174話 光のもとで名を託す - 新たなる誓い
谷を覆っていた緊張が、ふと緩んだ気がした。
封印の中から現れたその存在は、静かにアリアの前に佇んでいた。
人のようで、人ではない。
どこか精霊に似た気配を纏いながら、まだ生まれたてのような、けれど深く澄んだ意志の光を、その瞳に宿している。
「……君は、誰?」
アリアがそっと問いかけると、その子は首をかしげた。
やわらかな銀の髪が静かに揺れる。
透き通るような肌は淡く光を放ち、瞳の奥には揺らめく星々のような光の粒が見えた。
「私は……わからない。ただ……ずっと、そこにいた」
低く、穏やかな声。
その語り口は、生まれたてのはずなのに、不思議と落ち着きがあった。
まるで長い年月を超えてここに辿り着いたかのように。
アリアは静かに頷いた。
(この子……ずっと、封印の中で目覚めを待っていたんだ)
言葉にせずとも、その思いは確かに伝わってくる。
その子は「影」と呼ばれてきた負の存在の化身ではなく、むしろそれを乗り越えて新たに生まれた“何か”だった。
「ここは、もう封印の中じゃない。あなたは、目覚めたんだよ」
「わたし……目覚めたの? 封じられていた……のは、覚えている。名前も……理由も……なにも、思い出せないの」
マコトが静かに見守りながら言う。
「記憶は、霧のように流れた時間の中で薄れているのだろう。だが、存在の核は消えなかった。それが星霊としての素質だ」
その子は小さく揺れた。
まるで、名前のない自分を確かめるように。
「わたしは、影だった……人を傷つけてしまったかもしれない。なのに、あなたは……なぜ、話しかけてくれるの」
アリアは迷いなく言った。
「誰だって、自分ではどうにもできない闇を抱えることはある。でもそれを、誰かが受け止めたら……やり直せるって、私は信じてる」
その子の瞳が、かすかに揺れた。
恐れよりも、そこには確かに――希望が宿っていた。
そのとき、イリスが「ぽよん」と跳ねながら、アリアの肩から降りてその子の足元までやってきた。
おまんじゅう形の虹色スライムは、警戒するでもなく、しばらくその子を見上げたあと――そっと、その身体に触れるように身を寄せた。
「……イリス?」
アリアが呼びかけると、イリスは「ぽよっ」と鳴いてから、静かに跳ねてその子の胸元に自らの身体をすり寄せた。
(この子のこと……認めてくれてるんだ)
続けて、モルンも前脚をゆっくりと踏み出し、朝焼け色のたてがみをふわりと揺らして、その子のそばへと近づいた。
中型になった今の姿では、威圧感があってもおかしくないはずなのに、彼の動きには一切の敵意がなかった。
モルンはその子の前で立ち止まり、そっと目を細めると、鼻先を近づけて鼻息をふっと吹きかける。
「……ありがとう。優しいね」
その存在は、モルンにも微笑みを返した。
見守っていたマコトが口を開く。
「……こいつは、自らを呪うことなく、時を越えてここまで来た。もう“影”ではない」
エリオットも静かに頷いた。
「ならば、この世界に居場所を作ってあげるのも、僕たちの役目だろう」
ユリウスとシュウも、それぞれ小さく頷いていた。
誰も、拒む者はいなかった。
アリアはその存在の前に膝をつき、ゆっくりと手を差し出す。
「あなたが、これから“今”を生きていくなら……新しい名前がいるよね」
その子は、小さく頷いた。
「名前、あると……嬉しい」
アリアは微笑んで、その手をそっとその子の手に重ねる。
「“ルクス”ってどうかな。――“光”って意味だよ。あなたがこれから、自分の選んだ道を、光の中で歩いていけるように」
静かにその名を告げた瞬間、あたりの空気がふわりと揺らいだ。
まるで祝福のように、星霊の粒子が周囲を包み込んでいく。
「……ルクス。わたしの、名前」
その子──ルクスは、少し不器用に微笑んだ。
初めての名前に、心の奥が震えているようだった。
イリスが嬉しそうにぽよんと跳ね、モルンもぐるりと尾をふって、ルクスのまわりを一周した。
シュウが少しだけ顔をほころばせる。
「これでまた、旅の仲間が増えたってことだね」
ユリウスは淡く微笑み、マコトは静かにうなずく。
ルクスは仲間たちの顔を順に見渡したあと、アリアの方を向き、まっすぐな瞳で言った。
「わたし、ここで……“今”を生きる。見届けたい、君たちの旅を。未来を」
アリアもまっすぐにうなずく。
「ようこそ、ルクス。これから一緒に歩こう」
新たな命が灯ったその日、夜空のような谷の上に、小さな光がまた一つ、加わった。
それは、希望の名を持つ光。
アリアたちの旅に、新たな仲間と、新たな可能性が加わった瞬間だった。
―――175話へつづく
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※このお話の舞台はヨーロッパ風異世界であり、現実世界の歴史とは一切関わりありません。
作中に出てくる 国・文化・習慣・宗教・風俗・医療・政治等は全てフィクションであり、架空のものです。
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