178話 霧の森、沈黙の小道 - 光と声を奪う場所
森に入って、最初に違和感を抱いたのはアリアだった。
「……音、しないね」
焚き火の消えかけるような、あの微かな風の音さえもない。
鳥の声も、虫の羽音も。自分の足音さえ、どこか薄い膜の奥で響いているようだった。
「森って……普通はもっと騒がしくない?」
エリオットが小声で呟く。
だがその声すら、すぐ霧に吸われて消えるような気がした。
イリスが跳ねる「ぽよっ」という音も、どこか鈍い。
「……精霊の気配も、ほとんど感じられない」
ルクスが周囲に目を細めながら、低く言う。
モルンは羽をすぼめ、気配を潜めてアリアの肩に降り立った。
「なんだろう、変な感じ。言葉が……重いような」
アリアの声も、聞こえてはいるのに、胸に届いてこない。
「ここは“音”を……遮ってるのかもしれない」
ユリウスが眉をひそめ、静かに言った。
マコトは周囲を睨みながら、片手で剣の柄に触れる。
「それだけじゃない。この霧……目も、狂わせてる」
実際、少し離れると姿がぼやけ、隣にいるはずの誰かが妙に遠く感じる。
音も、距離感も、狂っていた。
*
「イリス……? どこ?」
アリアが足元を見回しても、イリスの姿が見えない。
先ほどまで確かに肩の上にいたはずなのに、ふとした瞬間に気配が薄れていた。
「ぽよ……」
微かに聞こえた声の方を見ても、姿は見えない。
【イリス視点】
ふわふわした感覚のなかで、イリスは辺りをきょろきょろと見渡していた。
ぽよん、と跳ねても、地面の感触が曖昧だ。霧が濃すぎて、何も見えない。
アリア……どこ?
言葉にはできないけれど、胸の奥から不安がじわりと滲む。
跳ねても跳ねても、誰にも届かない。音が、届かない。
ぽよ……と小さく鳴いても、それは自分にすら聞こえにくかった。
【モルン視点】
空を駆けようと羽ばたいた瞬間、モルンは身体を強く揺らされた。
空気が重い。流れが不規則だ。
それでも、地上が見えないのが不安で、何とか翼を広げ、風を切って進もうとした。
……あれは?
枝の影に、小さな影が見えた気がした。だが霧にかき消され、すぐに見失った。
くちばしを鳴らして周囲を探るが、羽音が届くはずの距離でも、気配が曖昧に揺れていた。
結局、彼は地上へと降りざるを得なかった。
*
「モルン……上から見てくれる?」
と頼んだものの、モルンも羽をばたつかせてすぐに降りてきた。
「ダメだ……空の気流も、おかしいみたい」
アリアは唇を噛んだ。
「星霊の力が……押さえ込まれてる。わたし、うまく見えない」
ルクスの声に焦りが滲む。
「何かが、この森そのものに干渉してる。普通じゃない」
そのときだった。
ぎゅう、と胸の奥がつかまれたような感覚。
ルクスが苦しげに額を押さえ、膝をついた。
「ルクス!」
アリアが駆け寄ろうとした瞬間、ルクスの手のひらから、淡い光が零れ落ちた。
霧が、少しだけ揺れた。
「……私、こんな力……」
戸惑いと痛みが混ざった声。
「ダメ……もっと、光を……!」
ルクスが目を開いた。その瞳が、白く瞬いた。
光が爆ぜる。
まるで夜明けが一瞬だけ落ちてきたような、柔らかくも鋭い光。
霧がはじけ、ざぁっと引いた。
視界が開け、音が戻る。
鳥のさえずりが、遠くから届いた。
「……やった、の?」
エリオットが言う。
「まさか……あんな力、ルクスに……」
ユリウスが目を見開いたまま、小声でつぶやく。
「ルクス、大丈夫か?」
マコトが駆け寄る。
ルクスは立ち上がったが、顔は蒼白だった。
「……また、私……制御できてなかった……」
その手を見つめる指先が、微かに震えている。
「でも……守ってくれた」
アリアがそっとその手に自分の手を重ねた。
「ありがとう、ルクス。おかげで……助かったよ」
「……うん」
ルクスは頷いたが、どこか遠い目をしていた。
その瞳の奥に、自分への恐れが滲んでいた。
その先に、森の出口が見えた。
薄日が差し込むその先に、苔むした石の柱がいくつも並んでいる。
「……遺構?」
シュウがぽつりと呟く。
「かなり、古いものみたいだね」
マコトが警戒するように目を細める。
かすかに風が吹き、草を揺らす音がした。
ようやく、音のある世界に戻ってきた。
だが同時に、音のない世界で見たものは、それぞれの胸に深く刻まれていた。
ーーー179話へつづく
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※このお話の舞台はヨーロッパ風異世界であり、現実世界の歴史とは一切関わりありません。
作中に出てくる 国・文化・習慣・宗教・風俗・医療・政治等は全てフィクションであり、架空のものです。
あくまで創作上の設定としてお楽しみいただけますと幸いです。




