127話 系譜を継ぐ者 - 祈りの目覚め
朝靄がまだ道を覆っていた。
草に触れるたびに、足元で水滴が弾ける。冷たいけれど、それが心地いい。
「……あれが、村だよ」
先を歩いていたユリウスが立ち止まり、指を差した。
林の先、朝日に照らされた小さな集落が、まるで森に抱かれるように広がっていた。
アリアは、イリスを胸に抱いたまま、小さく息を吸う。
肌に感じる風が少し違う。やわらかくて、懐かしい――まるで誰かの祈りに包まれているような、そんな気配がした。
村の広場に着くと、ひとりの女性が彼らを迎えた。
年の頃はアリアと同じくらい。黒髪を三つ編みにまとめ、落ち着いた眼差しをしていた。
「ようこそ、アルネリアの村へ」
静かに、けれど凛とした声だった。
*
彼女の名は、シエナ。
第七代聖女アルネリアの血を引く、末裔だという。
「伝承の多くは、もう口伝になっています。でも……私たちは忘れていません。あの方が、どんな最期を迎えたとしても」
シエナは火のそばに座り、淡々と語った。
焚き火の明かりがその瞳に宿ると、どこか遠い記憶が灯るようだった。
「裏切られても、信じてくれた人はいました。ほんのひと握り。でも……それで十分だったんです」
アリアは黙って、彼女の言葉を聞いていた。
手の中で、イリスが小さくぽよんと跳ねた。まるでその話に、何かを思い出すように。
「祈ることをやめなかった。それが私たちの誇りです」
その言葉に、アリアの中で何かが脈打った。
(あの時代に……私と同じように、祈り続けた人がいた)
想像しただけで、胸の奥が熱くなる。
孤独でも、誤解されても、それでも祈った彼女がいた。
なら、私も――。
「ありがとう。来て、よかった」
小さくそう告げたアリアの声に、シエナは微笑んだ。
「祈りは、形が違っても、同じ場所へと辿り着きますから」
焚き火の音が、やさしく響いた。
*
夜になった。
星が広がる空の下、アリアはひとり、村の裏手の丘に立っていた。
イリスが腕の中から抜け出し、ぴょんと跳ねて空を見上げる。
「……見てるの?」
イリスは返事をしない。ただ、じっと夜空を見上げていた。
アリアも隣に座り、肩を並べる。
しばらくすると、ふとした気まぐれのように、口が勝手に祈りの言葉を紡いでいた。
「……願わくば、遠き誰かに、心の灯が届きますように……」
その瞬間だった。
イリスの体が、淡く光を放った。
「……イリス?」
驚いて目を見開く。
けれど、イリスは騒がず、ただその光のまま静かに漂っていた。
まるで、祈りの言葉に応えるように。
まるで、その言葉を――覚えていたかのように。
アリアの胸が高鳴る。
懐かしいという感覚が、言葉もなく押し寄せてくる。
(いま、イリスは……“思い出してる”?)
目の前の光が、ゆっくりと淡くなっていく。
その中で、アリアは確かに感じていた。
ただの相棒でも、ただのスライムでもない。
もっと深い場所で、ずっと昔から、イリスと自分は――繋がっていた。
「……ねえ、イリス」
アリアが語りかけると、イリスはぽよんと跳ね、彼女の肩にのぼる。
その重みが、いつもよりほんの少し、心に近く感じられた。
「あなたは、どこから来たの?」
問いは、宙に漂ったまま返事はない。
でも、それでよかった。無理に聞くものでもない。
ただ、その隣にいることが、いまはなによりの答えだった。
*
翌朝。
イリスはまた夜空を見上げていた。
まだ朝日が昇りきらない時間。
星の残像が、淡く空ににじんでいる。
その光のなかに、イリスの小さな体が吸い込まれそうに溶け込んでいた。
そして、まるで懐かしむように、虹がかかった空を思い出すように――ゆっくりと揺れた。
アリアはその背中を見つめながら、そっと胸元の護符に触れた。
(祈りは、記憶を超えて届いている)
静かにそう思った。
そして、彼女の歩みはまた、ひとつ前へと踏み出していく。
ぽよん。
イリスが跳ねて、それに応えた。
――128話へ続く。




