かにあったのは、温もりと、笑顔と、忘れがたい時間だった。
ーーー191話へつづく
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※このお話の舞台はヨーロッパ風異世界であり、現実世界の歴史とは一切関わりありません。
作中に出てくる 国・文化・習慣・宗教・風俗・医療・政治等は全てフィクションであり、架空のものです。
あくまで創作上の設定としてお楽しみいただけますと幸いです。




