150話 イリスの使命 - 虹の記憶
小さな村のはずれ。
夜の風が、ゆっくりと森を撫でていた。
丘の上では、アリアが草を踏みしめながら空を仰いでいた。
濃い藍の空に、星がいくつも瞬いている。
その足元には、イリスがぽよん、と跳ねながら寄り添っていた。
「ねえ、イリス……」
アリアはふと、手を伸ばしてイリスをすくい上げた。
「もしかして、あなた……ずっと私のこと、見てたんじゃない?」
イリスは、ぴくりと反応した。
虹色の体が一瞬、淡く光る。
それから、そっとアリアの掌の中でふるえた。
「……やっぱり、そうなんだね」
ぽよん。
跳ねる動作が一度強くなったかと思うと、イリスの体の中から、まばゆい光があふれ出した。
その光はアリアの瞳に触れた瞬間──まるで水面に投げた小石のように、時の波紋を描きはじめた。
視界が揺れる。
星の回廊。 黄金の柱。 絹のようなローブ。
──そして、そこに立っていたのは、“カメリア”だった。
かつて、王の未来を読み、国を守ろうとした、若き宮廷占い師。
彼女のそばに、小さな光があった。
虹のように淡く、柔らかく──あのときも、確かにそこにいた。
アリアの胸の奥に、名もない記憶がざわめいた。
涙が一粒、頬をすべった。
「イリス……あなた、本当に……」
イリスは静かにまた跳ねた。
その跳ね方には、どこか意思のような強さがあった。
──私は、ずっと見ていた。
──あなたを、見届けていた。
言葉がなくとも、確かな共鳴がそこにあった。
そのとき。
後ろから、静かな気配が近づく。
「やっぱり……」
モルンだった。
その大きな体が、月の光に照らされてゆっくりと姿を現す。
アリアは驚いた。
モルンの背中は、いつの間にかアリアの胸元ほどの高さまで成長していた。
昔はしゃがまないと撫でられなかったのに、今では立ったまま背を撫でられる。
「モルン……いつの間にこんなに……」
モルンは静かに頭を垂れた。
その目には深い光が宿っていて、まるですべてを見通しているようだった。
「……あなたも、気づいてたのね」
くぅん。
モルンが低く鳴き、アリアのそばに身を寄せる。
その体をゆっくりとかがめると、アリアの腰がちょうど乗れる高さになった。
「……えっ、乗っても大丈夫?」
モルンは首を傾けてから、コトンと地面に顎を乗せるようにして合図をした。
そっと身を預けてみる。
ぐらつきはなく、しっかりと支えられた。
「……ありがとう」
アリアは、イリスを腕に抱いたまま、モルンの背中から星空を見上げる。
その視線の先には、かつて見たことのある星の配列が、静かにまたたいていた。
イリスの光が、夜気の中に淡く溶けていく。
──この子は、記憶を宿す存在。
──ことばではなく、共鳴で繋がる者。
「……使命なんだね。思い出させることが」
ぽよん、とイリスが跳ね、アリアの胸元に寄り添う。
モルンの背中に乗ったまま、アリアはそっと目を閉じた。
自分は、この“虹の記憶”に、何度も導かれてきた。
そして、これからも。
「ありがとう、イリス。あなたがいてくれて、本当によかった」
夜の空気がやさしく流れる。 どこか遠くで、静かに草の葉がそよいだ。
──151話へつづく




