137話 前世 - 働きながら占った日々
✪読んでくださり、ありがとうございます。
★評価•リアクション(絵文字)・ブックマークしていただけると、ランキングに反映され、作者の励みになります♪
──静けさが、心の奥まで沁みてくる夜だった。
星の神殿に風がやわらかく吹き、焚き火の名残をなでて通り過ぎる。アリアは、そっと目を閉じたまま、自身の内に広がる記憶のうねりに身を預けていた。
その瞬間、イリスがぽよん、と跳ねて、光の粒を空へと放つ。
アリアの胸元に寄り添ったその体温が、波紋のように広がっていった。
まばゆい光のあと、アリアが立っていたのは、見慣れた――けれど、どこか懐かしい――街角の風景。
ネオンの灯り、車の音、人々の歩く足音が混ざり合う駅前の通り。
ビルの1階、ガラス張りの小さな占いブースの前に、ひとりの女性がいた。
黒いワンピースに白いカーディガン。少し猫背で、だけど優しい表情。
彼女は、アリアの“前世”――現代日本で生きていた、名を「水樹 葵」という女性だった。
(あの人が……私……)
アリアは、少し距離をとった場所から、その姿を見つめていた。
まるで、自分の中に残る残響が、目の前で形を成していくように。
「……本業は、編集者。でも、本当は、ずっと“人の声を聴く仕事”がしたかったの」
夜の静かなカフェで、友人にそう漏らした葵の声が、アリアの胸を打つ。
「占いをしてるときが、いちばん私らしくいられた。でもね……自分の声だけは、聴いてあげられてなかった」
言葉の奥に、深い疲れと、静かな痛みがあった。
昼は雑誌社で取材や原稿に追われ、夜はカフェやブースで人々の相談を聞く。
「どうしてそんなに働くの?」と問われたとき、葵は微笑んで首を振った。
「“人のため”だと思ってた。でも……たぶん、私が欲しかったんだ。“よくやってるよ”って、誰かに言われたかっただけかもしれない」
恋も、夢も、努力も……すべてが空回りしている気がした日々。
やりがいはあった。でも、どこかで常に、不安と孤独がつきまとっていた。
彼女がぎゅっとカップを握ったとき、その震えがアリアの心まで伝わった。
(わたしも……どこかで、誰かに肯定されることを、望んでいたのかもしれない)
その夜、帰宅した葵は、祖母が遺してくれた小さな日記帳を開いていた。
ページの隅に、祖母の文字で、こんな言葉が綴られていた。
《“葵”という名には、強くて、しなやかに咲く植物のように、人を照らす存在になってほしいという願いを込めました》
(……そうだったんだ)
アリアは、はっとして胸に手を当てた。
“水樹 葵”という名が、祖母の手によって贈られた祈りだったことを、初めて深く理解する。
そして。
その葵の肩に、光の滴のようにイリスが現れる。
彼女は驚いたように微笑み、そっと指先でイリスの背をなでた。
「……あなたも、誰かの声を聴いてるんだね」
その言葉に、イリスがふるふると身体を震わせ、小さな灯をひとつ、葵の胸元からアリアへと届ける。
光がすっと吸い込まれた瞬間――アリアの中にあった何かが、静かに変わった気がした。
過去の痛みが鎮まり、呼吸が深くなったような、そんな感覚。
アリアは目を開いた。星の神殿の夜は、まだ終わっていなかった。
「……あのときの私は、人のために動いていたつもりだった。でも……本当は、自分を認めてほしかっただけだったのかもしれない」
彼女の声は、静かで澄んでいた。
「それでも、誰かを支えたくて、笑顔にしたくて……その気持ちは、きっと本物だった」
アリアの肩に、イリスがそっと寄り添う。
その体は、ほんのりとした温かさで、アリアの痛みに寄り添ってくれていた。
「ありがとう、イリス……あなたがいてくれたから、私は――」
アリアは、手のひらに残る光のぬくもりを握りしめた。
過去の自分も、今の自分も、未来の自分も。
すべての命に、願いが宿っているのだと、そう思えた。
“水樹 葵”。
まだ、アリアはその名を思い出してはいない。
けれど、どこかで確かにその響きが胸に残っていた。
「葵……。そう呼ばれた気がする……あたたかくて、まっすぐな名前」
その名に込められた祖母の祈りを、いまなら、少しだけ受け取れる気がする。
静かな夜の神殿。
その傍らで、イリスが柔らかくまたたき――
「……ん?」
アリアが気づくと、すぐそばに丸くなっていたモルンが、ゆっくりと羽を広げた。
その翼の内側から、朝焼け色の光がふわりとにじみ出す。
すると、イリスも応えるように、虹の色を淡く変化させながら灯し始めた。
ふたつの光が、重なり合い、優しく揺れる。
朝焼けと虹の色が溶け合うように、やさしく、やさしく、神殿の空間を包んでいく。
まるで、心の奥に広がる波紋のように。
アリアの目元がふっと緩み、温かい呼吸が胸に落ちていった。
(……大丈夫。私は、ちゃんと歩いていける)
ふたりの小さな存在が放つ光が、アリアの足元を照らす道となっていた。
星の神殿の空には、変わらず、星々が瞬いていた。
イリスが小さく跳ね、モルンが軽く翼を揺らしながら、光の軌跡を空に描く。
その一筋の光は、アリアの胸に届いた灯と共に、未来への道を静かに照らしていた。
――138話へ続く。
※このお話の舞台はヨーロッパ風異世界であり、現実世界の歴史とは一切関わりありません。
作中に出てくる 国・文化・習慣・宗教・風俗・医療・政治等は全てフィクションであり、架空のものです。
あくまで創作上の設定としてお楽しみいただけますと幸いです。




