161話 失われた契約 - モルンの決意
夜が森を包む頃、焚き火の灯りだけが、ぽつんと周囲を照らしていた。
草の上には、横になったアリアの穏やかな寝顔。
胸にはイリスが静かに寄り添い、かすかに「ぽよん……」と温かな音を立てる。
ユリウスは少し離れた木にもたれ、浅い眠りの中にいた。
マコトはひとり、焚き火の番をしていた。
小さく薪がはぜ、赤く光る火の粒が、宙にふわりと舞い上がる。
モルンはアリアのすぐそばにいて、じっと月を見上げていた。
その大きな背は、まるで長く遠い夜を背負っているかのようだった。
「……眠ったな」
マコトが小さく呟く。焚き火にくべた枝が、じゅっと湿った音を立てた。
モルンは尾をひとつ、静かに揺らした。
言葉はない。でも、その仕草ひとつで十分通じるものがある。
しばしの静寂。森の梢を風が抜ける音が、耳に柔らかく届いた。
「前に言ってたよな」
マコトがぽつりとつぶやく。
「……護れなかった者がいたって」
モルンの体が、わずかに震えた。
月光が体表に反射し、うっすらと青白い紋が浮かび上がる。
焚き火の炎が、その紋を赤く照らし返す。
「……聞くだけは、聞いてやるよ」
マコトは顔を上げず、火を見つめながらそう言った。
モルンの周囲に、ゆるやかな光がにじむ。
言葉ではない、けれど確かに「想い」が揺れている。
『──あの人は、未来を読む人だった。』
マコトのまぶたが、ふと動いた。
『王のそばに仕え、戦の兆しや飢饉の気配を言い当て、人々の道しるべとなっていた』
『……カメリア』
マコトの低い声が焚き火に溶けた。モルンが、そっと頷く。
『あの人は、大国の宮廷占い師だった。冷静で、聡明で、そして……とても、優しかった』
『でも、最期のとき。私は傍にいなかった』
その声は、深い森の底から響くように静かだった。
『私は精霊だった。あの人の守護として、契約を交わしていた。でも、間に合わなかった。』
『彼女が命を落としたとき、私は遠くにいた。護れなかった……』
その告白に、マコトは何も言わず、火に枝をくべ続ける。
『あの人は……最期まで、誰にも助けを求めなかった。自分の務めを理解していたから』
『その強さすら受け止めきれなかった。だから私は、今でも“護れなかった精霊”のままだ』
風が一度、強く吹いた。焚き火の炎が揺れ、夜の匂いが立ち込める。
そして、モルンの尾がひとつ揺れた。
『でも、今は違う。アリアは、未来を自分で選ぶ力を持っている』
『だから私は、もう一度、誓う』
モルンの視線が、アリアの眠る横顔に注がれる。
『護るためじゃない。彼女の選ぶ未来を、信じて、共に歩むために』
『……彼女の声を、届かせるために』
焚き火の残り火が、少しずつ赤を深めてゆく。
「……お前」
マコトがようやく声を出した。
「変わったな。……いや、思い出したのか」
モルンは、小さくうなずいた。
マコトは目を細め、ひとつ息を吐く。
「だったら、今度こそちゃんと護れ。アリアを。そして、お前自身の後悔も」
──ふとそのとき、アリアのまぶたがかすかに動いた。
目を覚ましたわけではない。
ただ、焚き火の熱と誰かのぬくもりを、無意識に感じ取ったようだった。
イリスが小さく跳ねて、モルンの背にぴたりとくっつく。
月が高く昇り、やがて傾き始めていた。
夜が明ける。森の輪郭が、すこしずつ夜の闇から形を取り戻していく。
モルンはアリアのそばで、静かに体を丸めた。
心からの誓いを、その背に宿しながら。
──過去に囚われた精霊が、いま、未来へと歩き出す。
焚き火の最後の火が、ぱちり、と弾けて消えた。
そのとき。アリアの胸の上で丸くなっていたイリスが、ふいに「ぽよん」と小さく跳ねた。
まるで夜明け前の空気に呼応するように、虹色のきらめきが、淡くその体を包む。
アリアはまぶたを閉じたまま、そっとイリスの温もりに手を添える。
「……今夜も、がんばってるのね」
眠りの中の囁きに、イリスが「びよん」と小さく震えた。
その小さな体の奥で、確かに“何か”が静かに育ちつつある。
夜明けが近い。まだ夢の続きのような静寂の中で――微かに、未来が脈打っていた。
──162話へつづく
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※このお話の舞台はヨーロッパ風異世界であり、現実世界の歴史とは一切関わりありません。
作中に出てくる 国・文化・習慣・宗教・風俗・医療・政治等は全てフィクションであり、架空のものです。
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